書き起こし:【IWJ】政権公約を実現する会(鳩山グループ)勉強会 講師:孫崎享 2012年7月24日 

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しまなみ @shimanamis

孫崎享24 本当なら占領時代の英雄だが、何が起こったかというと、重光は9月15日に外務大臣を辞任させられる。わずか2週間で、基本的に日本人が自分たちの英雄を切った。戦後、切ってその代わりになるのは吉田首相だが、吉田茂については高坂正尭『宰相 吉田茂』が定番となって、≪続く

2012-07-26 00:10:40
しまなみ @shimanamis

孫崎享25 続き≫「実際、吉田はマッカーサーと自然に対等の立場をとることができる人物だった」「吉田は何よりも日本の復興のことを何よりも考えていたし、改革がこの目的に反する場合に徹底的に反抗した」と非常に素晴らしい吉田像をつくり、その後の吉田の系譜の人たちを崇めた。 

2012-07-26 00:11:05
しまなみ @shimanamis

孫崎享26 しかし、実際はどうだったか。吉田が自ら言ったのは、外務大臣になるときに「鯉がまな板で包丁にびくともしない。あの調子で負けっぷりをよくしてくれよ」と。そう言って外務大臣になった。

2012-07-26 00:11:37
しまなみ @shimanamis

孫崎享27 そして「この言葉は私が占領軍と交渉するにあたっての、私を導く考え方だ」と。基本的にまな板の上で包丁にびくともしない、言われたらその通りにする、というのが吉田茂。 

2012-07-26 00:12:06
しまなみ @shimanamis

孫崎享28 吉田が平生どう振る舞っていたかというと、多くの国民にとっては非常に傲慢な印象を与えたが、ことアメリカに対しては、帝国ホテルの社長が書いたのは「帝国ホテルのウィロビー(GHQ参謀第2部長)の部屋へ吉田は裏庭から忍ぶようにやってきたりしていた」、何度も何度もやってきたと。

2012-07-26 00:13:09
しまなみ @shimanamis

孫崎享29 ウィロビーのところで総理大臣になったり、あそこで組閣をした、という状況が起こってきた。

2012-07-26 00:13:33
しまなみ @shimanamis

孫崎享30 それと闘った一人が石橋湛山。占領時代は、多くの日本人は、米国が助けてくれたから飢えから救われたと思っている。教科書はほとんどそのように書いている。では実際どうだったのか?

2012-07-26 00:14:10
しまなみ @shimanamis

孫崎享40 普天間問題のときに、最低でも県外と言った。そのときに、首相がそう言ったんだから、外務官僚と防衛官僚は全力で支えないといけないのではないか。それが足を引っ張るとはどういう国なんだ、この国はと。 

2012-07-26 00:21:53
しまなみ @shimanamis

孫崎享41 では、その人たちが孤軍奮闘で戦っているかというとそうではない。自分にはもっと強い人間がいると思ってやっている。この構図が、実は戦争からずーっと続いてきた。

2012-07-26 00:22:25
しまなみ @shimanamis

孫崎享42 いくつかの柱を見ていくと、一つは経済界。多くの人は財閥解体があったから、経済界は基本的に戦争直後になくなったと思っているが、1946年4月に経済同友会が立ち上がっている。米国の青年会議所をモデルにし、その中心人物を見ていくと、桜田武、水野成夫、永野重雄、小林中、≪続く

2012-07-26 00:23:15
しまなみ @shimanamis

孫崎享43 続き≫鹿内信隆、藤井丙午、堀田庄三、諸井貫一、ショウナイエネゴロウ、麻生太賀吉、中山素平、イマダトキオ。日本の戦後財界をつくった人たちが全部ここに入っている。これが昭和21年に作られている。

2012-07-26 00:23:45
しまなみ @shimanamis

孫崎享44 もう一つ、学会。学会というのは中立だと思っているが、1946年にアメリカ学会が創立される。この時に 「協力」がキーワードになって、支援をマッカーサーに依頼する。もちろん昭和21年だから、アメリカ研究に合衆国の如何なる批判も許されない。

2012-07-26 00:24:16
しまなみ @shimanamis

孫崎享45 アメリカ研究のセミナーは1950年から1956年まで、毎年日本に招聘される5名の一流の米国教授のもと、7年間計593名が参加、ロックフェラー財団が東大に助成。後、京都グループで京都大学と一緒に同様の助成をしていく。 

2012-07-26 00:24:40
しまなみ @shimanamis

孫崎享46 京都大学というと戦前のイメージで自主独立の学風があるように思うが、ことアメリカに関しては全然違って、米国従属からスタートした。だからその中心人物であった高坂正尭は『宰相 吉田茂』をハーバード大学に行ってから書いた。

2012-07-26 00:25:09
しまなみ @shimanamis

孫崎享47 これらを考えると、日本の流れは最初からできあがっている。そして今日まで続く安保条約をつくるとき、日本との交渉に先立ち、ダレスがスタッフ会議で言ったことは「我々が望むだけの軍隊を、望むだけの場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する。これが根本問題で、これでやる」。

2012-07-26 00:25:51
しまなみ @shimanamis

孫崎享48 これが日米安保条約、日米安保体制。どこにそんなことが書いてあるのか?「アメリカが望むだけの軍隊を、望むだけの場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する」、今までそんな文書は見たことがないというだろう。確かに言葉は違う。

2012-07-26 00:26:23
しまなみ @shimanamis

孫崎享49 だが、行政協定の第2章、「日本は合衆国に対し、必要な施設及び区域の使用を許すことに同意する」「いずれか一方の要請があるときには、前記の取り決めを再検討しなければならず、施設及び日本に変革すべきことを、合意することができる」。でも合意ができなければそのまま。 

2012-07-26 00:26:44
しまなみ @shimanamis

孫崎享50 1951年1月21日から「アメリカが望むだけの軍隊を、望むだけの場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する」、これがずーっと続いていて、岩国のオスプレイまで続いている。

2012-07-26 00:27:35
しまなみ @shimanamis

孫崎享51 岩国のオスプレイで野田首相が「配備の問題に何も言えない」と言ったのは、ある意味で米国の考えを代表している。

2012-07-26 00:27:57
しまなみ @shimanamis

孫崎享52 だが、私は別途ツイートしたが、あの発言は違う。なぜ違うか。オスプレイの問題は、特に普天間問題に関係するが、普天間問題の一番根本は「沖縄県民の負担を軽減する」という大原則。これで日米が合意している。 

2012-07-26 00:28:20
しまなみ @shimanamis

孫崎享53 だから、オスプレイが危険なものである、今まで以上に沖縄の人たちに負担を、危険を与えるということであれば、これは橋本―クリントン対談から続く普天間問題に対する日米合意への根本的なチャレンジ。

2012-07-26 00:29:16
しまなみ @shimanamis

孫崎享54 それからいけば、今回のオスプレイについて我々は、米国に文句を言う権利があるといえる。だけど多分、外務省も防衛省もそういう説明をしない。外務省、防衛省が言っているのはこの行政協定の気持ちを説明したということだと思う。

2012-07-26 00:29:48
しまなみ @shimanamis

孫崎享55 特捜を見ていくと、先ほどの芦田均の話がある。そして田中角栄。竹下登は、違うイメージを持っていると思うが、自衛隊の海外派遣に一貫して反対。橋本もクリントンとはかなり関係がよくなかった。

2012-07-26 00:30:31
しまなみ @shimanamis

孫崎享56 この中で小沢一郎の場合と、田中角栄の場合が似ているのは、今までやらない手口を使い始めたということ。田中角栄のときには嘱託尋問、アメリカの証言については罪に問わないという約束をする。これはそれまでなかった。なかったことを使って、田中角栄をやった。 

2012-07-26 00:31:06
しまなみ @shimanamis

孫崎享57 小沢一郎についても検察特別審査会、今までやらなかったことを使って追い込む。田中角栄と小沢一郎には非常に似たものがあると思う。

2012-07-26 00:31:29
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