アーキエイド、そして建築家の役割

ある記事を発端としたアーキエイドについての話から建築家の役割に関するある日の会話。 (わかりやすくするため時系列の前後あり) アーキエイド http://archiaid.org/
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Hide Matsubara @hmatsubara

@yoshihirohorii 「反対する」という所「助言する」であれば僕的にはしっくり来るんですが… でも確かに集合住宅の場合は悩ましいですね。どれ位の意義なのか、社会性とか生とは何かという問題になって来る。リスクヘッジも含めて設計するとか、そうとう工夫は必要だと思います。

2012-09-24 02:00:31
堀井義博 @yoshihirohorii

@hmatsubara ありがとうございます。確かに「助言する」の方が表現としては適切かもしれません。頭の中では「どうしてもそれをお望みなら◯◯に相談なさる方が良い」というアドバイスをするのもアリだという考えでした。自分はそれに協力しないという意味です。 @irumatsu

2012-09-24 02:05:11
堀井義博 @yoshihirohorii

@irumatsu もちろんそういう社会背景は俺も知っています。いま @hmatsubara さん宛にリプライした通り、考え方(というより根本的な思想かなぁ)が合わない場合、合いそうな人を紹介してあげるということもアリだろう、と俺は思っていますよ。

2012-09-24 02:07:13
堀井義博 @yoshihirohorii

@irumatsu なお矛盾するように思えるかもしれませんが、俺個人はムリヤリ延命させる医療に反対です。患者が俺自身の場合は静かに引き取らせてもらいたいと思う。それでも、医者というのは人間を活かす職業を言うのであって、死なせる職業ではない、というのが俺の考え方ことです。

2012-09-24 02:10:29
堀井義博 @yoshihirohorii

@irumatsu 要するにこれまでの歴史で、そういう職能はついぞ開発されてこなかった、と理解しています。宗教が支配しているような国にはあるかもしれませんが。今後はそうした職能が求められ開発されていくのかもしれません。でも、それらを建築家とは呼ばないと思います。

2012-09-24 02:12:50
堀井義博 @yoshihirohorii

あともう一点。これはより一般的な見解なんだけど、すべての人間がいずれ死ぬことを知っているからと言って「死ぬために生きる」人などいないってのと同様、幸福な生活がいずれは失われるかもしれないことを薄々感じているからと言って「幸福を棄てるために生活する」人もいないと思う。

2012-09-24 02:17:27
t.nkk @irumatsu

@yoshihirohorii ちなみに私個人は同様のケースに直面し、「お気持ちはよくわかりますし、避難方法について理解のある我々の世代にとってはその選択も一理あります。しかし我々の次、もしくはその次の震災を知らない世代にとっては今回の震災と同様の結論を迎える恐れがあり→

2012-09-24 02:18:47
t.nkk @irumatsu

@yoshihirohorii →私個人の見解を述べさせていただければ、まったくオススメしません。今回の制度を上手く利用したほうが良いのでは?」という解答を行いました。長清水の場合は、より賢明な判断を行うために先生に依頼をいただいているので、その形でした→

2012-09-24 02:21:49
t.nkk @irumatsu

@yoshihirohorii 他にも課題は多々あります。たとえば、集落を出られる方について。集落の人間はそれは多い方が理想的ですが、たとえば出られる方が多くなり、集落を解散したいという要望がある場合、やはりその決断については尊重を行うのだろうと思います。

2012-09-24 02:24:46
堀井義博 @yoshihirohorii

@irumatsu 集落撤収の件は、そもそも集落内での「集団的合意」が前提になっているので、似ているようで違う話だと思います。そこで「いや集落は残した方が...」などと言うのは単に他所者の勝手なエゴだと思う。その前の高台移転を薦めた話は非常によく理解できます。

2012-09-24 02:34:31
堀井義博 @yoshihirohorii

@irumatsu コミュニティデザイナーにしたって集団的撤収については基本的に想定外だと思いますけどね。仮に建物を作らなくても、コミュニティを「作る」ことが想定されてるはずだし。違うのかね。

2012-09-24 02:36:52
t.nkk @irumatsu

@yoshihirohorii どう呼ぶかについてはよくわからんです。終わってから考えましょうという感じ。ちなみに、個人レベルではそもそも集落に残るか、残るとしてどこに住むか、は地続きの課題かと。たとえば半島のほうの規模なら、展開によっては撤収も十分あるんだろうなと思ってました

2012-09-24 02:42:33
堀井義博 @yoshihirohorii

@irumatsu 残るか出るか問題は、職能や生き方に強く関わっているという実感があります。担当されてる建築家や学生は俺よりずっと強くそう思ってる気がします。漁師の職能を活かして安全な地域へ移って漁師生活すりゃいいのに、と最初は思いましたが、どうもそういうものじゃないようです。

2012-09-24 02:45:35
t.nkk @irumatsu

@yoshihirohorii 高台移転についてだとわかり辛くなりますが、防潮堤の計画についてどう取り組むかでスタンスが大きく分かれるのだろうなと思ってます。住民運動まで発展しそうな地域もあれば、作った方がよい、そしてどうせ作るなら良い形で作りたい、という地域もある。

2012-09-24 02:45:54
t.nkk @irumatsu

@yoshihirohorii 残るか出るか問題は、昨年の今頃ちょうど議論されていましたね。私の結論は、人口が縮小する背景がある中で「共同の資源管理により形成されている相互扶助的状況において維持される生活」が沿岸部における効率化モデルであるということでした。→

2012-09-24 02:58:32
t.nkk @irumatsu

@yoshihirohorii つまり、たとえば集落合併したりするととたんに都市生活で必要な公共施設や設備が要求されるようになったり、極端な話漁業をやめる可能性がある→資源管理がなされなくなる。漁業やってるなら今の土地にいる方が生活維持には効率的だし、それで資源管理も行われる

2012-09-24 03:04:56
t.nkk @irumatsu

@yoshihirohorii すいません、結論じゃなくて推測です。

2012-09-24 03:01:59
Hide Matsubara @hmatsubara

@yoshihirohorii @irumatsu 堀井さん、他の適切な人を紹介するというのは 信念に忠実たらんとする一つの姿だとは思いますが、その紹介した方が妥当な建築をするとは限らず、逆にその地には不適切なものを造ってしまう可能性もありますね。

2012-09-24 10:06:04
堀井義博 @yoshihirohorii

@hmatsubara おはようございます。僕の言葉が稚拙ではありますが、昨夜からの松原さんや中木さん @irumatsu とのやり取りは職業倫理に関することが中心で、意味ある議論かと思いますが、例の批判ブログはちょっと。。お読みいただいたかどうか分かりませんが。。

2012-09-24 10:13:37
Hide Matsubara @hmatsubara

@yoshihirohorii @irumatsu 社会にとって有益な建築を行う事が建築家の使命なら、相談を受けた建築家が正面から向き合う というのも一つの役割だと思いますが、間違っているでしょうか。依頼主は難題を承知でその建築家に解を託した、ということも無いかと。

2012-09-24 10:09:49
堀井義博 @yoshihirohorii

@hmatsubara @irumatsu 微妙だと私が思う理由は、提案の中身についてはほぼノータッチだからですが。都市計画学の大先輩であり、拝読すべき事柄は沢山書いてあると思うのですが、その点で、批判が非常に形式的なものに陥っているように、私には読めてしまいます。

2012-09-24 10:18:54
堀井義博 @yoshihirohorii

以前にも書いたけど、偏見とは何かを理解する時に足掛かりにする「予理解」とでも言うべき仕組み http://t.co/hoiVcjYe で、偏見がない人間なんていないんじゃないのかな。無かったら、ホールドがない岩登りみたいなもので、何かを理解することなんか出来ない気がする。

2012-09-24 10:40:23
堀井義博 @yoshihirohorii

初めて最初の言葉を覚える乳幼児のように理解することは、言語を介した思考を始めて何年何十年も経った殆どの人間には全く出来ないわけで。だからその場合に、ありとあらゆる細かい偏見が、次の新しい知や理解への足掛かりになる。それ無しに知識や理解を増やすことなんか出来ないと思う。

2012-09-24 10:43:53
堀井義博 @yoshihirohorii

何が言いたいかというと「偏見は良くない」という言い方がもっともらしく流通しているし反復されているけど、俺の考えでは、偏見とは人間が物事を理解する仕組みに組込まれている重要な要素で、除去なんか出来ないということ。除去したら今度は理解の仕組みを失うと思う。そもそも除去できない。

2012-09-24 10:46:22
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