ギロチンについて

 深夜にえんえん語ってた、ギロチンの歴史についてのまとめ。  確実にするため資料を見ながら書いたのですけど、解釈の違いなどで間違えてるところがあったら遠慮なく教えてください。
7
こと @ichigenkin

そういえば、ギロチンって普段から麗しいだの愛しいだのさんざん崇め讃え褒めちぎってるくせに真面目に語ったことはなかった気がする ちょっとやってみよっと

2010-07-13 00:56:07
こと @ichigenkin

ギロチン。ギロチンって実は正式名称じゃなかったりする。ホントの名前は「正義の柱」。 ほかにも人民の復讐者、愛国的人減らし、ラ・ベカン、ルイゾン、ルイゼット、小窓、寡婦、断裁機などなど、他にも色で名前が違ってて、白いのは聖母マリア、赤いのは純潔を奪われた娘。

2010-07-13 01:13:18
こと @ichigenkin

ギロチンは言わずもがな人の名前。ジョセフ・イニャース・ギョタン。彼は自分の名前が処刑道具になることが我慢ならなくて、裁判まで起こして抗議したけど受け入れられす、田舎に引っ込んで病死してしまったとか。

2010-07-13 01:16:59
こと @ichigenkin

ラ・ベカンって言うのは、今は自転車、の意味だけど当時は古い機関車のこと。ギロチンの歯が落ちていく音が、その機関車が走る音に似ていたんだとか。 ルイゾンやルイゼットっていうのはギロチンの開発に関わった医者のこと。アントワーヌ・ルイ。

2010-07-13 01:22:32
こと @ichigenkin

さっき途中送信しちゃったけど、ギロチンの開発者ギョタンがギロチンで死んだなんてのは嘘なのです。 けど、ギロチンの開発者がギロチンで……っていう話そのものは、一部間違ってなかったりする。

2010-07-13 01:24:54
こと @ichigenkin

それというのも、かのルイ16世が開発に関わってるから。 彼はギロチンの設計図を見て、刃の形を斜めにすることを提案したのです。それから一年経たず、自分で以てその性能を証明することになる。 ギョタンがギロチンでなんてのより、こっちの方が広まればよかったのに。少なくとも事実なんだし。

2010-07-13 01:32:45
こと @ichigenkin

そして1792年4月25日午後三時、初めてギロチンでの刑が執行される。強奪犯ニコラ=ジャック・ペルティエ、本によってペルチェとも。 彼がギロチンで死ぬことは、前の年の12月から決まってた。けど、ギロチンが完成しないからと、わざわざその日まで待たされてた。

2010-07-13 01:36:47
こと @ichigenkin

ちなみに午後三時についてはソースが少なくて未確定。 最初の評判は悪かった。当時から死刑は公開されていたけど、それを見る民衆が求めていたのは罪人が苦しむ姿。 罪人が台に上って、穴に首を通してスパンと首を切られるだけ、なんてギロチンは、民衆にとって面白い見世物じゃあなかったのよね。

2010-07-13 01:41:50
こと @ichigenkin

けど、ギロチンは扱うものにとっては好都合だった。組み立てはいるし、水平な台に置かなきゃいけないって言う心がけや注意はあるものの、それは今まで執行されていた刑より技術的にもはるかに楽だったから。

2010-07-13 01:43:30
こと @ichigenkin

ここで少し話を戻して、ギョタンがギロチンを作りたがった理由にさかのぼる。 ギロチンがつくられる前の処刑は、身分や犯した罪によって別れてた。 身分の低いものは絞首刑。犯した罪によってはもっともっと残酷に。 けど、身分が高いものは剣で首を切られてた。

2010-07-13 01:51:40
こと @ichigenkin

ギョタンはそれを嘆いて、同じ罪を犯して同じように死刑になるなら、同じように刑を与えるべきだと主張した。 かくしてそれは受け入れられて、平等で、できるだけ人を苦しませないで速やかに死へと向かわせる、人道的な処刑道具としてギロチンは生まれた。

2010-07-13 01:55:12
こと @ichigenkin

ギロチンは、処刑道具の歴史としてはじめて、「人を苦しませないこと」をいちばんに掲げて生まれた処刑道具だったの。 それを讃えて、ギロチンが生まれたての頃は啓蒙の娘、何て呼ばれたりもした。 そんな娘やだとか言っちゃダメよいちおう褒め言葉だから!

2010-07-13 02:03:45
こと @ichigenkin

閑話休題。民衆には不満でも、扱うには楽だったギロチンは最初の死刑を成功させたと見るや否や爆発的に普及した。 こうなれば民衆も対応しないわけにはいかなかった、どころか大流行。子供や大人のおもちゃにギロチン、イヤリングやブローチもギロチン。 ギロチンまわりにもいろんな名前がついた。

2010-07-13 02:09:56
こと @ichigenkin

例えばギロチンが乗る台は、真紅の劇場何て呼ばれてた。ギロチンにいろんな別名があるのは、当時の民衆からの人気の裏返しって言ってもいいかもしれない。 民衆は公開処刑を見るために、人気の野球試合よろしくチケットを取った。よく見える席は高騰したし、会場で食べ物や飲み物を売ってたりもした。

2010-07-13 02:15:43
こと @ichigenkin

でも見るのは人死に。公開処刑には、甲子園の砂よろしいお土産もあった。処刑された人の血。なんでもお守りになったとか何とか。 イカれてると思うけど、そうやって一方的に責めたりはできない。当時働き通しだった民衆にとって、公開処刑だけが唯一の娯楽だったから。

2010-07-13 02:21:38
こと @ichigenkin

けど、恐怖政治を経て革命が始まってからはそんなことも言っていられなくなった。1793年1月21日。ルイ16世の処刑。首が掲げられた時、民衆はみんな顔を逸らしていたとか。一拍置いて、ハンカチを以て血を掬おうと殺到したけど。首を入れたかごまでむしり取られたりとひどい有様だったとか。

2010-07-13 02:35:28
こと @ichigenkin

恐怖政治と革命のあおりを受けて、何の罪もない、ただ少し人よりお金を持っていただけの人までが次々真紅の劇場を飾っていった。それにギロチンの機能が重なって、一時間の間にも三十三人、1981年に死刑が廃止されるまで、五万人近くもの首を切った。

2010-07-13 02:45:48
こと @ichigenkin

本来人道的観点から開発されたはずのギロチンの、皮肉な歴史。 つーか1981年までギロチン現役だったってのがもうね

2010-07-13 02:47:11
こと @ichigenkin

ところでギロチンが話題に上ると一度は言われるのが、「ギロチンって苦しいんじゃね?」ってこと。

2010-07-13 02:48:03
こと @ichigenkin

結論から言うと、少なくとも首を切られる者は、自分が首を切られたということを理解してる。苦しいかどうかは、首を切られた時点で声帯が切られてるし、動かす手足も無いから伝える手段がない。ただ、首を切られたことがわかるってことは相当怖いことなんじゃないかってこと。

2010-07-13 02:50:40
こと @ichigenkin

とある医師が実験をしたところ、首を切られた者は10秒から15秒の間、生きているときと同じようにはっきりとした目をしていた。瞬きをして、しばらく医師を目で追った。そうしてもう一度目を閉じて、今度は二度と開かなかった。

2010-07-13 02:54:04
こと @ichigenkin

似た刑に斧があるけど、斧は振り下ろされる時のショックで気絶して、そのまま首を切られる。けどギロチンは、あまりにも刃が落ちるのが速すぎて、気絶する間もなく首が切られてしまうとか。

2010-07-13 02:58:53
こと @ichigenkin

けれど、ギロチンが本当に残酷なのかどうかは、私にはよくわからない。激痛とはいえ一瞬の痛み、その後わずか一分以内で天に召されることができるギロチンと、それより長く苦しむこともある現代の死刑。どっちが残酷なんだろう。

2010-07-13 03:00:07
こと @ichigenkin

例えば電気椅子。一度に大量の電流が流れることで血が沸騰して、すぐに死ねないこともある上に、死体も決してきれいにはならない。例えば銃殺。腕の悪いのに当たればえんえんと苦しむことになる。 どちらも、今もどこかの国で採用されてる死刑。

2010-07-13 03:02:35
こと @ichigenkin

それなら、頭と体が分かれてしまうとはいえ、それ以外死体は何の欠損も無く綺麗で、よほど大きな間違いをしなければ速やかに死んで行けるギロチンの方がまだましなんじゃと思ってしまう。

2010-07-13 03:04:37