6月25日深夜
りょんってさ、ブログに「自分のこと」じゃなくて、「自分を形成するもの」のことを書くよね。(と、なんとなく思ったり。自分のとらえかたが外郭的というか)
2012-06-25 00:48:216月26日深夜
りょんは、一個人・三浦涼介としての自分と、芸能人・三浦涼介としての自分とが一致しすぎているんだと思う。
2012-06-26 01:12:41ぼろぼろ泣くのも、お花みたいに笑うのも、プリン食べられたくらいでぎゃんぎゃん怒るのも、外側から見た自分を演出して「ガワ・三浦涼介」を演じる・作る意識が希薄なんだろうなあ、と。悪く言えば幼児的な一方向視野、良く言えば虚構のなさ・純粋性の発露。
2012-06-26 01:18:26ああいう巫女タイプの役者をお見送りに引きずり出すのって、芝居ではなく役者を見に来させるイケメン舞台の宿命とはいえ、どうなんだろうね
2012-06-26 01:25:40「三浦涼介」と、「アンク」や「優」との間には、“同一の人間としての連続性”があまりないんじゃないか??と思う。だからこそあいつは、あんなにも、底の底から「アンク」であり、「優」であり、また逆に言えばそれらは、役の場が消失すると同時にこの世から消えてしまう人格である、ということで、
2012-06-26 01:31:58まあだからたぶん、お客に対しての感謝の念がない、というのとはまた少し違う、と思うよ。(特に、タレントやアイドルではなく「役者」であればあるほど、そういう特性は顕著であるように思う。←舞台役者追っかけの経験上)(つかあいつ、自分を見てくれる人ダイスキっ子じゃんw)
2012-06-26 01:41:21なんというか、「自分」と「役」との関係性において、“100%の一致”と“100%の乖離”が同時に存在している、という感じ。
2012-06-26 01:43:57大人の建前を身につけたって、あんたが地底湖の水のように純粋で嘘がないのは、みんな知ってるからさ
2012-06-26 01:49:486月26日昼間
演技のままで幕が下りる舞台ならまた違ったのかもしれないけど、バンビーノはダンスで終わるので、ほら、あれのダンスは女の神…弁天様やメデューサが降臨なされてるから(汗)
2012-06-26 09:27:40