佐藤正美Tweet_20120801_15

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佐藤正美 @satou_masami

事業を営むためにユーザは独自の言葉を沢山持っているが、そういう言葉はSEの都合次第で標準化できるものではない。これらの言葉を、ただ特定のユーザの方言と思い込むところからSEの「解釈」の間違いが生まれる。ユーザの言葉は、習慣というよりも遥かに風土文化という特性に近いのである。

2012-08-01 01:49:55
佐藤正美 @satou_masami

それぞれの企業の個性は、どの様な事業パターンを以てしても要約できぬ特性である。企業は、事業の特性に従って自身の事業を外界に対して調整して来たのである。抽象的「論理」に依って形式的構造を考えるエンジニアにとって、それは大きな教訓に思われる――観念の拵える、根のない空想を捨てよ、と。

2012-08-02 06:55:59
佐藤正美 @satou_masami

或る事業が見事だと思った時、私はそこに着実な構成条件を見つけただけだ。それだけである。或る特性を持った一つの事業が活きている条件を、私は忠実に聴いただけである。そして、その弱点も。しかし、弱点の恩恵を蒙らない強みというものはあるまい。強みが強みとして現れぬ時に弱点が目立つだけだ。

2012-08-03 06:40:16
佐藤正美 @satou_masami

「論理」、そんな技術は事業分析には不用だとSEたちが思い込んでいるから、彼等の描く概念図に含意がありそうに見えて実はない。素朴な概念の羅列だ。凡そ努力しないでも抱き得る様な概念ばかりが並んでいる。論理に論理を重ねて「現実」を抽象化した統一な性質を象徴する「形式」など見られない。

2012-08-05 04:54:00
佐藤正美 @satou_masami

モデル技術は、私の(「現実」に対する)「解釈」のデッサン技術ではない。「論理」を学習する事によって養われた「形式」に関する信頼を実物(「現実」)を観る事によって確かめずにはいられなかったエンジニアの技術である。「現実」の形式化すなわち構成条件の究明がエンジニアの写生の精神である。

2012-08-06 14:01:23
佐藤正美 @satou_masami

もし、事態の構成条件が明らかに記述される場合、たとえ、その論が正しく構成されたとしても、そこには形式化技術以上のものが前提となる。エンジニアの技術への絶対の信頼感は、モデル論によって喚起されるものではない。現実的事態への興味を抱かずして「形式」を信ずる事はできない。

2012-08-07 20:57:59
佐藤正美 @satou_masami

「意味」は、個体的な記号を並べて全体的な組織を建てようとする意志の創るものだ。全体的でない様な(前提条件及び構成を持たない様な)情報(論証)はない。「形式」に対する信頼がなければ、「論証」というものは存しない、こういう信頼があるからこそ、「意味」を伝達できるのである。

2012-08-08 04:22:17
佐藤正美 @satou_masami

モデル論は「理論」に過ぎず実務に役立たないと思い込んで顧みないSEも少なくないが、モデル論は最良の技術論の一つなのである。モデル論を厭う彼等の描く「事業構造の概略図」は、、、――寧ろ、思わせ振りな概念こそ、「理論」にならぬ空論であろう。

2012-08-09 17:01:52
佐藤正美 @satou_masami

SEたちがユーザと異質の「論理」を持っているのではない限り、SEはユーザと同じ「意味」(構成条件)を知るに至るというのが「論理」の根本なのである。SEが形式的構成を作る目的とは、ユーザの使う記号を通じて、同じ「意味」に導かれる、その認識過程である。

2012-08-10 16:30:40
佐藤正美 @satou_masami

事業分析をやっているSEたちが自分にはモデル論がわからないと平気で云っている。多くのSEたちがこれを怪しまない。つまり、事業分析とは、モデル論などわからなくてもいいものになってしまったのである。では、パターンならわかるとでも云うのかしら。パターンを選んで使う推測力は難しいョw。

2012-08-11 01:39:10
佐藤正美 @satou_masami

事業分析では、形式化の一般的技術を見失っているから、めいめいが勝手気儘な様式を発明しているという点を篤(とく)と省(かえり)みるべきだ。実際、モデル論がわかるとかわからないとかいう言いかたが非工学的表現なのである。分析はただ「論理」だという事を忘れ合いをしている様なものだ。

2012-08-12 20:49:01
佐藤正美 @satou_masami

モデル技術は「形式化」の実践技術である。モデル技術とは、ユーザの使う記号がわかってもわからなくても一向平気な一種の退屈な記号演算に(先ず)耐える経験である。「意味」をわかる事とは全く別種な認識を得る経験である。SEたちは、モデルを談じながら、こういう地道な認識を軽んじている。

2012-08-13 13:31:30
佐藤正美 @satou_masami

学術論文の世界は別だが、実務の世界では、理論の厳正さよりもその効果が優先される。誰だって効き目のない物を使いたくない。理論を嫌って「体験」の定式化を試みるSEもいるが、「特称の全称化」は「論理」を前提にしない限り軽率だ。技術の整合性・有効性・単純性を調えるのは存外難しいのである。

2012-08-14 14:17:20