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if @if_itself
芝居ファンが映画ファンよりも不条理な展開に抵抗がないのは何故だろう。自分の周りを見る限り、両者にマニアック度の差はあんまりないのだけれど。
@ifitself
映画は物語を楽しむもの、芝居は生身の身体の織り成す祝祭空間に身を投じるもの、みたいな考えがあるのかな。 RT @fishazure: 言われてみれば、そんな気も QT @ifitself: 芝居ファンが映画ファンよりも不条理な展開に抵抗がない
@ifitself
普通の映画より普通の演劇の軸が不条理寄りなのは何故でしょうか。 RT @dancom: @ifitself 普通の映画より普通の演劇の軸が不条理寄りだからでは?
@ifitself
芝居のリアルは、描写のリアルではなくて、身体と時間のリアルですからね。 RT @kazzika: だって映画は背景もリアルに作るけど、芝居はリアルに作らないもん。 QT @ifitself: 映画は物語を楽しむもの、芝居は生身の身体の織り成す祝祭空間に身を投じるもの
@ifitself
芝居は音楽に似てる気がする。サビでいきなり転調しても許される。確かに「同時性」のあるメディアだから許されるのかも。 RT @Opi: @ifitself 時間の取り扱い方に秘密がありそう。
if @if_itself
理性じゃなくて身体感覚で問題解決を図ってる気はしますね。 RT @fishazure: 生身かそうでないか、で説得力の違い、はあると思いますQT @ifitself: 映画は物語を楽しむもの、芝居は生身の身体の織り成す祝祭空間に身を投じるもの
if @if_itself
その世界に参加しているからこそ壊せない、あるいは壊す必要ない(関与できるんだから変えればいい)、かな。 RT @moraten_fajime: @ifitself 映画は観客がスクリーン内に影響を及ぼさないが、演劇は客の空気が役者に影響を与える(可能性がある)
Norihisa HOSAKA @hosakanorihisa
写真はさらに不条理な展開を嫌います。写真>映画>舞台 かな。観客の肉体の置き所が、その差を生むんだと思います。 RT @ifitself: 芝居ファンが映画ファンよりも不条理な展開に抵抗がない
@ifitself
@two_boats 哲学的な問の立て方をすると、「演劇が不条理展開と相性が良いのは、演劇のいかなる性質故か」。統計的な話ではなくて、概念の内側に興味があります。
if @if_itself
問:なぜ包丁は殺人に使われる? 科学「金属は人体より硬く、薄くすることで単面積あたりの力が大きくなるから」社会科学「包丁を殺人に使おうとする人がいるから」哲学者「包丁には対象を切り刻む性質があるから」
@two_boats
劇場雀連中は開演前から不条理展開すらも受容する身構えで客席に座る。当該展開があろうとも、それは俺を楽しませるためのものである、即ち興行側はその債務を履行する、という期待(信頼?) RT @ifitself:
@two_boats
だから、劇場雀連中が中途退場することは滅多にない。ほぼ確実にカーテンコールまで付き合う。何をやらかすか分からないから。映画は? ロールの途中で帰るのはありふれた風景。つまらなければ中途退場も普通。 RT @ifitself:
@two_boats
即ち次のとおり。「演劇が不条理展開を許されるのは、興行側と劇場雀連中との黙示の契約において、不条理展開の有無が債権債務を構成していないから」 RT @ifitself:
if @if_itself
つまり客席と役者の信頼関係が強固であるため、役者はわざとらしく客に媚びることなく、あらゆる表現方法(不条理含む)を用いることが出来る。ってことですね。@two_boats
if @if_itself
あえて問題点を突くなら、これは「演劇はあらゆる表現方法を取り入れる理由」であって、「演劇が不条理を取り入れる理由」ではないことです。@two_boats
if @if_itself
ではまず不条理とは何か? ここでは話を簡単にするために「シュルレアリスム的なもの」と定義します。要素を非論理的に繋ぐことにより、言葉では表現できない深層意識の世界を表現するもの、と。@two_boats
if @if_itself
映画が可視的な記号を組み合わせて意味を創造するメディアである一方、演劇は場(時間)の共有、身体感覚の共有など、非言語的な要素が重視されるメディアであるため、シュルレアリスムと相性がいい、でいいのかな。@two_boats
「#演劇」

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