『傾城阿波の鳴門』第八「順礼歌」の一段は、『オイディプス王』にも比肩する、本朝の誇るべき名作中の名作である

0
神津武男 @Izumonojyo

@naonao200170 御意。赤穂事件を、太平記の時代に投入できるのは、「建前としての年号」が機能しているから、ですね。

2012-09-12 01:56:56
神津武男 @Izumonojyo

竹本駒之助師は「順礼歌」を、”誰でもやっているから誰でも出来るように思われているけど、そんな簡単な曲じゃない。”と仰有られ、”だって「八ツ目 やっつめ」ですからね”と念押しなさいました。

2012-09-12 02:00:13
神津武男 @Izumonojyo

神津気付いて曰く、”同じ近松半二でいえば『伊賀越道中双六』八ツ目「岡崎」に並ぶのですね”と。

2012-09-12 02:04:42
神津武男 @Izumonojyo

半二の絶筆『伊賀越道中双六』はほとんどを彼が書いたと思われるので、全体が充実しているのですね(既に竹本座の作者部屋が崩壊しているから)。まだ作者部屋が健全に存在していた頃の『傾城阿波の鳴門』は、かえって全体が不十分に。

2012-09-12 02:07:05
神津武男 @Izumonojyo

しかし全体の低調さと、「順礼歌」の達成とは切り分けて考えるべし。故にこそ浄瑠璃史は、これを付け物・一幕物の演目として遺してきたのでありましょう。(完)

2012-09-12 02:10:02