四隅突出型墳丘墓と妙見にまつわる話

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百助 @100suke

Excel で『任意の日時の星の配置』を図示できるようにしました。だからどうってことはないのですが、冬至の零時の北斗七星の向きが斯様になると分かりました。さきたまはこれに合致します。 http://twitpic.com/289ap1

2010-07-25 01:42:03
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百助 @100suke

四隅突出墳墓についてこの本( http://amzn.to/bKIqGJ )を読んだところ多くは低山の頂にあるという。これに私の考察、妙見的に有意な位置にあること(=見通が良い)を加えて考えると、戦国期には格好の山城の土台とされたのではなかろうか?だから残存しないという仮説。

2010-07-24 13:24:15
百助 @100suke

さきたま古墳の北斗七星は真上から見た時の配置であって、地上からでは余程高い位置でないと、その形には見えない筈ですね。う〜む、要再考。

2010-07-24 12:37:57
百助 @100suke

暦法で重要なメトン周期による補正すなわち、冬至のシリウス観測。これは午前零時に行う。そのため(と信じる)に正確な位置に観測地点を置いているのだから観測時刻も正確でなくてはならない。しかし、いかにして午前零時を知ったのかが不明だった。そこで、この方法が使えると気付く。

2010-07-24 11:57:44
百助 @100suke

そこで、さきたま古墳、西谷古墳さらにはエジプトのピラミッド等が特定の星座の配置を模していることの意義について一考察。おそらく、『タイミング』を知るためかと。回転する空の星座と地上に固定された古墳群の向きが一致した時、何かをしたのだろう。きっと大事なことに違いない。

2010-07-24 11:49:50
百助 @100suke

古代人にとって『北斗七星』は『夜の時計』だったと推察。北斗七星は24時間で北極星を一周する。日本の緯度では夜ならいつでも拝め、月の無い夜のご利益は特に大きい。しかし、季節によって方位が異なるので若干の知識が必要。例えば冬至と夏至では真逆。

2010-07-24 11:40:56
百助 @100suke

神社は『まつりごと』として、様々なデシジョンを助けてきたと思います。暦もそうですが、農耕の作付けから人事まで、人為ではなく神意に託して来ました。結果が悪くとも誰かの責任にせずに済みます。日本人が意思決定を苦手とするのはこれが原因かも知れませんが。今でも、決める事は難しいです。

2010-07-23 00:47:38
百助 @100suke

昔の神社にあって、今は失われたものの一つに学問の普及機能があるでしょう。算術などは良い例です。神仏習合だったので、寺子屋として文字の普及にも貢献してきました。日本人の教養レベルの高さはこの頃に遡ると言って良いと思います。これを忘れて欲しくはないです。

2010-07-23 00:32:56
百助 @100suke

私は神社や史蹟の研究において、精神性を軽ろんじているように見えるかも知れませんが、決してそういう訳ではなく、私が得意な調査に絞って紹介しているからにすぎません。私自身、鎌倉期以来の神職の子孫です。表向きは大己貴命、内実はアラハバキをお祀りしておりました。

2010-07-23 00:16:59
百助 @100suke

メトン周期を使った太陰太陽暦の導入は継体王の頃かと思っていましたが、もっと古くからあったということになりますかね。出雲系の人たちは既に各地方で使っていた。大和朝廷の成立にあたって、暦の統一(作成権の独占)が必要になり地方では廃れた。とりあえず今夜の仮説はそうことに。

2010-07-22 23:59:54
百助 @100suke

私は太平洋側に四隅突出墳墓を見つけたいのでした。墳丘の高さが5mを越えれば、2500分の1の地図なら等高線間隔が細かいので見つかると思うんですよね。しかし、各地方自治体からでないと入手できない。う〜む。

2010-07-22 23:18:16
百助 @100suke

.@hunterslog しかし、何故こんなことになってるんですかね?私の脳内は混乱してます。地上にこういう配置をする意図が分かりません。東京の妙見ラインを紹介しなかったのは、土地の所有者が困るんじゃないかと思いまして。

2010-07-22 23:07:44
HUNTER's LOG @hunterslog

.@100suke ギャー!↓これスゲエ。これはもう関連資料総集めでとことんやっちゃって良いのじゃないかしら。

2010-07-22 23:01:45
百助 @100suke

会心の発見!『さきたま古墳群』の中に『北斗七星』が隠れていた。しかも長大な妙見ラインも。 http://twitpic.com/27kncf

2010-07-22 22:53:47
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百助 @100suke

西之宮大明神社を囲む等高線をみると、四隅突出墳墓に見える。

2010-07-22 09:43:36
百助 @100suke

暦法は緯度の関数。同緯度なら同じパラメータが適用可能。

2010-07-22 09:35:15
百助 @100suke

この緯度に鎮座できるのは、ここが東限。

2010-07-22 09:28:43
百助 @100suke

駿河の西之宮大明神社が斑鳩宮、洛陽(隋の都)と同緯度です。

2010-07-22 09:19:39
百助 @100suke

@hunterslog 今でも美濃と尾張は隣接文化圏として繋がってると言われるので不思議は無いです。一方で尾張と三河の隔たりは大きくて、考古学的にも民族学的にも三河ー信濃ー上野のラインの方が強いです。最近の話題に連結すれば中央構造線つながり。

2010-07-21 00:13:57
百助 @100suke

.@hunterslog いえね、かねてから神社の祭神や名前などは、後世に取って付けられたようなものだと思っていたのですよ。ところが、地元三河の菅原神社が竃の近くにあって土師氏の系統に祀られたというので、案外そういうものかと思いまして。

2010-07-20 23:59:37
HUNTER's LOG @hunterslog

@100suke あ、繋がってってのは氏族の移動というような意味で。

2010-07-20 23:47:11
HUNTER's LOG @hunterslog

@100suke しかしこれは面白いですな。ちょっとついっただと解説が難しいですが、岐阜の花長上下神社あたりが間に挟まると出雲から尾張まで繋がって見えなくもない。うーん。

2010-07-20 23:46:38
HUNTER's LOG @hunterslog

いや、土師氏にちなむ土地なので菅公を祀る、という事自体特にメジャーな説ではないです。あたしが時々言い出すだけで(笑)。菅原神社は流行ると増える、という側面があるので時代はケースバイケースですね。RT @100suke これは土師氏の所縁…

2010-07-20 23:43:46
百助 @100suke

.@hunterslog 妙見ラインを辿っていると、スサノオや日枝も多いのですが、辺鄙なところにポツリと菅原神社に出くわすことも多々あります。これは土師氏の所縁と見て良いのですかね?

2010-07-20 23:38:18
百助 @100suke

尾張の伊奴神社は名古屋のテレビ塔!どえりゃーことなもと感心していたら、反対方向には大明神社、(美濃)三井山・・・と、大物がぞろぞろ。 RT @hunterslog: 〜 一方で尾張に「伊奴神社」がありますね。

2010-07-20 23:27:13