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老人の歴史

古代ギリシャ・ローマ・中世の老人の歴史です
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@bukrd405

《老人の歴史》20世紀後半以前では、どの年齢層にとっても死亡率は高かったので、高齢者にとって子供が自分よりも長生きするという保証はなかった。18世紀、60歳の誕生日を迎えたヨーロッパ人の中で成人子が一人いたのは、ちょうど三分の一であった。

2012-06-04 21:53:17
@bukrd405

こうしたことから窺えるように、産業化以前の北ヨーロッパでは、子供の家で快適に援助される生活は高齢者にとって望みえなかった。南ヨーロッパでは地域によって多世代が一緒に暮らす形態が北ヨーロッパより広範にみられたが、これは親孝行の表れであると同時に貧困の結果でもあり、

2012-06-04 22:05:18
@bukrd405

(承前)この関係をロマンチックに受け止めるべきではない。高齢者は「かつての時代に比べ」尊敬されなくなっているという、現在でもまだ広く信じられている見方は、実のところ老年期と同じくらい古いものである。プラトンの『国家』の中でソクラテスの問いに対して老年のケパロスは、

2012-06-04 22:09:38
@bukrd405

(承前)「・・・身内の者たちが老人を虐待するといってこぼす者も何人かあって、そうしたことにかこつけては、老年が自分たちにとってどれほど不幸の原因になっていることかと、めんめんと訴えるのだ」と語っている。

2012-06-04 22:11:09
@bukrd405

18世紀後半になると、ブランデンブルク地域のいくつかの都市の城門には、「日々の糧を子供に頼り、不足に苦しむ者は、この棍棒でもって殴り殺されるべし」と刻まれた大きな棍棒が吊り下げられていた。

2012-06-04 22:17:11
@bukrd405

年齢だけで人が尊敬されたりされなかったりすることはまれである。何歳であれ人は自らの行為によって尊敬を勝ち得たり、富や権力によって服従を強制する。裕福な高齢者は、少なくとも表面上は尊敬されるであろう。貧しい老人は地域社会の中で世話されるか、放逐されるか、あるいは放置されたであろう。

2012-06-04 22:19:32
@bukrd405

17世紀、南ドイツの医者は、老いた女性が魔女と告発されるケースがなぜ非常に多いかを次のように説明している。「彼女たちは皆から不当なまでに軽蔑され、拒絶されている。親しみの情や思いやりはおろか、誰も守ってやろうとしない。その結果、貧困や欠乏、みじめさや気力のなさから、

2012-06-04 22:22:43
@bukrd405

(承前)往々にして悪魔に身をゆだね、魔術を施すようになるのは無理からぬことである」。70歳のある女性は魔女裁判の席で、「子供たちは老人すべてを魔女と呼ぶ」と供述した。老人は病気の治療法など特別な知識を持っていたから、高齢者特有の知恵として人々から評価されることもあれば、逆に、

2012-06-04 22:24:49
@bukrd405

(承前)魔術の決め手となる証拠として槍玉にあげられることにもなったのである。

2012-06-04 22:27:32
@bukrd405

歴史時代になるにつれて90代以上まで生きた人の証拠はたくさんある。認識しておくべき重要なことは、産業革命後の「人口学的転換」や20世紀における医学の進歩にもかかわらず、人間の寿命は歴史的過去と比べて実は大きく伸びていないのである。

2012-06-04 22:32:15
地雷魚 @Jiraygyo

@bukrd405 だいたい新生児死亡率次第やものな平均寿命。実はマンボウと同じで、たくさん産んで生き残りゃ育つってのを人間もやっとったってことだなー

2012-06-04 22:36:53
@bukrd405

@Jiraygyo 現代、平均寿命がのびたのは、乳幼児死亡率が低下したからなんですよね。古代から、幼児期を乗り切ると少なくとも60歳まで生きられる可能性は十分あった。

2012-06-04 22:43:05
地雷魚 @Jiraygyo

@bukrd405 動物も成体になると頑丈だしなー。人間も現代まで、その生存力は普通の動物と同じ構図なんだよね(笑)

2012-06-04 22:44:32
@bukrd405

包括的で信頼できる統計資料がないでの粗い推測になるが、紀元1世紀のローマ帝国の人口のうち6%から8%が60歳以上だったと思われる。まれではあるが、100歳以上の例もあった。

2012-06-04 22:34:23
@bukrd405

古代ギリシアでは子供が年老いた親の面倒をみることは法的、道徳的責任であった。唯一の例外は親に適切に育ててもらわなかった子供の場合で、世代間での相互的、互酬的性格が重視された。だから、父親から仕事を教えてもらわなかった者、庶子で生まれた者、父親によって売春婦にされた者は、

2012-06-04 22:37:41
@bukrd405

(承前)老親を援助する法的責任はないとされた。しかし、子供頼みのシステムには有益な面だけでなく否定的な面もなくはない。財布のひもを渡してしまうと、高齢者は子供世代に完全に依存することになり影響力を失ってしまう。アリストパネスの『蜂』では父親は幼児のような従属的立場に置かれている。

2012-06-04 22:40:25
@bukrd405

ローマでは家長は死の間近まで法的権限を保持していたとされる。ただし、認知症になれば話は別だった。家長がその力を家のために効果的に発揮する能力が問題視されると、家長の統制、管理の権限は抑制されることがあった。

2012-06-04 23:02:05
@bukrd405

実際ローマでは、息子は自分の父親の代理人となることで父親に対して法的制限を課してもらうことができた。もっともこれは極端な場合で、普通は現実的な対応、すなわち、父親が衰えていくにつれて子供が自立した立場で家の切り盛りをするようになっていた。

2012-06-04 23:03:46
@bukrd405

「老年期は、それに立ち向かい、権利を保持しようとし、人に依存するのを避け、最後の一呼吸まで自分への統率を訴える限りにおいて、尊敬に値するものとなる」――キケロ

2012-06-04 23:09:09
@bukrd405

中世・ルネサンス期の老人で、最も過酷な運命を負ったのは、男女とも年老いた賃金労働者たちだった。終身雇用されたのはごく少数だった(例として小学校の教師と召喚係)。彼らは、なすべき仕事ができなくなってからも、わずかな賃金を受け取り続けたと思われる。

2012-06-06 10:45:41
@bukrd405

時には、仕事と引き換えに、生活の糧を終身にわたり提供すること、自分の亡き後、妻にわずかな額の年金を支給することなどを、事前に親方と約束することもあった(例えば、ある修道院と「嵌めガラス窓」の専門家でもある有能な画家との契約、あるいは、僧院とそこの食糧供給者との契約)。

2012-06-06 10:48:12
@bukrd405

だが、多くの労働者は終身雇用されることはなかったし、年金を保証されることもなかった。遍歴職人はギルドの会員にはなれなかったし、決まった期間だけ、あるいは、特定の仕事のためだけに雇われ、日給か週給であった。将来のために貯蓄する余裕など無理であった。

2012-06-06 10:50:09
@bukrd405

そのため、引退はできず、可能な限り働き続けざるを得なかったし、自分の亡き後、妻に生活の糧を残すこともできなかった。女性の賃金労働者は、既婚、死別、単身を問わず、同じように働き続けた。例外は乳母と売春婦で、働ける期間は当然限られていた。

2012-06-06 10:53:08
@bukrd405

女性は男性よりも低賃金の仕事についていたので、老年期になって男性よりも悲惨な境遇にさらされた。

2012-06-06 10:53:22
@bukrd405

引退した夫婦(あるいは、未亡人か男やもめ)は主間から裏部屋か屋根裏部屋へ、あるいは敷地内の粗末な小屋に移り、新しい家長が母屋に住む。高齢者にとって、地位の変化を示すつらい象徴的出来事であった。教訓的書物には、生前に財産を相続させた高齢者の窮状についてたくさんの詳しい物語がある。

2012-06-06 10:58:23
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