#10cul 福嶋亮大『神話が考える』(青土社)刊行記念 「10年代の文化の地平」+蛇足
- millionsage
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http://togetter.com/li/33811 @hmuraoka では、なぜこんな風にボコられるのですか!?><
2010-07-08 20:32:28俺はどうしても個別の批判に寄っちゃうんだけど、現代日本が特別にハイパーリアリティに溢れているということに論証が足りない。逆に、この理論の提出により過去のハイパーリアリティ性が発見されたという論理はやはりアクロバティックすぎると思う。 @hmuraoka
2010-07-08 20:45:37あとは取り上げている作品よりも、分析のメソッドが主体な本ではあるんだろうけど、やはり一つ一つの分析が量的に少なすぎると思う。この分量では再批判されるほどの分析を提出できているとはいいがたいのでは。批評理論ならよほど強い事象か作品をきれないと弱いと思う。 @hmuraoka
2010-07-08 20:48:34「著者は頭が良くて精緻な分析だね」で終わってしまっては、よくできたアナグラムや因数分解と変わらない。分析によって「何が」提出されているのか。こそが世に出す以上は重要と思う。ゼロ年代の想像力は読了してはいないけど、少なくとも本としての主題は明確すぎるほど明確。 @hmuraoka
2010-07-08 20:53:12質問 『動物化するポストモダン』は読んだけど、手元にないんだけど、「萌え要素」と「神話素」の違いってどんな感じになるんやっけ? @hmuraoka
2010-07-08 20:54:41@millionsage 論証が足りないと感じるのは確か。それは内輪だという批判と繋がっている。この本は東氏はもちろん、濱野氏、宇野氏、速水氏などのテキストを意識して書かれている。また対象としている作品の限定され、それを知らない人にどこまで伝わっているのか疑問が残る。
2010-07-08 22:21:32@millionsage この内輪的なノリ故に必要以上に読み込んでしまう人と普通に呼んでいる人に差が出てしまう。わかる人にとってはぶつ切れの道が繋がる面白さがあると思う。
2010-07-08 22:21:49@millionsage 主題の必要性には疑問がありますが、あえて上げるとすればこの届く人には届いて欲しいということは強く感じました。届かなくていいと思いながら本を書く人がいるのかと考えてみると主題と言えるほどのものか微妙ですが。
2010-07-08 22:22:10@millionsage 「萌え要素」と「神話素」の違いについて断言するのは難しいです。読んだ限りでは「萌え要素」は特定の感情を伝えるために最適化された文法、「神話素」は同じものを見ている人に別の意味を伝えるインフラだと思いました。例えるなら標札と道路といったところでしょうか。
2010-07-08 22:23:15