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sukemori_t
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この九郎岳登山口に続く道を脇に逸れて行きますと、『姫待峠』と言う細い道に入ります。この道は、義経が後を追ってくる静御前を待っていた峠なのだそうでございます。姫待峠の姫とは、静御前の事なのですね。しかし静御前は義経に追いつけず、義経は九郎岳を越えて行ってしまいました。
2012-08-28 21:39:39![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
静御前は絶望し、川に身を投げてしまったのだそうでございます。この川が、現在乙部町を流れる『姫川』でございます。元は乙部川と呼ばれていたものが、静御前の伝説から、姫川と呼ばれる様になったのだそうでございますよ。
2012-08-28 21:40:49![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
寿都町には、『弁慶岬』と言う場所がございます。この場所で義経と弁慶が、大陸に渡る機会を伺っていたのだそうでございます。岬にあるPAには巨大な弁慶の像が。 http://t.co/OlatBA2u http://t.co/JwcFsthk
2012-08-28 21:45:40![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
大変美しい場所ですね。トイレには義経と弁慶の五条大橋の対決と見られる場面が描かれておりました。 http://t.co/B3YNOVZd http://t.co/xeD6DE6b http://t.co/5sWQ8wLL
2012-08-28 21:50:38![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
岩内町には弁慶が岩を捻って刀を掛けたと言う刀掛岩と刀掛岬、義経が自分を慕うアイヌの娘メヌカから宝物を巻き上げ「また来年来る」と嘘を告げてメヌカを捨てた為、「らいねん」が訛って「らいでん」と言う地名になったとされる雷電岬などがあります。
2012-08-28 21:55:28![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
しかしどれも海岸沿いの道路の下にあり、現在どこも停車できる様な場所ではありませんでした。残念です。ちなみにこの辺りは雷電海岸と言って、有名な蝦夷地のスイカ「らいでんスイカ」もこの地名から来ています。雷電…カッコイイですね。
2012-08-28 21:57:31![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@munemori_bot よっつねたんヒドイ…(/ _ ; )しかし、蝦夷地の義経伝説は、西の方の史跡と比べて口伝のみのような感じなのかなぁとの印象でしたが、実際に像なども建っているのですね!巡りたくなりました!レポート楽しいです♪♪
2012-08-28 22:00:36![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@zary_yoke 弁慶の像、義経の像などは他にもいくつかあるようですよ。蝦夷地の義経の行動はやたらと酷いものが多いようです。
2012-08-28 22:03:57![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
平取から雷電峠を越えて積丹までやって来た義経は神居岬から大陸へ渡ろうとしましたが、義経に恋をして平取から追ってきたアイヌの娘チャレンカが、岩となって義経一行の船を妨げたのだそうでございます。
2012-08-28 22:04:36![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
チャレンカが怒るため、1858年までは神居岬は女人禁制の地だったのだとか。 http://t.co/HifjAsFN http://t.co/igdhosRC http://t.co/DTCBmUA0
2012-08-28 22:09:17![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
鴎島、弁慶岬、雷電海岸も大変美しい景勝地でございましたが、この神居岬も言葉に出来ない美しさでございました。 残念ながら先だっての大雨の影響により、岬の遊歩道は途中から通行止めとなっておりました。想像する外ございませんが、先端からの景色は絶景でございましょうね。
2012-08-28 22:11:30![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
この神居岬から出航した義経一行でございますが、風と潮のため岬を越えられず、近郊の入舸(イリカ)の村に漂着したのだそうでございます。アイヌの酋長の娘シララが義経に恋をしたのだそうでございますが、義経は彼女を捨てて旅立ちました。
2012-08-28 22:13:24![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
シララは海岸を岩沿いに義経を追ったのですが、波に呑まれて岩となったのだそうでございます。女郎子岩(じょろっこいわ)として現在もあるのだそうですが、特に標識も看板も無く、海岸にはそれらしき奇岩が無数に聳え立っておりましたので、どれがチャレンカかどれがシララか、特定できませんでした。
2012-08-28 22:21:12![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@munemori_bot そうなのですね。何故よく義経伝説にありがちな、武勇伝や切ないお話ではなく、ヒドイお話が多いのでしょう??蝦夷における義経の印象、評価などは…どうだったのでしょう。とても興味がわきました。リプありがとうございます(>人<;)
2012-08-28 22:21:18![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@zary_yoke 和人によるアイヌ懐柔政策などが絡んでくるようです。和人は義経=オキクルミ(アイヌの文化の神)であるとアイヌに流布して懐柔しようとしましたが、反面、和人のアイヌに対する非道な行いが義経伝説に反映されている、と言う事もあるようです。
2012-08-28 22:27:48![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
しかも雷電海岸同様、なかなか停車できる場所がありません。 景高「つーかwwwwwwww義経どんだけwwwwwwwwwwwwwwwwwww」
2012-08-28 22:23:39![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@munemori_bot 宗盛さま容赦ないw って思ったら景経さま!そういえば20時から蝦夷地紀行でしたね。どうりで容赦ないwwwさすがです。
2012-08-28 22:26:12![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@munemori_bot 北海道の歴史は古くは口伝ですので、脚色されてゆくのです。(^_^; 今頃は海岸線きれいでしょう。(^_^)
2012-08-28 22:29:03