朝まで生アニメ語り「RED GARDEN」
- terry_rice88
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この上手への層化の志向は後半、下手側の「省みるべきもの」の動きが増えることでいよいよ重いものとして印象されますが、私が開催の辞として引用したブレイクの詩のように、それは「“行きて愛せ、この地球上に何一つ助くるものがなくとも”」という志向なのです。 #REDGARDEN_Night
2012-06-12 02:13:37同じようにRED GARDENのラストシーンは、外的な状況を箇条書きにするとものっすごい救いもなんにもないひどい状態なんですけど、当事者である主人公たち5人の視点からするとあんなに救いに満ちた穏やかな結末はなかった。あれを描ききれたのがすごい。 #REDGARDEN_Night
2012-06-12 02:17:25下手側にあるものたち、例えばエルヴェにとってのアンナ、ケイトにとっての(リーズは知っていた)真実のエルヴェ、あるいは彼が垣間見た笑うアニムスとしてのケイト―そうしたものたちは知られないまま、戦いは終わりました。そして記憶を失う少女たちの周りに、 #REDGARDEN_Night
2012-06-12 02:19:50ブレイクの詩「行きて愛せ、この地球上に何一つ助くるものがなくとも」は実際に『RED GARDEN』本編中でも国語教師ニックの授業中に出てくるもので、その第八話のタイトルにもなっています。この回は、今を輝く岡田磨里さんが脚本を手掛けた回ですね。 #REDGARDEN_Night
2012-06-12 02:20:21風に飛ばされたリーズの灰から生えた赤い花が拡がっていく。彼らの確執であったものが消えてしまったなら、この戦いを生き抜いたことの意味は?私が生きて掴んだことが一切時の流れに消えてしまう―それは原アニムスたちが死を選んだ理由でしょう―それでも、 #REDGARDEN_Night
2012-06-12 02:25:44ただ話をアンナに戻すと、4人の中で唯一ケイトは発症前のアンナと会ってちょっと仲良くなっているんですよね。つまりエルヴェを駆り立てているものを一応理屈では理解できる立場にある。 #REDGARDEN_Night
2012-06-12 02:31:33「私の誕生を主催した(真の)天使」たちは言うのです―「(父の、母の、友の、兄弟たちの)歓びによって作られた小さな生き物よ/“行きて愛せ、この地球上に何一つ助くるものがなくとも”」。アンナを助けるものがいなくても、エルヴェが自分を見てくれなくても。 #REDGARDEN_Night
2012-06-12 02:32:04もしかしたら、この戦争がない別の場所で出会っていたら普通に仲良くなれたかもしれなかった。エルヴェとケイト、エルヴェとリーズも同じで、わざわざそのことを作中で示唆してる。その上で、でもケイトとエルヴェは最後壮絶に罵り合う。ひどい。 #REDGARDEN_Night
2012-06-12 02:37:46死んで蘇った少女たち。彼女の周りに広がる世界にはきっと、お前が何者であったとしても近づき、それを知ってなお手を離さないものがいるだろう。アニムスの周りの、人に過ぎなかった優しい男たちのように。あるいはもっと優しい男たちが。 #REDGARDEN_Night
2012-06-12 02:41:09RTの「真実のエルヴェ」を知っているというのは重要で、例えばこの作品はアニメ、ノベライズ、コミカライズで物語の結末が違うのですが、コミック版ではまさにそれを知ったケイトが描かれます。ノベライズもアニメ本編とは別の時間軸で展開するので結末は異なる。 #REDGARDEN_Night
2012-06-12 02:41:33そもそも最初の数話を見た感想が「すごいTRPGっぽい」という 恐らくプレスコ方式の雰囲気からそういう感じを受けたのだけど 特に主人公4人が戦闘中に駐車場で言い争うシーンでの言葉の「被り方っぷり」と、レイチェルとアマンダ達の会話における「被らなさ」 #REDGARDEN_Night
2012-06-12 02:42:38これが圧倒的に「プレイヤー同士の会話」と「NPC(GM)とプレイヤーの会話」の差のように働いている…のだがこれは後半で逆転する。 そもそも「セリフ」とは「聞き取って貰うため」に発せられてるものであり、それが「被って聞き取れない」というのは… #REDGARDEN_Night
2012-06-12 02:44:42エルヴェが抱きかかえてるアンナをエルヴェと一緒くたにして「バケモノ」とか「殺すしかない」とか口汚く言うんですよ。ケイトが。その前の段でルーラが死んだとき4人が涙するけど、あのへん何かストックホルム症候群的な極限状況下の心理機制な感じがする。 #REDGARDEN_Night
2012-06-12 02:47:43…「視聴者とキャラクター」におけるコミュニケーションの否定である。それはそのまま「主人公4人がまともにコミュニケートできていない」一方で「レイチェルとアマンダ達は意思疎通が上手くいっている」という表現でもある。 #REDGARDEN_Night
2012-06-12 02:47:55話は戻りますがプレスコはそれぞれの演技が基本となるので、例えばどのタイミングで他人の話に割り込むかなども次第に脚本側が掴んでいった、というような発言も制作裏話にありました。これは前述の服装と同じく、キャラへのスタッフの意識徹底として活きています。 #REDGARDEN_Night
2012-06-12 02:49:36で、先にツイートしたように後半でそれは逆転する。 「主人公達のセリフは被らず=コミュニケーションの不全は解消され」「レイチェルとアマンダの会話は聞き取り難く=サークルクラッシュを起している」ようになる。 #REDGARDEN_Night
2012-06-12 02:51:28あくまで人物たちの心情に丁寧に寄り添って、最後には4人にきちんと救いを与えようとするんだけど、その過程を描くために用意する外的な状況では徹底的に人間を突き放すっていうか虐めるっていう。紅でもローゼンでもそうだったけど監督ほんといい趣味してますよね #REDGARDEN_Night
2012-06-12 02:52:24ところで、雰囲気ぶち壊し(特に一期ED)とも言われてしまうエンディング曲ですが、僕はこれが本当に素晴らしいと思います。https://t.co/RNllogO3 何故なら、あそこで歌われている者たちこそ、このツイートで述べられている者だから。 #REDGARDEN_Night
2012-06-12 02:55:48