相良カヨ「被爆者とABCC」④

宗教学者 島薗進氏のツイート第4弾です。 第3弾までは、以下をご覧ください。 http://togetter.com/li/333946
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島薗進 @Shimazono

1相良カヨ「被爆者とABCC」④核被害につき診療せずに調査する体制の形成。45年9月に設立されたアメリカの「日本での原子爆弾の効果・影響を調査するための軍合同委員会」はヒロシマ陸軍病院宇品分院に本拠を置き、宇品分院、日赤病院、逓信病院、鉄道病院、県立病院で資料収集を行った。

2012-07-13 09:24:21
島薗進 @Shimazono

2相良カヨ「被爆者とABCC」④核被害につき診療せずに調査する体制。10月下旬からは「横川、尾長、観音の3地区の小学校などに生存者を集め検査と調査を行った。」これらは「保存のための処理をされ、箱詰めにされて米本国の陸軍病理研究所へ発送された」さらに日本人科学者に資料提供を求めた。

2012-07-13 09:24:46
島薗進 @Shimazono

3相良カヨ「被爆者とABCC」④45年12月初旬にイエール大の病理学者で軍医中佐だったリーボウ(Averill Liebow)は京大の天野重安教授を訪ね被爆者の研究資料の提供を要求「もちろんそれらの資料が、原爆災害研究に役立ち、なおも苦しんでいる被爆者救援に有用というのなら」

2012-07-13 09:25:51
島薗進 @Shimazono

4相良カヨ「被爆者とABCC」④「日本人も喜んで資料を提供しただろう」しかし、11/30にはGHQのハリー・C・ケリーが学術研究会議の原爆災害調査特別委員会の第1回報告会で研究発表を禁止していた。天野教授が「一旦渡してしまえば手元に帰ってこないと危惧したので」「発表前に

2012-07-13 09:26:40
島薗進 @Shimazono

5相良「被爆者とABCC」④「研究資料を持ち出すのは徳義に反する」と断った。これに対してリーボウは「自分の行為は作戦行動の一部だから、よく考えて返答してもらいたい」と脅した。結局、天野教授は「軍事上の事情から資料の分与」を受け入れざるをえなかった(『医師たちのヒロシマ』p66-)

2012-07-13 09:27:14
島薗進 @Shimazono

6相良カヨ「被爆者とABCC」④持ち去られた資料による『報告書』6巻1300ページは46年9月刊。そこで明らかにされたのは「原爆の破壊力のうち特に人的破壊力の調査であった。それは、原爆の標準殺戮率(SKR)、標準障害率(SCR)、放射線被曝線量と生存率との関係、急性放射線障害と」

2012-07-13 09:27:47
島薗進 @Shimazono

7相良カヨ「被爆者とABCC」④「それに及ぼすシェルター効果、原爆の急性効果」に」重点を置くもの(中川保雄「広島・長崎の原爆影響研究」『科学史研究』vol.25)だった。この調査を受け継ぎ発展させ長期的研究を進めるためにABCCが必要と考えられた(オーターソンの学術会議宛書簡)。

2012-07-13 09:28:21
島薗進 @Shimazono

8相良カヨ「被爆者とABCC」④以下、相良の示唆に基づく島薗の理解。アメリカが資料を持ち帰ったことは、日本の科学者の検査・調査に基づく治療の手がかりを奪うもの。以後、アメリカに依存せずに研究するのが困難になった。当然、現地で診療しながらデータを集めることができるはずの

2012-07-13 09:28:52
島薗進 @Shimazono

9相良カヨ「被爆者とABCC」④地元の医師たちと協力して、調査・検査と診療を結び付けることも困難になった。この体制はしかし、加害側の軍事的立場にはたいへん都合がよいものだ。被害に関わる資料を体制側が掌握し、その意志にそった対処を進めることができる。置いてきぼりは誰か?

2012-07-13 09:29:15
島薗進 @Shimazono

10相良カヨ「被爆者とABCC」④地域住民、地元の医師たち、つまりは被害者の側に立ち、その治療や健康増進のために日々、努めている人たち。彼らはその方策のための科学的データから切り離されることになった。これはビキニ核実験被害に、そして放医研体制に引き継がれる。

2012-07-13 09:29:29