猫の帰る場所

怪奇の種の八雲より、7話目の『猫の帰る場所』で御座います。
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小泉怪奇@怪談を蒐めるヒト @kaikinotane

夏の陽射しが目映い頃、その猫は忽然と庭先に現れた。灰色のふっくらした毛並みが薄汚れてボサつき、首輪も付けていない。 野良猫、と一目見て解った。軒下の敷石の上で威風堂々と鎮座している様は「この家の猫だ。早く飯を寄越せ。」と言わんばかりであったが、家人とも私とも初対面だ。

2012-09-04 02:10:26
小泉怪奇@怪談を蒐めるヒト @kaikinotane

余りに堂々としていたのが気に入って、それから毎日、顔を見せる度に魚や何やと食わせてやった。ある時は縁側から見える食事の支度に待ちきれず、網戸に顔を押し付けては頬の毛を網戸の目からタワシのようにチョンチョンと出し、私達を笑わせたものだった。

2012-09-04 02:11:22
小泉怪奇@怪談を蒐めるヒト @kaikinotane

ある日、いつものように猫が庭先に居た。 「そろそろお前の茶碗を買わなきゃな。」なんて話し掛けたが、じっと俯いて何か考えているように見えた。 こいつは良く返事をする猫だった。普段と様子が違うので怪我でもしたのかと一歩脚を踏み出すと、猫が顔を上げた。

2012-09-04 02:12:09
小泉怪奇@怪談を蒐めるヒト @kaikinotane

頬がぐっしょりと濡れていた。大きな双眸から人のようにぼろぼろと涙を流し、私をただ見つめる。そんな様子は初めて見た。と、言うよりも動物が声も無く只管に涙する所など見た事が無かった。 私が言葉に詰まると、猫は身を翻して駆け出して行った。

2012-09-04 02:47:51
小泉怪奇@怪談を蒐めるヒト @kaikinotane

猫は二度と顔を見せなかった。毎日必ず庭先で座っていたのに、だ。 やがて季節は移ろい、暑さは和らいで。日が沈むと、秋の音が耳を楽しませるようになった。まだ猫は姿を見せなかった。寒くなってきたな、と思い毛布を用意する。ごろり、無造作に寝転がると、くすぐったい何かが足元に触れた。

2012-09-04 02:48:33
小泉怪奇@怪談を蒐めるヒト @kaikinotane

ふわり、ふわり。 なぞる様に、撫でるように。 「―――嗚呼。」 触れた事は無かったけれど、それでも解った。何処かで帰れなくなってしまったんだな。お前は知っていたのか。知って、声も無く泣いていたのか。 あの時の猫と同じだ。私の双眸から涙が止め処なく溢れた。

2012-09-04 02:50:02