2011.04.29震災シンポジウム「応急から復興へ」実況 #oqfk
本日になりました。ぜひともみなさんご来場ください。 #oqfk 04.29 シンポジウム「応急から復興へ」@京都工芸繊維大学 http://bit.ly/jPcbDV
2011-04-29 11:14:55よろしくお願いします。RT @ynbr: 本日になりました。ぜひともみなさんご来場ください。 #oqfk 04.29 シンポジウム「応急から復興へ」@京都工芸繊維大学 http://bit.ly/jPcbDV
2011-04-29 14:40:50二日酔いと花粉症のダブルパンチをくらっている。でもこれには行くよ→ #oqfk 04.29 シンポジウム「応急から復興へ」@京都工芸繊維大学 http://bit.ly/jPcbDV
2011-04-29 15:55:28#oqfk 04.29 シンポジウム「応急から復興へ」@京都工芸繊維大学 http://bit.ly/jPcbDV 実況しますー
2011-04-29 16:02:24#oqfk 木村:先日職能論の授業で阪神大震災について尋ねたらだれも記憶にあまりなかった。阪神大震災の時にはじめて建物が潰れることを体感した。それまでは経験がなかった。神戸もひどいと思ったが東北はその瓦礫さえ流れてしまっている。
2011-04-29 18:16:13#oqfk 木村:一週間目に関西の建築家で集まって話し合った。そこで応急判定をやることになりました。応急は復興までの手当。緊急は一週間目くらいで終わっている。その時に、避難所にいる人に家に帰ってもらうために応急判定を始めた。この時制度としてはまだなかった。
2011-04-29 18:26:53#oqfk 木村:関西の建築家で手分けして、初めは宝塚、西宮からはじめていった。一部の人は姫路のほうから被災地に入っていた。この時はまだ携帯はなく、みんなでFAXで連絡しあっていた。今のその書類が残っている。
2011-04-29 18:28:30#oqfk 木村:徐々に新聞に載りだし、判定をしてほしい人と活動したい建築家が集まってきた。最終的に建築家は60名程度集まった。
2011-04-29 18:29:49#oqfk 木村:建物に判定をしに行って話を聞くだけでもメンタルケアにもなっていた。応急処置はなにもできなくて、テントを貼るくらいしかできない。直せばなんとでもない建物でも職人がこの時いなかった。電話してきた住民の方々は建築家に直してもらえると思っていたと思う。
2011-04-29 18:33:03#oqfk 木村:判定をしている間にどんどん解体がはじまった。国が解体費を支給したので、解体しなくてもいいものも解体されてしまった。そして仮設住宅がどんどん建っていった。
2011-04-29 18:34:50#oqfk 木村:この時も仮設の配置を考えられないかと考えたが、スピードが必要だった。そのためどんどん羊羹型で建っていった。この時問題になったのは誰が入るか。今回では村ごとに入ったりとコミュニティに問題も改善されているのではないか。
2011-04-29 18:36:38#oqfk 木村:解体費がでてもそれで全部賄えない人の建物が点在していた。東灘は古い町並みがあり、文化があった。夏以降からハウスメーカーの住宅がどんどん建てられていった。町の文化を取り戻してほしいと思い、東灘の展覧会のようなものをやった。
2011-04-29 18:40:45