20120630 #IWJ_EHIME 福島県浪江町在住 杉本祐子さんお話会 愛媛県三間町

三間町隣保館で開催された、「耳なしウサギ」をYouTubeにアップした福島県浪江町在住の杉本祐子さん( @ikarostayuu )の講演会。主催は「うわじま こどもとみらいを考える会」。
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ほんのこ @shbttsy74

10時から、福島県浪江町の杉本祐子さん講演会うぃる。UST中継なしですが、実況します。#IWJ_EHIME http://t.co/BjYEe5oq

2012-06-30 09:23:00
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ほんのこ @shbttsy74

展示資料1、杉本さん自宅付近の放射線量地図。近くにDASH村。 #IWJ_EHIME http://t.co/v9hDjV06

2012-06-30 09:33:08
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ほんのこ @shbttsy74

展示資料2、杉本さん自身が調べた線量の記録。 #IWJ_EHIME http://t.co/xlTc0B0S

2012-06-30 09:34:48
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ほんのこ @shbttsy74

展示資料3。杉本さんの内部被曝測定評価報告書。「国の定めた基準値以下ならすべて不検出。はっきりした値は行政以外に頼って知るしかない」 #IWJ_EHIME http://t.co/DwSW89jv

2012-06-30 09:37:57
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ほんのこ @shbttsy74

展示資料4、「通販生活」に3.11以前に掲載されていた記事。杉本さんが切り抜いて持っていたもの。 #IWJ_EHIME http://t.co/JBoKxhMx

2012-06-30 09:39:26
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ほんのこ @shbttsy74

杉本祐子さん( @ikarostayuu ):昭和30年山形県鶴岡市出身。上京し、28歳で8時間耐久レースのBMWチームのヘルパーに。その後福島に単身移住。3.11福島原発事故後、飼っていたうさぎが耳のないうさぎを出産したことをネットで公開。 #IWJ_EHIME

2012-06-30 09:51:38
ほんのこ @shbttsy74

このあと10時から、福島県浪江町の杉本祐子さん講演会です。 #IWJ_EHIME http://t.co/m9FjMcRL

2012-06-30 09:58:00
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ほんのこ @shbttsy74

杉本さん講演会、主催は「うわじま こどもとみらいを考える会」。3.11事故後に立ち上げ。これまで3回の講演会を開催。本日展示の資料はすべて杉本さん所有のもの。 #IWJ_EHIME

2012-06-30 10:00:23
ほんのこ @shbttsy74

杉本さん「はじめまして。今のところ唯一、計画的避難区域に住んでいるということで、ジャーナリストの方々が様子を見に来てくれる。3.11の地震があり、国道に車が並び皆中でぐったり。避難所に入ろうとしたら人がいっぱい。あれじゃ寝れないだろうという状態」 #IWJ_EHIME

2012-06-30 10:02:22
ほんのこ @shbttsy74

杉本さん「自宅に布団を敷いて人を受け入れようとしたが、町役場は『間に合ってます』と。頭にきた。消防団にそれを話すと『じゃあオレが人を探してくるよ』と。翌日毛布を抱えた人がやってきた。『ああ、布団があるんだ』と。次の日、その人が家族も連れてきた」 #IWJ_EHIME

2012-06-30 10:04:01
ほんのこ @shbttsy74

杉本さん「その男性が言うには『町に出たら自衛官が立っていた。上から命令が出ないと何も教えてくれない。なんだかわからないが、町に人がいなかった』避難所では、一掴みのおにぎりを、これじゃ足りないと奪い合いしている風景もあったという」 #IWJ_EHIME

2012-06-30 10:05:25
ほんのこ @shbttsy74

杉本さん「取り残された方々の所を自衛官がまわると、50人ほど見つかったらしい。後から後からいろんな話を聞いた。14日に、原発から8kmほどの所で爆発音を聞いた人も。何も情報がない。ウチは停電しなかったので、テレビのニュースは見られたが」 #IWJ_EHIME

2012-06-30 10:07:20
ほんのこ @shbttsy74

杉本さん「12日に固定電話が切れたので、インターネットは見られなかった。14日、避難してきた人たちのために家の外に出て修理。そうしたら、顔がヒリヒリしてきた。顔が真っ赤に。夕方にテレビつけたら3号機の爆発映像。それを早く流してくれたら出なかった」 #IWJ_EHIME

2012-06-30 10:08:30
ほんのこ @shbttsy74

杉本さん「メガネをかけていても中に霧雨が入ってくる。粘っこい雨。そんな感じで14日は終わった。15日、別荘に入っていた浪江町の職員、国道を見るとぞろぞろ車が上がってくる。引き受けた夫婦に食事を出していたら、携帯にメール。『町の指示で避難したの?』」 #IWJ_EHIME

2012-06-30 10:09:58
ほんのこ @shbttsy74

杉本さん「すれ違ったのは、白い防護服を来た自衛官たち。立ち止まったり何か話そうとしたりもしない。映画で見る近未来のよう。危ないぞと思って家に帰った。二本松のどこに避難したのかわからない。あとで知ったが、その人たちは線量の高い所に避難していた」 #IWJ_EHIME

2012-06-30 10:12:38
ほんのこ @shbttsy74

杉本さん「330μSv/時なんて、知っていたらそんなところにはいかないのに。当時はそんな情報は一般には流れない。私は携帯メールで情報を送ってもらっていた。『浪江150(μSv)』という数字もあった。高熱を出して、逃げるに逃げられない」 #IWJ_EHIME

2012-06-30 10:14:21
ほんのこ @shbttsy74

杉本さん「診療所が再開したので薬をもらいに行き、避難所にも行った。毛布をたたんだ状態で皆が川のようになって寝ていた。周りを見回したが、作業服を来た人も。裸足でサンダルの人も。支援物資が作業着だけだったので、それで寝ていたという」 #IWJ_EHIME

2012-06-30 10:15:27
ほんのこ @shbttsy74

杉本さん「一旦家に戻って、使いふるしのカレンダーの裏に、自分が知った情報を書いて持っていった。16日まで濃い線量の所にいた人の話。服が被曝していて着るものがない、着るのが女物のスーツしかなかったと。表面だけ測るスクリーニングで体は被曝してないと」 #IWJ_EHIME

2012-06-30 10:17:34
ほんのこ @shbttsy74

杉本さん「津波で命からがら逃げてきた人の話。第一波で足が埋まって、なんとか逃げようと思ったら、すぐそばに女の人が腰まで埋まっていた。汚泥をなかなかかいていけない。周りで埋まっている人たちが『助けてくれ―』と。『ごめんなー』と言いながら逃げてきた」 #IWJ_EHIME

2012-06-30 10:19:01
ほんのこ @shbttsy74

杉本さん「『犬の首輪をつないだまま逃げてきたから、自衛官にせめて首輪を外してきてくれと頼んだ』という人も。ジャーナリストが入った時に困るから、道路端の遺体はキレイに片付けられていた」 #IWJ_EHIME

2012-06-30 10:21:05
ほんのこ @shbttsy74

杉本さん「遺族が東電に損害賠償をしたが、当たり前だと思う。原発事故がなければ助かったかもしれない人たち。結局だんだんと皆で避難を続けている間に、グチも出てくる。あと1年で家のローンが終わるところだったとか。戸を開けたら中にキノコが生えていたとか」 #IWJ_EHIME

2012-06-30 10:22:38
ほんのこ @shbttsy74

杉本さん「牛やら豚やらが、避難中の家に入り込んで、住める状態ではない。いっそ津波で全部流されたほうが諦めがつくとも。3月11日、家の鍵も開けっ放しで『集まれ』と言われて集会所に集まり、すぐにバスで避難させられた人たち」 #IWJ_EHIME

2012-06-30 10:24:14
ほんのこ @shbttsy74

杉本さん「その後二本松の人に聞いたら『避難民はすぐわかる。体が臭いから』そういう目で見られていた。私は諦めて家で普通の生活をしていたが、郵便も宅急便も来ない。線量計をやっと4月11日に手に入れ測ったが、それがあっているかわからない」 #IWJ_EHIME

2012-06-30 10:26:01
ほんのこ @shbttsy74

杉本さん「あちこち測ってみたら、雪がいつまでも溶けない日陰に行くと10数μSv出る。当時線量計を持っている人はほとんどいなかった。郡山に行くと『ウチも測ってくれ』と言われた。測ると、家の前で1μSv。中で0.4μSv。『0.4なら薄いな』と喜ぶ」 #IWJ_EHIME

2012-06-30 10:27:53