IMAI さんによる 第1回 学ぼう音楽史
#学ぼう音楽史 トルバドゥールの活動は11世紀後半にはじまり、世代を重ねながら13世紀のはじめごろまで続きます。13世紀にトルバドゥールの活動が終わるのは、南仏でおこったアルビジョワ戦争の影響もあったというようにいわれています。
2012-09-01 21:41:13#学ぼう音楽史 あ、そうそう。いうの忘れてたけど、さっきのベルナール・ド・ヴァンタドルンの歌は、テキスト24ページに載っている楽譜『陽の光を…』です。
2012-09-01 21:42:39#学ぼう音楽史 もうひとつ、別の歌を紹介しときます。 http://t.co/SvaAYZYx http://t.co/VOY4TLBO 同じ歌で演者違いです。
2012-09-01 21:45:20#学ぼう音楽史 続いてはトルヴェールに移ります。トルバドゥールに100年ほど遅れて北フランスに現れたとあります。基本的にトルバドゥールに大きくは違わないけれど、歌われるテーマがより広くなり、洗練されたとあります。これは時代が下ったことも関係してるんじゃないかと思います。
2012-09-01 21:48:49@imait 演者によっても違うとはいえ、なんとも懐かしい響き。かつ、オリエンタルというか、透明で、柔らかい響き。現在と、時の流れが違う感じさえしますね。 #学ぼう音楽史
2012-09-01 21:51:42#学ぼう音楽史 もうひとつ紹介。「トルヴェールの最後を飾る歌人として知られるアダン・ド・ラ・アルの牧歌劇『ロビンとマリオンの劇』」 http://t.co/VdvriCp7
2012-09-01 21:55:18#学ぼう音楽史 トルヴェールの活動は、ピュイと呼ばれる市民による歌唱団体に受け継がれていったとのこと。この展開は、ミンネゼンガーが市民階級によるマイスタージンガーに移行していったのに似ています。
2012-09-01 21:56:48#学ぼう音楽史 トルバドゥールやトルヴェールの歌曲は、騎士歌人によって演奏されたわけではなく、ジョングルールという地位の低い実演音楽家によって演奏され歌われました。作る人と演奏する人が違うという状況は、中世に既に存在していたというわけです。
2012-09-01 21:59:08#学ぼう音楽史 さて、ドイツに移りまして、ミンネゼンガーです。テキストによると「前二者よりも道徳的、宗教的色彩が濃くなった」とありますが、ミンネという語はもともと騎士道において重視されていた宮廷風恋愛のことであり、ミンネザング、恋愛歌がもともとの由来なんですね。
2012-09-01 22:02:17@imait 何だかトルヴェールは二回の方は、全く違う文化にすら感じました。現在のケルトとアラブや北アフリカの音楽が混ざったような感覚です。 #学ぼう音楽史
2012-09-01 22:03:47#学ぼう音楽史 ただ、一言にミンネ、恋愛といっても、より精神性を重視する「高いミンネ」というものが尊ばれたとのことです。官能的なものは「低いミンネ」とされました。
2012-09-01 22:04:21#学ぼう音楽史 ミンネゼンガーの歌を紹介します。テキストに譜例の載っている、ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデによる『パレスチナの歌』です。 http://t.co/Xl7RY24D http://t.co/FRZcDyxm 演者違いです。
2012-09-01 22:06:48#学ぼう音楽史 以上、騎士階級による歌でした。これら騎士歌人たちの活動は、14世紀ごろに騎士階級の没落とともに衰え、同時期に勃興してきた都市の市民階級に受け継がれるかたちで終わりを見せます。
2012-09-01 22:10:36#学ぼう音楽史 ミンネゼンガーの活動を受け継いだ市民は、先程トルヴェールの最後に触れましたピュイに似た歌唱学校を設立しました。マイスタージンガーの全盛期は15から16世紀ころ。17世紀には衰退したそうです。
2012-09-01 22:18:29ワーグナー以外の設定にしたらあるかなぁ?これから子どもの風呂入れで離脱するので、後で探してみます。音楽系の方、求むフォロー!RT @imait: #学ぼう音楽史 マイスタージンガーの歌曲の実演は、ワーグナーばかりがひっかかるせいで、見付けられませんでした。
2012-09-01 22:18:53#学ぼう音楽史 マイスタージンガーによる歌曲は、聖書に関連するものが多く、他に、政治的なもの、風刺的なもの、そして戯れ歌や舞踏歌なども見られました。
2012-09-01 22:21:31@rider_kiyo それが、もう、びっくりするほど出なくてですね、というか、wagnerを外すよう指示しても、それでもワーグナーのが出てくるんですよ。
2012-09-01 22:24:06