.@fu_kyo さんのご説明 http://t.co/tZkwmnsW 《自分からの自由》がスタート地点なのに、《自分》にゴールしている、ということですよね。これは素直に解釈すれば、自家撞着。
2012-08-23 23:14:02@10_key 成る程。確かに自己矛盾している様にみえますが、ちょっと違うんですよね。何でしょう。そもそも俳句自体に「自分濃度0%への志向」と「自分濃度100%への志向」と云う相反するベクトルを内包している部分があるんじゃないでしょうか?
2012-08-24 04:00:58@10_key でもって、とりあえず①の《自分からの自由》ってのは、最終目標では無くて、俳句としての自分濃度をイイ塩梅にする為の手段だと思うんです(捩れの調整)。最終目標はあくまで面白い句を作る事。
2012-08-24 04:03:29@10_key 多分、僕は自分濃度100%の「世界」は面白いと思っていると同時に、それをそのまま第三者に伝えても第三者は面白いとは思ってくれないとも思っているんです。ここが天気さんのいわれる「含羞」の部分(あくまで僕なりの「含羞」ですが)。だから、自分濃度を調整する必要がある。
2012-08-24 04:04:56@10_key だから、④の自分濃度100%の世界(このままでは面白い句になるとは思えないから)を人前に晒せる形になる様に、その塩梅を調節する為の俳句という「錬金の壺」が必要なワケです。
2012-08-24 04:06:20@10_key 先ず、スタートの時点で「俳句は俳句」と仰る天気さんと、「俳句もまた詩でしょ?」という僕では「俳句」の捉え方にズレが出来るのは仕方の無い事かもしれませんが……僕、俳句の裾野の広さ(何でも有り加減)ってのは、凄く面白いと思うんです。
2012-08-24 04:08:14.@fu_kyo ありがとうございます。これ、俳句とは?をお話しているのではなくて、@fu_kyo さんのおっしゃった《自分からの自由》と《写生》について、だったのです。(ちなみに私がどう考えるかはとりあえずテーマの外) 続く
2012-08-24 07:07:51もう少し考えていきたい部分があるんだけど、頭の使いなれない部分を使ってるので、疲れる。学生時代に、ちゃんと勉強を出来る頭を作っておくべきだった……。
2012-08-24 04:15:39天気さんとの「定型の限界」って話は⑥と⑦の間で生まれる話なのだが……とりあえず、寝る。またそのうち、ゆっくり考えよう。
2012-08-24 04:26:16@10_key う~ん、やはりコレは道順が逆な気がします。《自分》スタートを《自分からの自由》にゴールさせる為に「俳句」がある。そう考えるべきなのじゃないでしょうか。でも、正確にいえば、僕にとって《自分からの自由》はゴールじゃないんですけどね。
2012-08-24 04:41:15いやw、これは @fu_kyoさんが《自分からの自由》をスタートとしてツイートを初められたということで。これ→ http://t.co/JCApbxWv RT @fu_kyo う~ん、やはりコレは道順が逆な気がします。(…)
2012-08-24 07:16:16.@fu_kyo 単線的に行きましょう。傍系の話題や大きなテーマ(例:俳句とは?)へ広がってるとキリがないので。@fu_kyo さんの《自分からの自由》に《写生》を利用、定型は《写生》に限界。そこから話が始まりました。要素は《私からの自由》《写生》《定型・自由律》の3つです。
2012-08-24 07:54:48