「Live Without You」
- fujiwarayu
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【23】もちろん今まで、留守番中の姉が問題を起こしたことはない。いつも彼女はテレビを見たり本を読んだりして静かに過ごしている。ニュース番組でけらけら笑ったり逆さに持って文末から音読したり、そんな楽しみ方ではあったけれど、家の中を散らかすでも危険なものに触るでもない。
2010-07-13 22:15:11【25】三食分の食事を作って、朝にはこれ、昼にはこれ、晩ご飯にはこれだよ、と説明する。姉はにこにこしたまま「わかったわ」と頷く。一度に食べちゃ駄目だよ。ガスを使っても駄目だよ。お風呂は僕が帰ってくるまで我慢してね。テレビの音量を上げすぎないようにね。
2010-07-13 22:20:22【26】「わかったわ」と、そのすべてに姉さんは答えた。いつのも笑顔で。まともではない、でも穏やかな笑みで。「行ってらっしゃい、カズくん」
2010-07-13 22:20:56【27】結婚披露宴はなかなか豪華なものだった。ヒロシさんは幸せそうだったし、お嫁さんは小柄で可愛い人で、親族一同はもちろん、新郎新婦の友人たちもふたりを祝福していた。僕は着慣れないスーツを息苦しく感じていたし、姉さんのことが気がかりではあったけれど、披露宴の雰囲気は楽しめていた。
2010-07-13 22:47:11【29】親戚の余興が終わり、三回目のお色直しが済み、ケーキ入刀やキャンドルサービスなどのお決まりなイベントが滞りなく行われ、そろそろ新郎新婦が両親への挨拶をするだろうかといった、そんな雰囲気の中。
2010-07-13 22:50:39【31】質素ながらも形のいいワンピース型のドレス。真っ白な、本来なら新郎新婦以外は着ることの許されない色の、ドレス。僕は驚きのあまり小さく呟いた。「……姉さん」
2010-07-13 22:52:35【32】いつもの表情ーー僕に見せる屈託のない笑顔ーー姉さんはにこにこしたままマイクの高さを調節し、ゆっくり一礼し、「こんにちは」と穏やかに挨拶して一同が自分に注目したのを確かめ。
2010-07-13 22:54:57【34】「私はタカシマミカと申します。そちらにいる新郎、タカシマヒロシの従妹です。私は三年前、ヒロシさんの子供を身ごもりました」
2010-07-13 22:57:46【35】「しかしヒロシさんは私に子供を堕ろせと言いました。私が拒むと、彼は友人の男たちに私を暴行させました。人数は六人です。暴力と性的なもの、両方です。その相手はここにも三人来ていますがそれはいいです。とにかく私は子供を流産しましたので狂った振りをして今日まで過ごして参りました」
2010-07-13 23:01:34【36】「ヒロシさん、幸せですか? それが私を捨てて結婚しようとした相手ですか? 頭の悪そうな扱いやすそうな女ですね。けれど私はあなたを責めません。どうかお幸せに」姉さんはそこまでを一気に口にすると茫然とした新郎新婦の座る雛壇の前へと歩み寄り包丁を取り出して自分の首を切り裂いた。
2010-07-13 23:05:00【38】一瞬の後、あちこちから悲鳴が上がった。会場が騒然とした。騒然どころではない。大騒ぎだった。そんな中で新郎のヒロシさんは血を浴びてその場で嘔吐し、新婦は気を失ってその吐瀉物と血の混じった液体に顔を突っ伏した。
2010-07-13 23:09:24【39】僕はたぶん、二分間ほどその場から動けなかったと思う。どうして姉さんがここに来ているのかとか、それ以前になんであんなにも理路整然とした言葉を口にしていたのかとか、今雛壇の前に倒れているものはいったい何なのかとか、そんなことを考えていた。
2010-07-13 23:13:03【40】やがて硬直が解けて、僕は立ち上がった。姉さんに走り寄ろうとした。でも、できなかった。何故ならその時にはもう姉さんの周りには人混みができていて、僕は彼ら彼女らを必死に押しのけようとしたけれど、僕みたいな子供が死体に駆け寄ることを大人たちはまったく許してくれなかったからだ。
2010-07-13 23:15:07【41】僕は何度も叫んだ。姉さん、姉さん、と。いや、叫べていたのかどうかはわからない。何が何だかわからなかった。興奮していた。頭に血が上っていた。表現はなんだっていい。僕は一時的にまともではなくなり、そうしてーー気が付いた時には僕は病院にいて、すべてが終わった後だった。
2010-07-13 23:18:02【43】ベッドの横には母がいた。父は後処理に追われていて、僕に付き添ってはいれらなかったのだった。無理もないと思う。警察や救急車が来たに違いなく、事情聴取などもあるだろう。母だって本当はこんなところにいる場合ではないのかもしれない。でも僕が「何があったの?」と問うと、母は答えた。
2010-07-14 00:13:08【45】それから母は語り始めた。三年前、姉さんがレイプによって子供を流産させたというのは医師の診断によって明らかになっていたこと。でも姉さんは狂ってしまっていたから、警察に訴え出たりはしなかったこと。
2010-07-13 23:27:05【46】従兄のヒロシさんと姉さんが付き合っていたなんて知らなかったこと。いや、正式に付き合っていたかどうかなんてわからないけれど、とにかく、今回のことはーー母さんはまとめようとしたけれど当然ながら言葉は続かず、声を詰まらせた。僕はだから言った。「母さん、少し休みなよ」
2010-07-13 23:29:14【47】母を病室から追い出した。ホテルに帰ってゆっくりしてくれ、自分は大丈夫、と。そうしてひとりになって、僕は大きく溜息を吐いた。頭を抱えた。重かった。けれど思考せざるを得なかった。
2010-07-13 23:31:53