敗戦時、一家心中しようとしてた日本人家族を救ってくれた朝鮮の人々
今日、母から日韓併合時の話を色々聞いた。自分が思い違いをしてた事も結構あった。曾祖母の代から朝鮮へ渡ったので、ナント祖母も朝鮮生まれらしい。祖母の家系は商売上手で裕福だったみたい。一方、祖父は貧乏学生で京城師範学校へ行けば学費が無料だと恩師に勧められて朝鮮に渡ったようだ。
2012-07-28 01:25:53敗戦時、一家心中しようと家に火を点けようとした所を救ってくれたのが村の朝鮮の人々。「責任以って逃がしてあげるから、どうか死なないで。でもどうしても駄目な時はちゃんと苦しまずに死なせてあげるから。」と言って大きなカミソリのようなモノ?(母の言葉のままです)を祖父に渡したそうだ。
2012-07-28 01:42:35私は親しくしてた朝鮮人一家が匿ってくれたと思ってましたが、村の多くの人々が協力してくれたと。8月16日に山を越えて逃げる時、母一家と同行してくれたのが5~6人。先々で様子を見て報告してくれた人がもっと居たとか。で、一晩して日本人が集まってた農業学校?みたいな所に無事着いたそうな。
2012-07-28 01:48:30(訂正)それだけで終わらず、母一家が引揚するまで、農業学校で生活してた時も、ずーっと支援してくれたと。芋はそこで手に入ったけど、米が無かったので山を越えて村の人が度々届けてくれた。それを他の日本人と分け合いながら暮らしてたそうです。
2012-07-28 02:34:23そして母一家は帰国するまで各地を転々としたそうですが、追ってきては米をくれたり、置いてきた祖母の着物やお雛様を届けにきてくれたそうです。日本人を助けたら射殺されるという話(デマだったかも?)が広まったので、家の下に潜り込んで泥だらけになって届けにきてくれたと。まさに命がけ。
2012-07-28 02:05:54引揚げ船に乗った時も見送りに来てくれた(本当は駄目だった?)。船に乗る前に持ち物検査があったので、乗船後に村の人が祖父目掛けてお金の入った財布を投げてくれたと。(当時は村の人々も貧しかったでしょうに・・・。なんか母と話してる途中で泣きそうになった)
2012-07-28 02:14:36ただ一方で、近くの日本人村の人々は皆、自決されたとか・・・。母一家が朝鮮の人々に助けてもらってそれ自体は大変有難く感謝してます・・・でも、そのような悲劇を聞くと・・・なんだか後ろめたいような気もします・・・。
2012-07-28 02:25:25アンビリバボーで中国人が、日本兵を匿ったのを思い出す。祖国に、心優しき人々が居てホッとする想い。私が号泣したアンビリバボーの中国人と日本兵はこちら→http://t.co/kXWOoBw9
2012-07-28 02:33:49なみちゃんが後ろめたさを感じなくてもRT @nami35351127: ただ一方で、近くの日本人村の人々は皆、自決されたとか・・・。母一家が朝鮮の人々に助けてもらってそれ自体は大変有難く感謝してます・・・でも、そのような悲劇を聞くと・・・なんだか後ろめたいような気もします・・・。
2012-07-28 02:35:11「当時差別はあった?」と聞いたら、母は「あったと思う」と。朝鮮の人々は貧しく不衛生だったからと。だから祖母は祖父が校長を勤める現地の子供が通う小学校に母が入学するのを泣いて止めたと。祖父は教え子と我が子を差別したくないと言って、敢えて在留日本人学校に通わせなかった。
2012-07-28 02:45:36だから小学校で日本人の生徒は母一人だけ。友達も皆、朝鮮人だった。ただ学校から帰ったら、玄関で全部服を脱がされて、その服を熱湯消毒され身体中拭かれたらしい。シラミとか移るのを懸念した。流行病もあったから予防の意味もあったと。
2012-07-28 02:51:32ちなみに慶尚北道尚州に住んでたと。帰国後、村の人々と祖父は文通してました。朝鮮戦争時は「恩返ししなければ」と言って物資を送ったと(ちゃんと届いたのかな?)。祖母が亡くなった時は韓国から来てくれた人が居たようです(当時は色々な制限があったようですが、わざわざ来てくれた)。
2012-07-28 03:08:15