吉田拓郎伝説。

70年代の拓郎が輝いていた理由、矢沢永吉、井上陽水との違いなどを面白く解説しています。腑に落ちるところ、多し。
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蕩尽伝説 @devenir21

拓郎は鹿児島の人なので女系である。お婆さん子であり、母親子だった。家庭で父親の姿が驚くほど希薄だ。そのため成長の際、自己の核となるものをどこにも求められなかった。アメリカの音楽がその代用になったとはいえ、それだけでは埋められない欠如を抱えていた。

2012-08-27 02:43:55
蕩尽伝説 @devenir21

拓郎の音楽は、この不在の父、人生の核となるべきものを求めての彷徨である。フォークを始めた頃は千葉で民俗音楽の採取とかをやってる。鳥取出身の岡本おさみの詩が一時その欠落を埋めた。地方から日本を見るという視点を与えたのだ。『襟裳岬』はその典型。70年代の拓郎は素晴らしい。

2012-08-27 02:48:14
蕩尽伝説 @devenir21

でも拓郎自身には、地方人と言えるほどの内実がじつはなかった。これは矢沢永吉との対談を聴いて知ったこと。日本でただ1人ヤザワを「お前」呼ばわりできるのが拓郎なのだが(笑)、2人とも広島に一時期いた。でも、それがアイデンティティになっているわけではないと口を揃えて言う。意外だった。

2012-08-27 02:52:36
蕩尽伝説 @devenir21

戦後日本には鹿児島であれ、広島であれ、地方の内実や個性は失われていた。デビューして暫くは地方人としてのアイデンティティを売り物にして商売できたが、すぐにネタ切れになった。やむなく都会を主題にしたオシャレな音楽に切り換えようとして失敗した。それが80年代以降の拓郎だ。悲惨だった。

2012-08-27 02:57:00
蕩尽伝説 @devenir21

たんなる歌謡曲ではない、フォークソングがアイデンティティを求めようとして、地方にその根拠が見つからない。じつは同じ問題にボブ・ディランも突き当たっていた。ただし彼の場合、アメリカ詩人のモダニズム文化に包まれ、シュルレアリスム的な詩を書くことで、とりあえず創作の危機は回避できた。

2012-08-27 03:00:18
蕩尽伝説 @devenir21

拓郎、および日本のフォークソングには依拠すべきアイデンティティがどこにもなかった。せいぜいラブソングを書くぐらい。それなら歌謡曲と大差ない。拓郎の場合、男のロマンみたいな漠然とした心性を曲の主題とするようになって、私はすっかり関心を失った。デビュー時の拓郎はそうじゃなかった。

2012-08-27 03:03:16
蕩尽伝説 @devenir21

70年代の拓郎は、父を信じられず、国家を信じられず、メディアを信じられず、知識を信じられず、恋も女も信じられず、なにも信じられない、そんな若い男性のナイーブな感受性を正直に歌った。弱さをさらけ出した。こんな臆面もない歌を書いた者は他にいなかった。まさに宣長の大和心だ。

2012-08-27 03:07:17
蕩尽伝説 @devenir21

大和心というのは、それだけでは維持できない。だから何かで補強される必要がある。それが宣長のいう漢心(からごころ)で、拓郎の場合は「男の世界」というやつ。これは彼に限ったことじゃなく、文人でも映画人でも、才能のないやつは決まって男の世界に逃げ込む。定型化され、やりやすいからだ。

2012-08-27 03:10:10
蕩尽伝説 @devenir21

矢沢永吉もそうなって不思議なかったのだが、かれには独特の嗅覚があり、そっちの世界には実りがないと気づいた。以後もっぱらラブソングを創るのに徹し、マンネリを免れた。

2012-08-27 03:11:26
蕩尽伝説 @devenir21

陽水には思想がない。日本浪漫派のようなものだ。所詮すべては言葉遊びに過ぎないので、あんなのは幾らでも続けられる。だから還暦過ぎても元気なのだ。不幸なのは拓郎だ。ファンをやめてから20年以上経つけど、70年代の輝きを思い返すにつけ、痛ましい思いがする。才能があるゆえ陥った隘路だ。

2012-08-27 03:14:07