memo: 笹原留似子さんのオハナシ、東北沿岸は今

(最期に見送るということ、震災のこと、移り行く求められる支援…)
0
ala @w_ala

笹原留似子さん「死を受容するというのは、自分の人生の中にどれだけくいこみながら言語化できるか。大事な方を亡くされた方の感情の表現様々、復元と同じくらい大事にしている」

2012-08-20 02:22:19
ala @w_ala

笹原留似子さん「復元納棺師と名乗らせてもらうこともあるが、復元師とは、納棺師が行う土台をつくること。女性に死化粧施すこと、ご存知の方多いと思うが、男性であれば血色をつけ、家族、友だちにとって、その人がその人らしく眠っているように施していきます」

2012-08-20 02:25:06
ala @w_ala

( 笹原留似子さんの処置道具、一部 。マニキュアも、その方にあわせ色とりどり… )  http://t.co/gps1uNL0

2012-08-20 04:59:05
拡大
ala @w_ala

笹原留似子さん「札幌市出身、母が岩手で、父が札幌出身。モッくん演じた映画“おくりびと”が公開される前のことですが、岩手に移り住んだ。岩手は、自殺のワースト3に入る自殺の多いところ、自殺をされると遺体の復元が必要とされていて」

2012-08-20 02:37:09
ala @w_ala

笹原留似子さん「東日本大震災では、きっとこの日のための試練だった、それを活かすときなのだと思った。初期は、安置所に行かないと、遺体を探せず、家族を探す人が、安置所を次から次へと訪ねていくような状況」

2012-08-20 02:40:28
ala @w_ala

笹原留似子さん「拝んで欲しい方、これからどこへ…と思いあぐねる方、自分にできることは…と考える方、様々。そしてそれが、それぞれの人にとっての未来の一歩で」

2012-08-20 02:41:52
ala @w_ala

笹原留似子さん「私は、岩手の山の中で、血の繋がらないおばあちゃんたちにも分け隔てなく、昔語り(昔話)を聞かせてもらい育ちました。ひとつお話してみましょうか。“ほんとうの鬼婆伝説”、おばあちゃんは、ものすごく怖い声色で話してくれるんです、とてもそれは真似できないですけれど」

2012-08-20 02:43:33

ala @w_ala

笹原留似子さん「昔々、ある峠に、旅人を泊らせ、その肝を食らうと噂される、お婆が住んでいました。その家は、たくさんの草に囲まれた茅葺屋根の、入口と後ろに出口が一つある家でした。ある日、旅人が通りかかり、お婆さんに一晩泊めてもらいたいとお願いしました、お婆さんはいいよ、と言いました」

2012-08-20 02:49:16
ala @w_ala

笹原留似子さん「夜、旅人が寝ていると、奥から何やら音が聞こえてきます。旅人が目をこらすと、それは、おばあさんが包丁を研ぐ音でした。大変だぁ、殺される!と、旅人は後ろの出口から一目散に逃げました。ふもとへ降りると、旅人は村人たちに、お婆さんのことを伝えました」

2012-08-20 02:52:30
ala @w_ala

笹原留似子さん「これでは、峠越えができやしないと、山伏、聖に何とかしてくれと、村人たちは頼みました。お婆さんの家の隣には、お墓があり、お婆さんは、その墓を掘り起こして死体を食べているとも言われていました。山伏は、お婆さんの家へ行くと、近くに身を潜め、その様子を窺うことにしました」

2012-08-20 02:55:14
ala @w_ala

笹原留似子さん「ある日、棺が運ばれてきました。昔は坐棺といって、膝を抱え葬られました。辺りが静まると、お婆さんは、墓を掘り起こし、棺を開け、死人を横たえました。お婆さんの手には包丁が握られています。そして腹を割き、桶で、腹から取り出したものを洗いました。やはり…山伏は思いました」

2012-08-20 02:59:31
ala @w_ala

笹原留似子さん「おばあさんは、洗ったものを、手拭でくるみ、死人に抱かせると、言いました。“無念だったね、切なかったね。でも婆がいるからね、大丈夫だからね”。死人の目からは、涙がこぼれました」

2012-08-20 03:03:23
ala @w_ala

笹原留似子さん「山伏には、その死人の魂の姿が見えました。お婆さんに言っています、“おかげで私たちは天にあがれます、その前に、この子を抱いてやってください”、お婆さんが赤子を抱くと、赤子はキャッキャッと笑いました。山伏は、その三人の姿に涙しました」

2012-08-20 03:05:48
ala @w_ala

笹原留似子さん「すると、突然そこへ山の神が現れました。“噂に流されることなく、その目で事実を知れよかった。婆は、その昔、娘をお産で亡くしたのだ、子も孫も。婆を、どうかそっとしておいてくれんか。”、山の神は、そっと山伏に言いました」

2012-08-20 03:09:23
ala @w_ala

笹原留似子さん「山伏が去っていくと、山の神は、お婆さんに言いました。“婆よ、何か望みは?”、お婆さんは言いました“もう年だし、疲れてしまった、山の頂で岩になって静かに墓を見守りたい”。山の神は、お婆さんの願いを叶えてやりました」

2012-08-20 03:13:12
ala @w_ala

笹原留似子さん「峠には、お婆さんがいなくなったので、村人たちは、山伏が退治してくれたのだと思いました。けれど、山伏は、お婆さんの話を誰にもしてはいなかったのです。…そして、お産で亡くなる者がいると、山からこだまが聞こえてくるのだそうです、“婆のところへこ~い”」

2012-08-20 03:15:40

ala @w_ala

笹原留似子さん「私の会社の名前は、“株式会社さくら”というのですが、会社のある北上が、桜の東北三大名所の一つということもあって、その地にあやかった名前と思われることが多いのですが、実は違うんです」

2012-08-20 03:18:27
ala @w_ala

笹原留似子さん「母方は僧侶で、その祖先は山伏と言われているんですが、その昔、奈良吉野へ修行に出かけ、帰ってこなかった祖先もいると言います。吉野の山で行き倒れになると、埋葬後に桜を植えた、そんな話を伝え聞き、供養の樹として、会社の名前を考えていたときに思い出し、名付けました」

2012-08-20 03:20:36
ala @w_ala

笹原留似子さん「私が、依頼を受けると持っていく道具の主なものは、メイクセット、復元セット、そして遺族のケアのためのセットがあります。死後硬直が強い場合には前日まで元気だった場合が多い、筋肉がそれだけ動いていたということで」

2012-08-20 03:23:20
ala @w_ala

笹原留似子さん「口が開いてしまう、ということがあると思いますが、そういうときは、タオルなどを下に敷き頭を少し高くし、それだけで自然に口が閉まりますが、顎にフェイスタオルを少しあてるとより閉まります。体液が出たり死臭がしないよう口に脱脂綿を入れ、口元を整えます」

2012-08-20 03:26:00
ala @w_ala

笹原留似子さん「“ご出発の日はいつですか?”とお伺いし、それにあわせ薬品を用います。口紅を塗るときは、手の甲であたためてから塗ります。また“いつもの色”でも、顔が蒼白だと色が濃くなりがちなので、リップクリームやワセリンで薄めて使います」

2012-08-20 03:28:36
ala @w_ala

笹原留似子さん「子どもほど、真っ直ぐ死に向き合います。納棺の時間、一緒に手伝ってもらったりします」(笹原さんは、“参加型納棺”という言葉を商標登録されており、遺族と一緒に納棺を行うその時間を大事にされている)

2012-08-20 03:30:26
ala @w_ala

笹原留似子さん「いま仮設のお母さんからは、つい子どもにあたってしまうという声も聞きます。沿岸へ私がいまも通うのは、コミュニティづくりのお手伝いというより、一人ひとりが自身で繋がってもらえるような、そのために必要なことをさせてもらうという気持ちです」

2012-08-20 03:33:25