10周年のSPコンテンツ!
3
kentarotakahashi @kentarotakahash
これってアメリカン・ハードコアの話をしてますか? QT @bcxxx そこを見ようともしなかったわけだから、それは怠慢だよ。RT @pncldtyo あと、ハードコアパンクが当時のメディアやライターにとって理解しにくいジャンルだった
kentarotakahashi @kentarotakahash
1982〜4年頃がアメリカン・ハードコアにとって重要な時期でした。が、日本にいたら評論家といえど、それに触れるチャンスはほとんどなかったと思います。 QT @bcxxx はい、主にそうですね。RT @kentarotakahash これってアメリカン・ハードコアの話?
kentarotakahashi @kentarotakahash
.@bcxxx G.B.H.やDischargeは日本でも聞かれていました。英国ものは輸入盤も豊富でした。アメリカン・ハードコアで知られていたのはデッド・ケネディーズくらいでしょう。アメリカのインディー盤は当時は日本にはほとんど入ってきていません。
kentarotakahashi @kentarotakahash
.@bcxxx 僕は82年に初めてNYに、84年に初めてLAに行きました。Bad BrainsやMinitemenやBlack Flagを買って帰ってきて、雑誌上で最初に紹介したのは僕です。ミスキャストですよね。でも、日本では輸入盤すらなかったから、僕しか紹介できなかった。
kentarotakahashi @kentarotakahash
そうですね。でも、80年代前半のベーシックな認識がなかったから、評論家や編集者を含め日本ではアメリカにおけるパンクは、いきなりグランジに収斂されるような形だった。QT @bcxxx 実際には88年頃に、USハードコアは世界規模の爆発を迎え、グローバルカルチャーになります
kentarotakahashi @kentarotakahash
ROIRのカセットの時に紹介してます。QT @bcxxx .@kentarotakahash それは凄いことです。他には渋谷陽一さんがBad Brainsの日本盤が出た時にラジオで何曲もかけて猛プッシュされていました。80年代末のことでしたが。
kentarotakahashi @kentarotakahash
でも、それは僕の感性が凄いとかでは全然ないですよ。NYとLAの友人のおかげです。そして、駆け出しだった僕は、他の評論家が知らない音楽を紹介することでしか出て来れなかった。 QT @Elis_ragiNa すごい話!USHCも健太郎さんだったのか・・
kentarotakahashi @kentarotakahash
NYの友人はスクリーミング・マッド・ジョージとバンドやったり、黒人とメタル・パンク・バンドみたいのもやっていたから、Bad Brainsとも近かった。LAの友人は写真家で、当時、マッスル・パンクなんて呼ばれてた西海岸ハードコアのバンドの写真集を出していた。
kentarotakahashi @kentarotakahash
だからそのへんの胎動は感じていたんだけれど、ただ、僕は紹介者としてはミスキャストですよね。ラウドな音楽がそこまで好きではないし。米インディーではREM以降の流れの方に興味は向かうことになったし。もっと別の人が80年代前半にハードコアを掘り下げていれば、違ったんじゃないかな。
kentarotakahashi @kentarotakahash
レッチリとかもそうですよ。どれも何だか分かってなかった。ただ、アメリカ行って、インディーもの売ってる数少ないレコ屋でぐちゃぐちゃしたのを買って帰ってきたというだけで。 QT @konyagatanaka ほ~、日本にバッド・ブレインズをはじめて紹介したのは

コメント

Charlie_Browny @Charlie_Browny 2011年8月11日
RT @kentarotakahash: .@bcxxx G.B.H.やDischargeは日本でも聞かれていました。英国ものは輸入盤も豊富でした。アメリカン・ハードコアで知られていたのはデッド・ケネディーズくらいでしょう。アメリカのインディー盤は当時は日本にはほとんど入ってきていません。
ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする