跡もえでパロ

跡もえのパロ作品です
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@k5xm0e

それから少女は1人で生きた。戦争で犠牲になった人々の弔いをしながら、生きた。そうして彼女は天寿を全うしたわけである。が、果たして彼女は本当に幸せだったのだろうか?遺された日記を抱きしめ永い眠りについた彼女のみ知ることである。 #跡もえ でパロ【完】

2012-06-05 09:44:13
@k5xm0e

「けーご」 日記に書いてあったのはわたしの事ばかりだった。涙が次から次へと溢れてくる。馬鹿だな、けーご。けーご以外と幸せになれる訳がないじゃない。わたしは一生、けーごを想って生きるよ。ありがとう。たくさんのものを遺してくれて、ありがとう。 #跡もえ でパロ 

2012-06-05 09:40:53
@k5xm0e

どうか幸せになって欲しい。他を見つけて戦争が終わったら普通の家庭を作って欲しい。だけどほんとは悔しい。会いたい。会って話がしたい。そろそろ寝なくてはならない。まだまだ書き足りない。だけど最後に。来世では俺たちが結ばれますように。そう願いながら明日は飛ぼうと思う #跡もえ でパロ

2012-06-05 09:36:00
@k5xm0e

白無垢が綺麗だった事。結婚生活、短かったけれど幸せだった事。ああ、急に心配になってきた。米も炊けない世間知らずのお嬢様であるもえは1人で生きていけるだろうか。いつまでも俺が面倒を見るつもりだったのに、悔しい。けれど俺は死ぬ。もえの生きる未来を護るために死ぬのだ。 #跡もえ でパロ

2012-06-05 09:32:59
@k5xm0e

5月×日 明日は出撃である。榊上官に遺品の処分をお願いしたので、この日記は燃やされるだろう。安心した。明日に迫り、怖くないのが不思議だ。いろいろな事を思い出しては微笑む。たいていはもえの事だ。初めて会った日のこと。喧嘩をしたこと。笑いあったこと。 #跡もえ でパロ

2012-06-05 09:29:42
@k5xm0e

4月△日 夢の中でもえが泣いていた。だけど慰めてやれない俺。少し死ぬのが怖くなった。 5月○日 出撃の日が決まる。もえ、会いたい。ふいに志願を告げた日のことを思い出す。死ぬの?その問いかけが頭にこだまする。俺、死ぬんだ。今更になって実感。 #跡もえ でパロ

2012-06-05 09:26:12
@k5xm0e

4月×日 飛行訓練が激化。疲れた。俺が疲れていると、もえは抱き締めてくれた。それが今はない。ああ、会いたい。 4月○日 飛行機に乗ってみたいと戦争前にはしゃいでいたのをふと思い出す。いつかと約束したのに果たせそうにもない。すまねえ。 #跡もえ でパロ

2012-06-05 09:23:39
@k5xm0e

3月×日 日記を書くことにする。この日記は最後に燃やしてしまおうと心に決めているので素直な気持ちを書こうと思う。 3月○日 今日、食堂で蕎麦をたべた。もえが茹でた蕎麦が固かった事を思い出す。怒りながらも謝る姿が可愛い。会いたい。 #跡もえ でパロ

2012-06-05 09:21:06
@k5xm0e

「けれどこれは、君が持っている必要がある」 それから榊さんはそうとも言って帰って行った。けーごの遺した日記。開くのが怖い。けれど、わたしは部屋まで走るときちんと正座して、ページを開いた。 #跡もえ でパロ

2012-06-05 09:16:36
@k5xm0e

それからしばらくして榊太郎という人が家を訪ねて来た。彼はけーごの上官でけーごの遺品を届けてくれたのだ。遺品はやはり少なく、それが妙に寂しかった。 「これを君に」 帰り際、彼が一冊の日記を差し出した。 「本来ならば内容的に処分する必要がある」 榊さんはそう言った。 #跡もえ でパロ

2012-06-05 09:14:18
@k5xm0e

おばさまもおじさまも泣いている。わたしも泣いた。だけど 「跡部景吾、名誉の戦死でございます。まことに天晴れ!ばんざーい!ばんざーい!ばんざーい!」 けーごのお願いをかなえてあげたくて、わたしは泣きながら叫んだ。おじさまもおばさまも、同じように叫んだ。 #跡もえ でパロ

2012-06-05 09:08:25
@k5xm0e

お前が妻であって良かったと心から思っている。だからこそ、幸せになるように。泣いてばかり居らず、笑うように。俺はお前の笑顔が一番好きだから。最後になりますが、どうか皆様お元気で。 身はたとひ 海の藻屑とならふとも 九段に花咲く 桜かな 5月×日 跡部景吾 #跡もえ でパロ 

2012-06-05 08:56:39
@k5xm0e

それが何よりの供養です。そして母さん。どうかもえの事何卒よろしくお願いします。護ってやらねば消えてしまうような女です。どうか何卒よろしくお願いします。母さんに託していきます。もえ、母さんの言うことをよく聞くように。もう子供ではないのだから我が儘を言わないように。 #跡もえ でパロ

2012-06-05 08:52:26
@k5xm0e

父さん、母さん。出撃の日を晴れて迎える事となりました。親孝行など何もできず申し訳なく思っております。ですが出撃し皇国の為に散ること。これが最大の親孝行と信じ沖縄の空に飛びます。どうか悲しまないでください。報せを聞きこれを読んだら笑顔で天晴れ万歳と唱えて下さい。 #跡もえ でパロ

2012-06-05 08:49:05
@k5xm0e

そんなある日、恐れていた報せが届いた。けーごの、戦死公報である。あんなに温かかった人が、死んでしまった。還ってきたのは戦死を報せる一枚の紙と遺書だけ。遺骨すらこの腕に抱けない、なんて………なんて惨い。おじさまおばさまと相談して、遺書を三人で読むことにした。#跡もえ でパロ

2012-06-05 08:37:24
@k5xm0e

それからわたしは住み慣れた2人だけの家を売り払い、けーごのご両親と暮らし始めた。2人とも優しくて良い方だった。けーごは手紙をくれた。3日に一回は手紙をくれた。けれどそれは形式ばったもので、素っ気ないものばかりだった。ねえ、会いたいよ。声が聞きたいよ。 #跡もえ でパロ

2012-06-05 08:30:11
@k5xm0e

「跡部景吾君の活躍を願って、万歳三唱!」 も「けーご、身体に気をつけてね」 跡「ああ。手紙書く」 も「待ってる。武運長久、お祈りしております」 頭を下げて泣くのを我慢するお前。行きたくない、なんて言えなかった。どうか、お前が幸せでありますように。そう祈った。 #跡もえ でパロ 

2012-06-05 08:27:09
@k5xm0e

も「ほんとに志願したの!?」 跡「ああ」 も「………」 跡「すまない。だが「解ってるよ。わたしが我が儘ゆっても、仕方ないもん」 跡「………」 も「けーご、死ぬの?」 跡「そうだな」 悲しそうに笑うけーご。行かないで、なんて言えなかった。だけど、ほんとは。 #跡もえ でパロ

2012-06-05 08:21:09
@k5xm0e

特攻隊員に志願したのは年端もいかぬ少年たちであった。消えてゆく命。繰り返される涙を堪えた別れ。女は笑顔で万歳しながら愛した男を送り出し、男は愛した女のために散華する。それが世の常であった。これはそんな時代に翻弄されたある1人の青年と少女の物語である。 #跡もえ でパロ

2012-06-05 08:14:46
@k5xm0e

時は昭和。米国と戦を始めて約二年。日本には未だかつてないほどの窮地に立たされていた。このまま闘わずして属国になるか、それとも徹底抗戦をするか。そんな究極の選択の中で日本の人々が選んだのは、徹底抗戦だった。そうして生まれた作戦の1つが特攻隊である。 #跡もえ でパロ

2012-06-05 08:12:20