山本七平botまとめ/気魄という名の「演技」が横行した日本軍

山本七平著『一下級将校の見た帝国陸軍』/私物命令・気魄という名の演技/161頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①前略~演技力の基礎となっているものを探せば、それは”気魄”という奇妙な言葉である。この言葉は今では完全に忘れられているが、かつての陸軍の中では、その人を評価する最も大きな基準であった。<『一下級将校の見た帝国陸軍』

2012-09-10 12:57:47
山本七平bot @yamamoto7hei

②そして一下級将校であれ一兵士であれ、「気魂がないッ」と言われれば、それだけで、その行為も意見もすべて否定さるべき対象であり、「あいつは気魄がないヤツだ」と評価されれば、それは無価値・無能な人間の意味であった。

2012-09-10 13:28:06
山本七平bot @yamamoto7hei

③では一体この「気魂」とは何なのか。広辞苑の定義は「何ものにも屈せず立ち向っていく強い精神力」である。これは、帝国陸軍が絶対視した「精神力」なるものの定義の重要な一項目でもあったであろう。だが、実際にはこの「気魄」も、一つの類型化された空疎な表現形式になっていた。

2012-09-10 13:57:45
山本七平bot @yamamoto7hei

④どんなにやる気がなくても、その兵士が全身に緊張感をみなぎらせ、静脈を浮き立たせて大声を出して、”機械人形”のような節度あるキビキビした動作をし、芝居がかった大仰な軍人的ジェスチュアをしていれば、それが「気魄」のある証拠とされた。

2012-09-10 14:28:02
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤従ってこれを巧みに上官の前で演じることが、兵士が言う「軍隊は要領だよ」という言葉の内容の大部分をしめていた。内心で何を考えていようと、陰で舌を出していようと、この「演技・演出」が巧みなら、それですべてが通る社会だった。

2012-09-10 14:57:45
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥戦場に送られまいとして、この演技力を百パーセント発揮して、皇居警備の衛兵要員として連隊に残った一兵士を私は知っている。その彼は陰では常に「野戦にやられるくらいなら逃亡する」と言っていた。

2012-09-10 15:27:59
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦将校にも勿論これがあった。そして #辻政信 に関する多くのエピソードは、彼が「気魄演技」とそれを元にした演出の天才だった事を示している。そしてロハスを処刑せよとか、捕虜を全員ぶった斬れとかいった無理難題の殆ど全てが、いつか習慣化した虚構の「気魄誇示」の自己演出になっていた。

2012-09-10 15:57:44
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧そして演出は一つの表現だから、すぐマンネリになる。するとそれを打破すべく誇大表現になり、それがマンネリ化すればさらに誇大になり、その誇大化は中毒患者の麻薬のようにふえていき、まず本人が、それをやらねば精神の安定が得られぬ異常者になっていく。

2012-09-10 16:28:05
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨確かに人生には、そして特に戦闘には「何ものにも屈せず立ち向っていく強い精神力」が要請される。だがこういう意味の精神力と”強がり演技”にすぎないヒステリカルな「気魄誇示」とは、本来、無関係な筈であった。真のそれはむしろ、静かなる強靭な勇気と一種の自省力の筈であり、(続

2012-09-10 16:57:45
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩続>この本物と偽物との差は…最後まで事を投げず、絶対に絶望せず、絶えず執拗に方法論を探究し、目的に到達しうるまで試行と模索を重ねていける粘り強い精神力と、芝居がかった大言壮語とジェスチュア、無謀かつ無意味な”私物命令”とそれへの反論を封ずる罵言讒謗の連発との違いに表われていた。

2012-09-10 17:28:03
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪精神力とは、これらの気魄誇示屋の圧迫を平然と無視して、罵言讒謗には目もくれず、何度でもやりなおしを演じて完璧を期し、ついに完全成功を克ち得たキスカ島撤退作戦の指揮官がもっていたような精神の力であろう。

2012-09-10 17:57:44
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫そしてこの精神が最も欠如していたのが「気魄誇示屋」なのだが、あらゆる方面で主導権を握っているのが、この「気魄誇示屋」というガンであった。~後略

2012-09-10 18:28:01