高橋源一郎さん「門外漢」現代詩について

小説では90年代以降、短歌では80年代から暫時90年代にかけて、ある特殊な作品群が、「現在の本質を呼吸していて、その作品を読むことで、この時代の息吹を嗅ぐことができる」作品群が出現する。 おれは、そんな作家や歌人の作ったものを「書かれるべき小説」、「書かれるべき短歌」だと考えている。だから正確にいうなら、それらの作品群は「現在を生きる多くの人びとが、その生について問おうとする時、本質的な応答の可能性を持った表現」と言い換えてもいい。
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高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」22・おれの「日本語という言語」に関する「資本論」は、小説と詩を両輪としている。それに短歌が少々。俳句には手が回らなかった。それでもおれには十分だった。そこでおれが独力で発見したのは、ある意外な事実だった。小説では90年代以降、短歌では80年代から暫時90年代にかけて…

2010-07-11 00:43:33
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」23・ある特殊な作品群が、「現在の本質を呼吸していて、その作品を読むことで、この時代の息吹を嗅ぐことができる」作品群が出現する。小説では、阿部和重、中原昌也、舞城王太郎から最近では東浩紀、短歌では、穂村弘から斉藤斉藤へ至る一群の歌人たち。

2010-07-11 00:46:25
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」24・おれは、そんな作家や歌人の作ったものを「書かれるべき小説」、「書かれるべき短歌」だと考えている。だから正確にいうなら、それらの作品群は「現在を生きる多くの人びとが、その生について問おうとする時、本質的な応答の可能性を持った表現」と言い換えてもいい。

2010-07-11 00:48:10
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」25・そして、残念なことに、現代詩においては、その意味での「書かれるべき詩」は少ない。それが、表現としては新参者の小説が「現在」に深く関わる表現であるのに対し、人類と共に長い歴史を持つ「詩」は、「現在」より「言語」そのもの、あるいはもっと超越的なものに関わる表現だから…

2010-07-11 00:50:41
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」26・…なのかもしれない。それとも、詩人たちがなんらかの理由で「現在」に興味を抱かなくなったからなのか、おれにもはっきりとはわからない。そして、おれは毎年、百冊ほど詩集を読むが、そこに「面白い詩」「優れた詩」は何冊もあっても、「書かれるべき詩」はほとんどないのである。

2010-07-11 00:53:13
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」27・2000年3月、「詩人」荒川洋治は「公」の色彩の濃い(産経新聞)文芸時評に「この日本では村上春樹だけが小説を書いている」と書いた。おれの「みんなが『書きたい詩』を書いている中で、大江さんは『書かれるべき詩』を書いた」なんて表現、可愛いだけだぜ。むちゃくちゃキツい。

2010-07-11 00:56:10
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」28・荒川洋治は続けてこう書いた。「村上氏の今回の作品は、読者への想像力をこれまで以上にはたらかせ、読者の立つ現実に合うものになっている。『わたしなり』の小説を書いているのではない。いま作者たるものが読者に向けて書くべき小説を書いているのだ」

2010-07-11 00:57:46
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」29・この荒川洋治の発言に対して「門外漢の詩人になにがわかる」とか「すべての小説を読んでから言え」とか「おれだって書いている」と文句をつけたアホな作家は、おれの知る限りいなかった。「しがらみがないから言えるんだよな」と言ったやつはいたけどね。

2010-07-11 00:59:45
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」30・もちろん、みんな、荒川洋治の発言を認めたわけじゃない。「あなたの言っていることには異議がある。しかし、そのような『視線』があることは了解している」と思ったんだ。おれはアメリカで「ニホンにはムラカミハルキ以外に優れた作家がいるのか?」と言われたことがある。

2010-07-11 01:01:55
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」31・だからといって「日本の小説をろくに読まずに、知った風なことを言うな」なんて言うわけがない。そのような「視線」があるだろうと思うだけだ。そして、その「視線」は、「外」からだけやって来るわけじゃない。おれたち作家の内側にあって、厳しく、おれたちを監視しているのである。

2010-07-11 01:04:06
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」32・その「視線」は簡単にいうなら、「批評」と呼んでいいだろう。それは、「それでいいのか」「それで満足しているのか」「どんな目で見られているのか知っているのか」という声だ。正直、時々うんざりするが、それが聞こえなくなったら、終わりだ、とおれは思っている。

2010-07-11 01:05:39
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」33・荒川洋治は小説に恨みがあって、あんなことを言ったのか。違うとおれは思う。やつの膨大な小説論、膨大な文芸時評は、やつの「資本論」なんだ。誰よりも詩を愛した詩人が、その詩というものが、日本語という言語共同体のどこに迷い込んだのか、それを探すための旅が、やつの小説論だ。

2010-07-11 01:07:48
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」34・詩の「門外漢」のおれが、小説の行方を探して、詩にも分け入ったように、やつは、詩の運命を探ろうとして、それ以外の言語表現を踏む行ったはずだ。同じ「門外漢」として、おれにはその気持ちがよくわかるのである。

2010-07-11 01:09:09
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」35・批判とその応答は、お互いに相手への敬愛がなければ虚しいだけだ。意味のない批判の応酬をうんざりするほど体験したおれは心の底からそう思っている。ツイッターはきわめて優れた応答装置だが、同時に簡便な批判装置でもある。そのことの恐ろしさを、おれは知ってほしいと思っている。

2010-07-11 01:10:59
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」36・だから、今回のツイートは本質的には虚しいものだとおれは思う。そして、おれは少々哀しい。他人の悪口を言ってる暇なんかないぞ。もっと、ポジティヴなことに時間を使おうよ。おれの言いたいことは、以上だ。すいませんでした、こんなことに付き合わせてしまって。以上です。

2010-07-11 01:15:43
高橋源一郎 @takagengen

みなさん、暖かいリプライ、ありがとうございます(いまは「おれ」じゃなく「ぼく」です)。ぼくは昔、こんな標語を作りました。「批判は、愛の成就のような繊細さを持って、行うべし」。いまでも座右の銘にしています。では、れんちゃんとしんちゃんの間に挟まって寝ることにします。お休みなさい。

2010-07-11 01:55:21