博士後期過程のコースワークの是非

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@kjishidar

確かに大学教員・研究者養成の現状は問題含みだと思う。Dに進むとほとんどコースワークがないのに授業料は学部生と同じ、というのは明らかにおかしい。などなど。しかし、アカデミック・キャリアへの就職をめぐる大学間「格差」の議論については、どうもしっくりこないというか、判然としない。

2010-07-11 01:09:19
@yohta

Twitter(というかネット一般)は,実力差がものすごくある人々を対等に結びつけるという意味で,実力のない人に圧倒的に有利な道具。この点を自覚的に使っていかないと,傍から見たとき,みっともないことになる。ま,「格」「実力」は情況と話題によって変化するものではあるけれど。

2010-07-11 01:14:41
@yohta

学校によるんじゃないでしょうか。私の勤務先のPh.D.プログラムは明確なコースワークがあります。RT @kjishidar: Dに進むとほとんどコースワークがないのに授業料は学部生と同じ、というのは明らかにおかしい。

2010-07-11 01:20:20
@kjishidar

僕の周りだと、GCOEと関連付けてPh.D学生のためのコースワークが作られています。個人的には、それができないところは学位を出してはならないと感じています。 RT @yohta: 学校によるんじゃないでしょうか。私の勤務先のPh.D.プログラムは明確なコースワークがあります。

2010-07-11 01:28:03
@yohta

それは素晴らしいですね。独創は模倣から産まれるはずで,博士課程のコースワークには激しい詰め込み教育が必須だと思います。RT @kjishidar: 僕の周りだと、GCOEと関連付けてPh.D学生のためのコースワークが作られています。

2010-07-11 01:34:42
@yohta

明日(今日)は,選挙・投票。これぞ科学的根拠なき規範的判断の典型。確実に頼れる根拠なく,情報が不十分の情況下で,自分はどういう意思決定をするのか,その判断基準は何かについて,考え直す日。

2010-07-11 01:40:32
@mimimasumasu

博士後期課程でコースワークが欲しい院生さんがいるそうな。それが正しいと言う教員さんもいるそうな。私が院生の時はM1からOD、助手、助教授まで全員指導教員の院ゼミには出ていたな。他の教員のゼミにも出てた人もいるだろう。報告もする。まさか個別の論文指導だけの後期課程とかあるのか?

2010-07-11 01:40:43
@mimimasumasu

後期課程まで行けば自分の研究テーマについては指導教員以上に知悉するのが当たり前で指導を受けること=方法や論理の展開など批判を受けること、と思うのだが。院ゼミで他人の研究について批判することも学習のうちだろう。コースワークが欲しい、というのは何か「教えて」もらいたいのだろうか。

2010-07-11 01:44:49
@kjishidar

まだ修士課程学生の身ですが、僕もそう思います。 RT @yohta: それは素晴らしいですね。独創は模倣から産まれるはずで,博士課程のコースワークには激しい詰め込み教育が必須だと思います。

2010-07-11 01:44:53
@mimimasumasu

博士論文というのは教えてもらって書くものになった訳ではないだろう。

2010-07-11 01:46:38
@kjishidar

学生なのに妙な物言いだけれど、組織(研究室や学部)として学生に何を身につけさせたいのかが表れているのが、コースワークの内容ではないかと思う。不要かもしれないが、それが研究室への信頼を表すのではないかとも。中身自体は、インフォーマルな勉強会や、場合によっては独学でも身につけられる。

2010-07-11 02:56:12
@kjishidar

学生目線で言えば、研究活動の傍らでキツいコースワークは面倒極まりない。だけれども、他分野の人との議論をしたり、アカデミックなコミュニケーション・スキルを意識的に身につけたりするプログラムがあるのは良いことだと思う。

2010-07-11 03:09:49
@kjishidar

自分の研究テーマについては自分でブラッシュ・アップしていかなければならないけれど、研究を進めるための道具立てについては、効率的に身につけられるのがいいと思う。現在の指導教員の指導を受けるようになって、自分の独学がいかに独りよがりだったかが分かった。

2010-07-11 03:20:56
@kjishidar

その上で、自分自身の関心に特化して必要な道具立ては、自分で勉強して身につけていくんだろうと思っている。

2010-07-11 03:27:38
@kjishidar

効率的にというより、効率的かつ体系的に、かな。->研究を進めるための道具立てについては、効率的に身につけられるのがいいと思う。

2010-07-11 03:31:24
@kjishidar

で、そうしたプログラムが博士課程において必要か?という部分については、これも研究室やゼミ単位できちんとなされているなら、実態として提供されているのだから問題ないと思う。だが、研究者志望の学生を「育てる」必要性を感じていない研究室もある気がする。では放任「主義」なのかというと微妙。

2010-07-11 03:46:45
@kjishidar

おそらく、「何も考えていない」ような気がする。方々から見聞きしたことなので、バイアスがかかっているかもしれないけれど。

2010-07-11 03:48:08
@kjishidar

プログラムの安易で形式主義的な制度化は文科省を焼け太りさせるだけな気がするので反対だけれど、放任主義のつもりが指導放棄になっちゃった、というような笑えないオチを避けるためにも、組織的な指導体制がとれないところが学位を出すのはどうなのかな?なんて思ったりする。

2010-07-11 03:57:06
@kjishidar

詰め込みでも何でも構わない気がするが、コースワークというものが没個性的か否かは、教員と学生の行動次第なのではないかと思う。あえて言うと、詰め込みでも活発な議論は生じうるし、自由闊達なはずのゼミがお通夜になることもありうる。

2010-07-11 05:43:15
@kjishidar

所詮逸話だが。。学生が空気を読んで議論がいつも右へ倣えになる自由な授業も受けたことがある。一方で、課題だらけ、覚えることだらけだが、出てくるアウトプットの多様性が高い授業のTAをやったこともある。言いたいのは、アウトプットの独創性と、インプットの画一性は無関連では?ということ。

2010-07-11 06:01:33