佐藤正美Tweet_20120516_31

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佐藤正美 @satou_masami

モデルの有効性を験証してくれるのは「現実」の事態しかないという事が自覚されていないのではないか。その無自覚が「概念」の温床となる。私にとって「概念」とは独創性の名の元に拵えなければならない様な、実装独立と称して機械化を遊離してまで頭上に掲げなければならない様な作品ではない。

2012-05-16 22:03:03
佐藤正美 @satou_masami

モデル(模型)は現実的事態の模倣(写像)である。私は、ユーザが「意味」を伝達するやりかたを模倣する。そして、(その構造を機械化するのであれば、)ユーザが「意味」を伝達している記号は「論理」の上に乗る他はあるまい。現実のコミュニケーションでは何の変哲もない原則である。

2012-05-17 14:43:06
佐藤正美 @satou_masami

私は数学の影響をうけて、普通の意味で論理的な構造を作ろうとしたのではない。それなら、コッド関係モデルという完全なモデルが既に存する。私が数学から私の仕事の為に奪おうとした技術は「意味論」そのものだったのである。あるいは、それを「真理論」と云ってもいいかもしれない。

2012-05-19 10:55:17
佐藤正美 @satou_masami

「かうならなくてはいけないのだ。上に出し過ぎても、下に出し過ぎても、何も彼もめちやめちやになる。少しでも繋ぎが緩んだり、隙間が出来たりすれば、感動も、光も、真理も逃げて了ふだろう」(セザンヌ)。それを「論理」でやるのがモデル制作である。

2012-05-20 00:40:38
佐藤正美 @satou_masami

おそらく、私には、パターンとは握りかたの強い(強すぎる)手に見えるのであろう。「本質」──私はこの意味を疑っているが──を掴もうとする手から対象の多様性が逃げる。私の見かたで言えば、パターンは役立つが骨組みにすぎない。私が知りたいのは、骨組みではない、事業という活物の多様性だ。

2012-05-21 10:37:08
佐藤正美 @satou_masami

私は、事業の「意味」を知りたいのだ。私には、私智の計らい(私概念)を捨て、忍耐強くユーザの語る「意味」を知る他はないと考える他はなかった。ユーザ言語は、ただ事業の「意味」を知る機縁にすぎない。そういう事を「論理」の厳(きび)しい清冽な客観性即ち(値の)充填性が示してくれた。

2012-05-22 02:27:19
佐藤正美 @satou_masami

私が「論理だ」と口癖の様に言うのは、SE が「経験」とかパターンとか云うものを頼っては駄目だという意味なのである。「私はしかじかの概念が重要であると考える」と云う様な概念図をSEたちは描きたがるが、モデル制作とは「この順路にはこの項(頂点)がある」という有向グラフの構成である。

2012-05-23 01:23:48
佐藤正美 @satou_masami

モデルには、華々しいものも、特に眼をひく事を狙った中核概念もなく、無味乾燥と云っていい程に沈着な構成図だが、構造全体が豊かな拡がりと奥行きを持った堂々たる楽譜(総譜)の様な性質である。これは単なる比喩ではなく、そうはっきりと感じられる構造布置の整った証明図である。

2012-05-24 11:44:26
佐藤正美 @satou_masami

モデルは、形式的技術(「論理」)で制作されているが、「形式」が集まって作り出す構造には正確な統一が現れて来る。モデル全体が事業の「意味」を包み隠さず語り掛けて来るパノラマの様だ。「概念」の羅列では掴む事のできない「意味」が現れて来る。それは要約された「概念」から来るのではない。

2012-05-25 12:40:48
佐藤正美 @satou_masami

エンジニアの眼は「(観察可能な)情報空間」全体を観ている。全体を観ているというより、項の並び(「関係」)の「意味」を意識していると言ったほうがいいかもしれないが、そういう意識を持って、モデルの中に整然と帰納的に並べられた項(ユーザのことば)の一つ一つが描き分けられている。

2012-05-26 13:13:56
佐藤正美 @satou_masami

語が「意味」を持つという事は、語と語との響きあい(共鳴現象)に変ずる事である。一つの語は多様なニュアンスを持っているが、モデルの中で「意味」を一意に決めるものは、「概念」の純化というより、語の配置(文脈)というもっと形式的な規約であろう。一つの「概念」も高次に構成され関係だ。

2012-05-28 08:42:26
佐藤正美 @satou_masami

SE たちにしてみれば、事業の姿を変形しようとした訳ではあるまい。構造的プログラミングの御蔭で構造化されて組まれていた事業の姿を正そうというつもりだったのであろうが、彼等の意図がどういうものであったにせよ、実際の仕事の上で彼等がやった事はクラス概念の乱用であったと云っていい。

2012-05-29 01:55:13
佐藤正美 @satou_masami

クラス概念は「論理」の上で使えば有効な技術であるが、諸概念を一縮する使いかたは、よほど「論理」の下地がなければできるものではないし、その下地のないままそういう使いかたに慣れてしまうと、私概念の夢を描き出す為の口実にすぎない乱用まで至るには唯の一歩だったと云っていい。

2012-05-31 15:50:31