津島原発建設計画への反対運動
町見漁協が定期総会で「原発絶対反対」を決議してから町見漁協が定期総会で「原発絶対反対」を決議してから28年、97年10月9日付け愛媛新開「悩む巨大プラント/伊方原20年」の中で、松田組合長の長男、松田文治郎さんは定期総会後の父親の行動を、回想して次のように語っている。
2012-07-10 23:15:33「(組合長だった父親は総会後)その足で八幡浜市の四電伊方原子力建設準備所に行き『漁業権は売らない』と通告し計画はとん挫するはずだった。そうしていたら原発はなかったかもしれない。骨肉の争いも、相次ぐ事故も。だが、そうならなかった。
2012-07-10 23:15:52『あの騒然…とした中の反対決議を四電に通告すべきか否か(有効か無効か)、大事やけん、よう考えて〇か✕を書いてわしの自宅に郵送してくれ』。父は総会後開いた理事会でこう言い、散会した。通告引き延ばしにかかったのだ。翌日には理事全員から返事がきた。八通すべてが〇。
2012-07-10 23:16:21その晩親子で飲んだ。「文治郎よ、わしは通告せんつもりよ。ここで通告したらどうにもならん。どういうことぞ。みんな〇で返事が来とる。結果を知っとるのはわしだけじゃ。わしを入れて九票。皆には〇が二票、よって反対決議は無効で通告せん、と伝える。」
2012-07-10 23:16:56彼は「当初はほんとに安全を信じていたし、人口減の歯止めになると思っていた。しかし、過疎化の歯止めにもならなかったし、安全でもなかった」と原発誘致に力を注いだ現職を退いた後、原発に不信感を抱き始めたことを率直に語った。
2012-07-10 23:47:24その彼が突然、「ワシはいつ死ぬかわからん。あなたに渡しておく」と、風呂敷づつみを筆者の勤めるローカル紙の事務所に持ち込んだ。それは伊方原発一号炉誘致当時の文書の山だった。
2012-07-10 23:47:3471年12月に開かれた臨時総会の裏舞台を示す資料も含まれていた。「町見漁協総会/行動計画/総会開催 S46.12.26(日)9時/会場 伊方町町見支所階上町見公民館/編成配置」 表題がペン書きされたマル秘印が押されたA4サイズの綴り。
2012-07-10 23:48:11「社外関係」と書かれた文書、「極秘」の印の押された会場周辺の見取り図や「町見漁業協同組合名簿」と題したものと合わせて八枚だった。用紙は四電の専用レポート用紙を示す「四国電力株式会社」の文字とともに、八幡浜市内に存在する印刷会社名が欄外に印字。
2012-07-10 23:48:31「会社関係総員37名=女子を含まず/準備所28名/本店2名/松山2名/松山(電)3名/宇和島(電)1名/八幡浜(営)1名」と書かれ、その下に枠どりで縦列に「対策本部」「準備所班」「道路班」「たちばな班」「汐屋班」と区分けされている。
2012-07-10 23:49:45「社外関係」の文書も四電のレポート用紙で、枠どりで任務や氏名欄など内容は、同じだった。つまり、総会前日から、漁協役員、四電職員、県職員関係者は会場周辺に宿泊し、翌日の総会に備えていたのである。
2012-07-10 23:50:02@fuuasumma 金に目が眩んだ亡者ばかりだから、言っても無駄かもしれない。それでも言わざるを得ない。せめて最終局面を迎える前に、福島に行ってその惨状を見、悲惨な避難生活を送る被害者から話を聞いてほしい。そうすれば、引き返す勇気が生まれるかもしれない。
2012-07-10 23:50:47「道路班」携行品外が「トランシーバー1、双眼鏡2、配車も「ハイヤー2とし、備考欄に「総会開始後、汐屋に合流」と明記されている。トランシーバーは携帯電話のない時代としては、遠くに離れているもの同士が話し合うのに重要な機器。
2012-07-10 23:50:59「汐屋」は、町見(九町)地区がまだ海路が主要路だった町見村時代、定期航路の発着場のあった港にあった。かってこの村が海で栄えていた時代を偲ばす姿を残した旅館だった。今では、電話帳にまで「伊方発電所宿泊協力店」と明記するほど、原発に力を入れている。
2012-07-10 23:51:16「社外関係」をめくり、「奥田班」に目を通すと「会場の状況および必要項目をたちばな班に連絡」の任務を負い、当時の原発誘致の住民工作のウラ舞台で動き回っていたと言われていた融心会役員や町見漁業組合長の息子(松田文治郎さん)らの名前とともに、四電社員の名前が明記されていた。
2012-07-10 23:51:43それは、余りに酷い。“@fuuasumma: 刀折れ矢尽きるように、いや住民ははじめから刀も矢も持たず、ある時は警察に弾圧され、ある時はだまされ、ある時は私財を抛ったあげくに倒れていった。”
2012-07-10 23:52:05ここに明記されていた四電社員(当時、原電建設準備所PR係長)は原発問題が起きるまで、八幡浜営業所の技術職員で、義父より若いこともあって平職にあった。が、営業所勤務から原発誘致担当にバッテキされた彼は、持ち前の雄弁さで住民工作に活躍し、退職時には役職の地位に出世
2012-07-10 23:52:06「町見漁協/原電設置賛否一覧表」とマル秘の印が押された文書。「全組合員の場合」「正組合員のみの場合」など二つに大別され、その下の枠に◎、◎、○、さらに「請」、同要、△、×、亡、転の欄が全組合員、正組合員別に細かく分類。
2012-07-10 23:52:53○は賛成、請は臨時総会召集請求書、同は同意書、要は要望書、△は態度保留、×が反対、亡が死亡、転が転出である。 ◎、◎に付いての説明はなかったが、後で示す個人調査文書からして、賛成の強弱を示したものと見られる。
2012-07-10 23:53:15縦列には「伊予灘側」「宇和海側」と組合員が属する12の集落名が記され、組合員の人数やその動向が、一目でわかるようになつている。「46.8.4」の文書には「態度不明組合員については、8/12までに賛成工作を実施し、8/13その結果を集約する」との指示も書かれている。
2012-07-10 23:53:50「町見漁協組合員名簿/46.9.13」の表題の文書は、8ページまでページが記入され、199人の名前が集落別に、さらに漁業の種類別に書かれていた。
2012-07-10 23:54:26