他にも語ってました
京の茶漬け
しかし、外野からの伝統だのなんだのって、その世界で生きている人間にとっては「聞きたくない」採算あわなきゃ辞めるって。食べていけなきゃ死んでしまうもの。京都の伝統あるあれこれもゆかしいたたずまいも景観も、観光資源だから守られているんであって、住んでいる人間には不便でもめ事の火種だし
2012-07-29 09:53:37@genjibosi 昨日少しご意見を差し上げようかと思ったのですが、そこで京都を引き合いに出すのは少し妥当ではないと思うんです。京都はもう一〇〇〇年から昔に政治の表舞台ではなくなっていて、それ以後現在までずっと観光都市として生きてきています。謂わば観光業が伝統と言っても好い。
2012-07-29 12:33:47@chronekotei @genjibosi 京都は明治初期の疎水や発電など率先して近代化した都市でもあります。豊富な地下水の存在が製造業を下支えしたという理由もあるようです。
2012-07-29 13:10:29@mkatolithos @genjibosi それが「観光都市だけじゃない京都」の礎を築いたのだとしたら、画期的な契機でしたね。現在の活発なビジネス都市としての京都の出発点がそこにあるわけですね。
2012-07-29 13:11:44@chronekotei @genjibosi ときに京都が観光都市としての地位を確立したのはいつの時代のことなのでしょう?
2012-07-29 13:14:08@mkatolithos @genjibosi 詳しいことは調べていないんですが、近代以前はめぼしい生産業もなかったわけですから、少なくとも近世以前からじゃないかな、とは思います。
2012-07-29 13:18:26@chronekotei @genjibosi 第四回内国勧業博覧会以前ってそれほどの大観光都市でもなかったような印象があります。調べてみたいと思います。
2012-07-29 13:24:25@mkatolithos @genjibosi 近代以前の経済規模では、現在のような賑わいとは桁が違うとは思いますね。ある程度蓄財した人しか観光なんか出来なかったわけですし、「土地柄は始末だった」と謂うのも観光でそれほど儲かっていたと謂うわけではないと謂うニュアンスでしょう。
2012-07-29 13:28:02@mkatolithos @genjibosi 政治的正統性を担保する帝のおわす都と謂うことで、権威としてそれなりに伝統を残す必要はあったんでしょうが、そんなに武士政権からカネが出たわけではないから、観光都市と言えるほど活発になるのは日本各地の経済が成長してからの話でしょうね。
2012-07-29 13:22:52@chronekotei @mkatolithos 少なくとも、「お伊勢参り」みたいに落語や昔話に登場したりはしませんから、お参りじゃなく「観光」という概念が庶民のものになったのは近代のことだったと思いますね
2012-07-29 13:31:41@genjibosi @mkatolithos そうですね、観光で栄えていたと謂うよりも、観光以外に産業がなかったと謂う言い方のほうが正しいかもしれませんね。
2012-07-29 13:34:05@genjibosi @mkatolithos 先ほどTWしたように、京都の観光都市としての性格と謂うのは、帝都としての首都性と密接な関係があって、おそらく伝統文化や都としての歴史性を表現する文化財が存在意義と密接に絡み合っていたのでしょうね。
2012-07-29 13:36:58@genjibosi 京都はかなり特殊な事例で、公助による文化保護なんて概念がカケラもなかった頃から観光都市として生き延びてきたわけですね。ですから、他の都市ではあり得ないレベルで文化財が今に伝えられています。文化保護には産業振興の性格もあるから公助以外でも活発に行われます。
2012-07-29 12:40:47京都はやっぱり特殊すぎて文化保護の文脈で語るのは多分無理がある。京都の不便さと謂うのは観光資源として都市そのものの伝統を活用した構造と密接な関係があって、それは京都と謂う都市のあり方そのものに喰い込んでいるから、文化を残す残さないの問題をはみ出しているんだね。
2012-07-29 12:48:06@onsenkame そうですね、伝統を残すことを産業化して一〇〇〇年生き延びてきた土地なわけですから、そこから一般的事例を敷衍するとどうしても「生き延びるものしか生き延びない」と謂う結論になりますが、それは一面では勝者の論理に陥りがちです。
2012-07-29 12:53:39近代以降は京都発祥の企業が活発化していて、伝統的観光資源とはそんなに関係のない産業も発展しているけど、伝統文化を今に伝えることそれ自体が都市の存在意義や産業インフラに組み込まれている特殊事例から一般事例を敷衍するといろいろ間違いの元ではないかと思う。
2012-07-29 12:50:37そう謂う京都の風土を伝える上方噺が「京の茶漬け」だね。時代設定はおおよそ明治くらいじゃないかと思うんだが、あの土地は物をどんどん生産するようなところではなかったから、土地柄は始末(吝嗇)だったと言っている。
2012-07-29 12:52:14勝者の論理と謂うのは、たまたま勝利した者がその勝利を必然で正しいと意味附けるロジックのことね。それは勝った者、生き延びた者にしか意味のない論理になりがちなんだよね。
2012-07-29 12:54:58要するに、近代以前は京都に帝がいたんだから歴とした日本の首都だったわけだし、「都の賑わいを一目見ようず」と謂うのは古今東西普遍的な民衆心理だから、それで細々と生き延びてきた街だったけど、帝が東下してから近代化の道を選んだ、と謂うストーリーかな。
2012-07-29 13:32:59@chronekotei ありがとうございます。仰ること全部その通りと思います。いまさら観光地として以外に生き残る道はないので、不便さも納得して暮らしていますし、そこに自負もあるのです。勝者の論理、税金の使い方として当事者以外の市民にとっては生保の時と似た心証もあるでしょう。
2012-07-29 13:41:03@genjibosi 京都はやっぱりついこの間まで、名目上とは言え日本国の首都だったんですよ。そしてその首都機能と謂うのは歴史的正統性を担保する形で政治利用されていて、産業分野でも歴史的正統性がブランド力として機能していた部分はあったんだと思います。
2012-07-29 13:43:24@genjibosi 如何に武家政権のほうが実質的に政治力を持っていても、政権はいつか覆るかも知れないけれど歴史的正統性の拠り所としての京都の首都機能は政権が交代しても揺るがない、そう謂う存在意義だったのでしょう。だから、やっぱり天皇東下が歴史上の画期だったと思います。
2012-07-29 13:45:02