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茂木健一郎 @kenichiromogi
しゅりんくっ! ぷれいりーどっぐくん、おはよう!
茂木健一郎 @kenichiromogi
連続ツイート第621回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、心がざわざわする世相の中、ちょっと一服の「いい話」を。
茂木健一郎 @kenichiromogi
しれ(1)イギリスは「紳士」の国だという。そのことの意味が、ぼくにはよくわからなかった。お金持ちだからと言って、品性が高いとは限らない。ばりっと仕立てた服に、ステッキか何か持っていれば紳士かと言えば、そうでもないような気がする。結局、「紳士」って何なのだろう。
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しれ(2)イギリスに留学していたとき、ぼくのボスのホラス・バーローは、間違いなく紳士だったけれども、紳士の格好はしていなかった。いつもよれよれのズボンと服で、ポケットに小銭を入れてじゃらじゃらしていた。それでも、ホラスは正真正銘の紳士だった。
茂木健一郎 @kenichiromogi
しれ(3)紳士の資質の一つに、おおらかさがあると思う。世界や人間について、多くのことを知っているのである。だから、奇妙な振る舞いや、エキセントリックな感情に接しても、眉をちょっと動かすくらいで驚かない。そして、やり過ごすか、やんわりと無視する。本質的なことだけを見つめている。
茂木健一郎 @kenichiromogi
しれ(4)紳士のもっとも本質的な態度は、他人の理不尽な要求や議論に対して現れる。だまって、奇妙な話を受け入れるのである。相手が言うことが支離滅裂でも、顔色を変えずにそれを通す。その忍耐強さの中に、紳士たるものの資質があるように思う。だから、ボロを着ていてもいいのだ。
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しれ(5)一方、レディーとは何か。高い服を着ていれば、レディーであるわけではない。美しくないと、レディーになれないわけではない。イギリスでいろいろなことを観察しているうちに、ははあとわかった。レディーは、自分だけにおいてなるのではなく、他人との関係においてなるのである。
茂木健一郎 @kenichiromogi
しれ(6)どんな女性でも、相手の男性が彼女をレディーとして扱った瞬間に、レディーとなる。若くなくても、美しくなくても、きれいな服を着ていなくても、その女性に対して男性がレディーとして接したときに、彼女はレディーになるのである。
茂木健一郎 @kenichiromogi
しれ(7)映画『マイ・フェア・レディ』の印象的なシーン。ヒギンズ教授が、貧しい花売り娘のイライザを雑巾のように扱う。ところが、ピカリング大佐が、「どうぞ、腰掛けませんか、イライザ」と言った瞬間に、彼女はレディーになる。ボロを着ていても、レディーとして扱えば、レディーになるのだ。
茂木健一郎 @kenichiromogi
しれ(8)つまり、紳士とレディーは、合わせ鏡のように、共生する存在である。紳士は、経験や余裕に裏打ちされた忍耐強さを持っている。そんな紳士が、ある女性に対してレディーとして接すれば、その女性はレディーとなる。そこには、お金や服装、社会的地位に関する要件があるわけではないのだ。
茂木健一郎 @kenichiromogi
しれ(9)以上の紳士とレディーに関する考察は、現代の日本においてはおとぎ話だろう。心がぎすぎすしている。汚い言葉が飛び交う。怒号が支配する、そんな日本。しかし、だからこそ、紳士とレディーに関するフェアリー・テイルが必要だと感じる。諸君、紳士たれ。そして、レディーとなれ。
茂木健一郎 @kenichiromogi
以上、連続ツイート第621回「紳士たれ、レディーとなれ」でした。

コメント

おがたけ/ヒキーネ・コモリーダ👻🏳️‍🌈@埼玉県東松山市 @ogatakehikky 2012年6月11日
河合隼雄に続き、もぎけんもエッセイ芸に認定する。思いつくままのモギケンは、いっっつも、わっかりやすいジェンダー観がでてくるね。いつかの朝に、LGBTQIA......について、どんぞ。