『能力値主義的』な歴史の見方について

個人の能力のみで歴史を語ることについて三国志を例にとって
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地雷魚 @Jiraygyo

歴史上の人物や軍人について「有能か無能か」「賢者か愚者か」というレベルで語る人は私は脅威と感じない。社会に出ればわかるが、実は仕事をするにおいて大知事なのは、その立場や地位に相応しい振る舞いができて、人と関係を結び、過不足なく仕事をこなすことだからだ。

2012-07-17 07:58:54
地雷魚 @Jiraygyo

言ってしまえば「個人的な資質や能力」というのは、所詮は立場や地位の「おまけ」でしかなく、そんなものは周囲の協力や本人の努力や勉強でなんとでもなる。歴史や軍事で大事なのは、地位や権限、立場として「その場」にいることであって、あとはその場で相応しい働きができたかどうかなのだ。

2012-07-17 08:01:26
地雷魚 @Jiraygyo

だから、「その場」にいることができなかった者の能力なんてまったく意味はないし、「その場」にいた人間が有能か無能かというのも「話の種として面白いか否か」レベルでしかなく、そして私はもうそういう「話の種」の議論は飽きているし、そんなの解釈と詭弁でいくらでも言いくるめられる。

2012-07-17 08:03:25
地雷魚 @Jiraygyo

しばしば、コーエーのゲームで育った人の悪癖として、「人間の働きが『能力値』で決まる、という視点で歴史や軍事を語ってしまう」というものがあるが、そんな『能力値』なんていくらでも製作者の恣意的な思い込みやゲームバランスで調整される程度の者なのは言うまでもない。

2012-07-17 08:05:35
地雷魚 @Jiraygyo

夏侯淵や夏侯惇、曹仁といった人物の偉大さは、まず彼らが曹操にとって一番信頼の置ける人間であり、実際に信頼を裏切らぬよう努力し続け、地位にふさわしくあろうと振る舞い、莫大な権限を任されながら誠実に地位に相応しい仕事をこなし続けてきた部分にある。

2012-07-17 08:08:10
地雷魚 @Jiraygyo

彼らは曹操の「藩屏」として、曹操にとっては一番信用がおける人材であったと同時に、一番警戒を必要とされる立場であった。身内の裏切りはよくあり、周囲からもその地位は血縁にあると解釈される。だが、彼らは「盲夏侯」「白地将軍」などと言われても人間関係を破壊せずに仕事を誠実にこなし続けた。

2012-07-17 08:10:52
地雷魚 @Jiraygyo

こういう「信用して仕事を任せられ、なおかつ組織内の人間関係を破壊しない」という人材が、藩屏である夏侯氏や曹氏に揃っていたというのが曹操のこの時代における強さの一つであった。大事なのは有能か無能化ではなく、「その地位と立場」にいられる信用度と、仕事をこなせる程度の能力でよい。

2012-07-17 08:13:20
アホアホマン(弱き者) @ahoahoman17

@Jiraygyo(他者の決めた)能力値通りなら、武田信玄や伊達政宗は周辺勢力にあんなに苦戦しませんし、劉備はあんなに流浪することもないでしょうしね

2012-07-17 08:13:17
地雷魚 @Jiraygyo

@ahoahoman17 そゆこと。官位が重要だったり、姻戚関係が大事だったりするのもそのせい。

2012-07-17 08:13:56
地雷魚 @Jiraygyo

袁紹などは当人の器量や能力は申し分なかったが、彼の場合まず袁家の他人は袁術のように最大のライバルとなる立場であり、また彼は独裁を好み権限を他者に委譲させては取り上げるということを繰り返した。沮授、顔良、文醜、張郃、田豊、麴義など、おそらく有能無能論では大変有能だったと思う

2012-07-17 08:16:24
地雷魚 @Jiraygyo

だが袁紹陣営において袁紹は彼らに大きな権限を与えられない、もしくは与えられてもすぐ取り上げられたり、殺されてしまう。袁紹陣営の弱点は、そういう組織や人間関係の心もとなさにあった。いくら袁紹が賢者で大人物であっても、一人で出来ることは限界がある。

2012-07-17 08:18:07
地雷魚 @Jiraygyo

曹丕は兄弟を遠ざけただけで、夏侯氏や曹氏は相変わらず大藩屏だよ RT @kojisatooo: @Jiraygyo 曹丕が藩屏を遠ざけたのを重ねるとなんか色々面白いなーと思いました。パパコンプレックス的な何かかしら、とかw

2012-07-17 08:18:46
地雷魚 @Jiraygyo

劉備についても、有能か無能かと言えば軍事能力については、おそらく曹操以外であれほど「有能」な男はいない。だが、彼は最後まで関羽張飛以外に別軍は任せなかったし、信用もしていなかった。そして関羽や張飛も確かに「有能」ではあったが、最後はその人格的傾斜が死因になってしまった。

2012-07-17 08:21:34
地雷魚 @Jiraygyo

ただ関羽や張飛が使えた頃の劉備が恐ろしい人材だったのも事実で、関羽が荊州、張飛が漢中に侵攻し、劉備が本軍抱えて益州にいたとき、曹操は前例がないほど混乱してしまっている。なぜなら曹操の強さは本人の異常なぐらいの決戦能力にあるからだ。

2012-07-17 08:24:28
地雷魚 @Jiraygyo

彼は関羽、張飛、劉備、呉の4者のどれに「自分自身が当たるべき」なのか決断することに大いに迷っている。何しろ、こんな大胆な兵の分け方で自分を攻撃してくる敵など今まで遭遇したことがなかったのだから。かくして漢中にはまず夏侯淵と張郃を向かわせ、自分は推移を見守るという迷いが出た。

2012-07-17 08:26:37
地雷魚 @Jiraygyo

結果から言えば、涼州にいた夏侯淵が漢中に配され、曹操がギョウに帰還したとき劉備は「わが事なれり!」と、ほくそ笑んだかもしれない。曹操には勝てたことはなかったが、夏侯淵夏侯惇はよく知っており自分が自ら行けば勝てる相手であるからだ。

2012-07-17 08:30:02
地雷魚 @Jiraygyo

劉備は漢中と夏侯淵を喰らい、あとは曹操自ら相手には「勝つ」よりも負けないよう粘り続ければ、曹操と本軍が漢中に来ている隙に関羽が北上し、許都を突いてくれる。劉備の大戦略はこのとき曹操と魏の弱点を完全に突いており、おそらくはもっとも劉備が「IF」に近づいた瞬間だろう。

2012-07-17 08:33:40
地雷魚 @Jiraygyo

実際、この時は本当に危うかったのは内外が認めており、曹操陣営の領内は前例がないほどの反乱祭りとなる。ただ、そうはならなかったのは歴史が知る。劉備は孫権陣営と外交的に完全に敵にまわしており、関羽や張飛はそれぞれ内憂を抱えていた。実は劉備の大戦略もまた砂上の楼閣であったのだ。

2012-07-17 08:36:03
地雷魚 @Jiraygyo

ともあれ、この時、古代中国としてはあまり前例がないような分進攻撃は、皮肉なことに魏のお家芸となる。その後、魏の軍制そのものが蜀と呉に備えた東西に大まかに分けられていき、失敗は多いものの曹丕や曹真、曹休も別軍を編成して攻撃をするということをしばしば行った。

2012-07-17 08:38:59
地雷魚 @Jiraygyo

その精華が、鐘会の作戦立案である三軍に分けた蜀征伐の大戦略であり、蜀は皮肉なことに劉備が曹操を追い詰めた戦略を学んだ魏によって、逆に追い詰められてしまう。とは言え、その後、鐘会や鄧艾がどうなったかは言うまでもない。本当、信用の置ける「別軍を任せられる人」の存在は貴重である証明。

2012-07-17 08:41:55
地雷魚 @Jiraygyo

「有能か無能か」で言ったら、鐘会の多岐に渡る才幹と知識は三国志の登場人物でもナンバー1かもしれないレベル。「英才教育」というより当人が天才すぎる。ただ、この子が人間として残念な子であり、周囲から嫌われていたり警戒されまくっていたのは言うまでもない。

2012-07-17 08:47:35
地雷魚 @Jiraygyo

つか、司馬家はこうやって魏の前例に習って別軍を組織し呉や蜀、公孫氏などに当たるのをよくしたが、そういう任せた人たちが反乱しまくるのはご存知の通り。反乱できる兵力を彼らが保有していたのは、魏という国の軍制の成り立ちを見るとよくわかる。

2012-07-17 08:54:18
地雷魚 @Jiraygyo

まあ、もうその反乱祭りで最後に残った藩屏が王氏や陶氏、賈充一家ぐらいで、彼らも呉征伐あたりからグダグダになっているのはご存知の通り。悔し紛れに「司馬氏以外信用しない!」ってやったら「ご覧の有様だよ!」である。あれは曹氏に対するアンチテーゼでなく、本当に藩屏が尽きてた・・・

2012-07-17 08:56:55
地雷魚 @Jiraygyo

「能力はいいから、仕事を任せられるだけの努力と実績。周囲とモメないだけの人格。反乱を危惧する必要のない信頼」、夏侯淵や夏侯惇や曹仁のような人たちがいればよかったのにねえ・・・と思うぐらいだね(´・ω・`)

2012-07-17 09:00:22
地雷魚 @Jiraygyo

あれな、そういう「能力値主義」となるのはコーエーのせいばかりではなくて、そもそも陳寿や裴松之も学者臭が物凄くて、やはり能力や儒教的道義に目が向いていて、かなり論述が「能力主義」な部分があるのよね。このあたり元武帝の側近の司馬遷の筆はもっと狸で食えない人物をよく評価している。

2012-07-17 09:03:59