機動戦に見る『名将夏侯淵』

機動戦を成功させるためには何が必要か?を考えると夏侯淵の凄さがわかる
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地雷魚 @Jiraygyo

演義や無双のイメージでは信じられないでしょうが、曹操軍で一番派手で華麗な戦争を展開させるのは夏侯淵です。この人の機動戦は本当に胸がすくような思い切りのよさがある。彼を斬った黄忠がいきなり関羽張飛と同格の後将軍に取り立てられるのも無理は無い。

2012-07-12 13:05:04
お菓子っ子 @sweets_street

【RT】夏侯淵は敗死後に曹操に批判され、行軍の速さを評価されたことも相まって、知恵の足りないせっかちな猛将と思われがちです。しかし、速い行軍は兵を鍛え上げて的確に兵を動かす知将だからこそできること。涼州平定戦では縦横無尽の知謀で韓遂や羌を手玉に取りました。夏侯淵は知将なのです

2012-07-12 13:14:10
お菓子っ子 @sweets_street

素早い行軍をするには、まずみっちり兵を鍛えて重い装備を付けて速く移動しても疲労せず、脱落者を出さずに隊列を維持できる将兵を育てないといけないです。さらに、最短の行軍ルートや必要な日数を計算。行軍速度を落とさない補給体制を組む必要もありますね。まさに兵法を知る名将の仕事なのですね

2012-07-12 13:32:26
お菓子っ子 @sweets_street

戦争がない時の指揮官が何をしているかと言えば、兵の生活環境を整えて体力や気力を養い、訓練で鍛え上げて部隊を強くすることです。つまり、平時には鍛えるために兵を動かし、戦時では戦うために兵を動かすのです。だから、用兵に長けた指揮官は兵を鍛えるのが上手で、名将の率いる兵は精鋭なのですね

2012-07-12 13:39:57
お菓子っ子 @sweets_street

だから、強行軍と言えるような日程で動かしても兵がへとへとにならず、到着するや否や驚き慌てる敵を攻撃できる夏侯淵の用兵は、平時に丹精込めて兵を育て戦時になると素早く整然と兵を動かして、準備ができてない敵の隙を突く兵法の見本と言える用兵なのです

2012-07-12 13:51:52
お菓子っ子 @sweets_street

鍛え上げた精鋭を素早く動かして敵の意表を突いて勢いで圧倒するというのは、曹操が得意とした用兵でもあります。曹操の戦争には動きが良い精鋭部隊が必要だから、軍規を厳しくして強兵を作り、幕僚組織を整備して事務処理を迅速にし、韓浩・許褚・曹純のような優秀な武将に直属部隊を指揮させたのです

2012-07-12 14:02:15
お菓子っ子 @sweets_street

名将は兵の鍛錬や待遇改善にはものすごく熱心なんですよ。平時から丹精込めて面倒見てるから、戦時になると兵が勇敢に戦うんです。そうなると臆病な普通の兵では歯が立たないですね RT @shinsiteki フリードリヒ大王がまさにそんな感じですね

2012-07-12 14:05:46
お菓子っ子 @sweets_street

飯食わせたら兵は集まるけど、集まった兵に命を張らせるには、しっかり面倒見なきゃいけないんですよ。厳しく鍛えて、手厚く待遇する。それが重要です RT @kasiggggg_1107 @shinsiteki 呉起もそうでしたっけ。老婆が泣いちゃいますね・・・。

2012-07-12 14:09:19
地雷魚 @Jiraygyo

史書の彼の戦果見れば「白地将軍」なんて言えんぞ。攻めの妙才と守りの元譲あっての曹操軍だ。 RT @Inabaku: @Jiraygyo 曹操にとっては、淵は「白地将軍」扱いですか。曹操にとっては惇の方が替えの効かない重要な人材だったんでしょうね。淵は不幸。

2012-07-12 13:13:51
地雷魚 @Jiraygyo

夏侯淵が「白地将軍」が呼ばれていたというのは後世が夏侯淵が劉備に討たれたことから広げた「オモシロ異名」だと思う。普通に優秀な司令官だし、彼の冗談みたいな活躍がなかったら、難治の地である涼州と羌族が治まるわけなかったし。それ以前の活躍も申し分ないしな。

2012-07-12 13:17:21
地雷魚 @Jiraygyo

夏侯淵は曹操の就いた「典軍校尉」と曹操が憧れた「征西将軍」という地位に就いており、個人的な彼に対する思い入れの深さがうかがえる。中央や近くに駐屯している夏侯惇に対して、そういう自分が思い入れのある将軍号を与えて夏侯淵に励みを与えていたのだろう。

2012-07-12 13:27:41
haly @bb_sabure

@Jiraygyo 白は方角としては西ですし、征西将軍と掛けた駄洒落だったのかもしれませんな。白地将軍は西の地を大いに平らげた夏侯淵という言葉遊びで。「夏侯淵は白地将軍」「ねーよ…ハッ、征西将軍」みたいに曹操が人の反応見て楽しんでたのが後で悪い意味で残ったとかいう感じで。

2012-07-12 13:32:59
地雷魚 @Jiraygyo

ああ、方角と色では確かに面白い指摘だねえ。夏侯淵の活躍の場と合わせてまこったのかもねー。 RT @bb_sabure: @Jiraygyo 白は方角としては西ですし、征西将軍と掛けた駄洒落だったのかもしれませんな。白地将軍は西の地を大いに平らげた夏侯淵という言葉遊びで。「夏侯淵は

2012-07-12 13:34:38
地雷魚 @Jiraygyo

そもそも、軽兵を率いて長駆急襲をかけるというのは、自分の戦死を天秤にかけるような博打で、戦術的にそれを得意とした呂布や公孫瓚、張遼が強かったと評される。戦略レベルで数百里の単位で敵の中核を突くというのは曹操と夏侯淵ぐらいしか繰り返してやってのけてるのはいない。

2012-07-12 13:38:07
地雷魚 @Jiraygyo

ぶっちゃけ夏侯淵の戦死の一番の要因は、そういう戦略ミサイルみたいな男を「漢中防衛」という一番向いていない人間に任せた曹操の判断ミスなんだよな(笑)

2012-07-12 13:39:53
地雷魚 @Jiraygyo

戦略規模での長駆突撃というのは曹操の得意技で、袁術追撃、烏巣襲撃や烏桓討伐、劉備追撃など曹操自ら率いてやっているので、あんま曹操も人のこと言えないのである。というか夏侯淵は彼の忠実な弟子であり分身だったのだろう。だから典軍校尉を与え、征西将軍にしたと思われる。

2012-07-12 13:46:14
地雷魚 @Jiraygyo

は?別にどちらも信任していたし、死後一族が繁栄するのは夏侯淵の係累だよ? どっちも必要 RT @Inabaku: 派手な活躍をする名将の妙才よりも、地味な補佐役に甘んじて様々な人材を纏め上げる元譲の方が曹操の信任と評価が高くなっていく事に気づかなかったんですかね?

2012-07-12 13:21:21
Inabaku @Inabaku

@Jiraygyo 役割が違うだけで、曹操にとって極めて重要な親族であり側近であることに変わりはないのですね。それほど重要な将が戦死し、続けて曹操と惇が亡くなったのは魏にとり不運でした。>は?別にどちらも信任していたし、死後一族が繁栄するのは夏侯淵の係累だよ? どっちも必要

2012-07-12 13:56:35
地雷魚 @Jiraygyo

そゆこと。藩屏にこういう二人がいたからこそ曹操は大きくなれた。曹仁や曹純も優秀だし。 RT @Inabaku: @Jiraygyo 役割が違うだけで、曹操にとって極めて重要な親族であり側近であることに変わりはないのですね。それほど重要な将が戦死し、続けて曹操と惇が亡くなったのは魏

2012-07-12 13:58:04
地雷魚 @Jiraygyo

そもそも下手な「群雄」などより羌族や烏桓、鮮卑のが戦闘としてはヤバい敵だったり。当時の騎兵はまだまだチート兵器。

2012-07-12 14:02:00
地雷魚 @Jiraygyo

もし、当時に夏侯淵が「白地将軍」と呼ばれていたとしたら「白起将軍」のダジャレでそんなに悪意はないんじゃね? と思う。向いてない拠点防衛に配置させられた漢中防衛戦以外は、夏侯淵の実力も地位も不動だし。夏侯惇の「盲夏侯」と同じようなもんだ。

2012-07-12 14:45:58
地雷魚 @Jiraygyo

夏侯淵のそういう奴ら討伐するスピードと数がとんでもないのですよ、内政的にも重要な存在 RT @sweets_street: 地方に置ける人材がいないから、ボコボコ反乱が起きますよね。放浪軍なんかが簡単に挙兵できてしまうし RT @kobayashi_masa

2012-07-12 15:12:37
地雷魚 @Jiraygyo

3日で600里、6日で1000里だものなー。まさに鎮圧デリバリー RT @sweets_street: 「悪さしたら即始末される」とやんちゃな連中に思わせる事は、一番の治安対策になりますね。この時代はそれが軍事力による討伐なわけです

2012-07-12 15:20:58