【義詮ちゃんの日本史講座】 *摂関家は続くよどこまでも
- sukemori_t
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俗に言う藤原摂関家は、その最盛期を築いた藤原道長の子孫である御堂流の流れが、摂政・関白職を歴任し、独占したことからそう呼ばれていますね(・∀・)
2012-07-01 14:00:59その御堂流が最初の大きな分裂の危機を迎えたのが、大河ドラマの中でも描かれた、藤原忠通VS藤原頼長の兄弟対立でした。結局頼長が失脚し、ここでの分裂は阻止されたのですが……(・∀・)
2012-07-01 14:01:25ああ、それなのに!忠通の息子達の時代、摂関家は近衛家・松殿家・九条家の三つに分裂します(・∀・)摂関クオリティ!そこに痺れる憧れる!
2012-07-01 14:01:44忠実ー忠通ー基実ー基通(近衛家)
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|_基房(松殿家)
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|_兼実(九条家)
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|_慈円
基実正室→ 清盛女 盛子(白河准后)
基通正室→ 清盛女 寛子/完子
忠通の長男であった基実(近衛流)が、若くして亡くなったことから、次男である松殿基房が中継ぎ的に後を継ぐこととなったのです。やがて家督は基実の嫡男、基通に譲られるはずでした。またこのパターンですねー(*´∀`*)
2012-07-01 14:02:13当然松殿基房は、近衛基通と家督をめぐり対立します(・∀・) この時基通の背後には、すっかり厨二が抜けて信西より真っ黒になった院政期のフィクサー平清盛、基房の背後には今様バカ一代ごっしーがいたりなんかして、とっても泥沼ムード(・v・*)
2012-07-01 14:02:33この対立関係を背景に、清さんと松殿基房は色々な事件で争うのですが、そのへんは長くなるから省略(・∀・) 殿上乗合事件とか、当事者の資盛卿にお伺いするのがいいと思うの。
2012-07-01 14:03:52ま、結果的に清さん存命中は松殿基房はこてんぱんにやられちゃって、親平家派な近衛基通が、平家の傀儡として摂関を取り仕切るわけなのですが、ここで……
2012-07-01 14:04:23親平家派な近衛基通は失脚。ここぞとばかりに松殿基房は権勢復活も目指して、入京した木曽義仲と結びます(・∀・) そこ死亡フラグ言わない。
2012-07-01 14:05:06木曾殿は松殿の姫を正室に迎えました。
とにかく、木曽殿の天下が長くは続かなかったのは、日本史の教科書通り(・∀・)ここで摂関家のもう一人の主役、九条兼実が登場します。
2012-07-01 14:06:09忠通のもう一人の息子である兼実でしたが、平家とは仲が悪く、かといって兄の松殿基房とも仲が良いわけでなく、中央政界のから外れて過ごしていたのですが、ここにきてその立場を頼朝様が必要とするのです(・∀・)
2012-07-01 14:06:27親平家な近衛、木曽を担いだ松殿、頼朝様と結んだ九条の構図が、出来上がるのですね(・∀・)ですがまあこの後、松殿流は完全に沈黙。没落し断絶して、歴史の闇に消えてゆきます。
2012-07-01 14:07:20九条はこの後も鎌倉と強い結び付きを見せ、頼朝様と対立したこともありましたが、三代将軍実朝が暗殺された後には、九条家から新たな将軍を鎌倉に送り出すことになったり。それはまた別のお話だから今度ね(・∀・)
2012-07-01 14:07:47。oO(そのためには坊門姫の存在が不可欠!)
親平家派であった近衛家でしたが、摂関家の伝統的領地の大半を所有するなどしていたため、松殿のように消え去ることはなく、承久の乱で冷静な振る舞いを見せて、九条と張り合ってゆきます(・v・*)
2012-07-01 14:08:07五摂家は中世・近世・明治大正昭和と、日本史の様々な局面で顔を出し続ける一族(・∀・)大河ドラマでもそんな一族の歴史に思いを馳せてみてはどうかな?
2012-07-01 14:09:24