愚者と奇跡と日常についてのメモ(スクラン・ゆるゆり・じょしらく他)

びぼうろく
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てらまっと𝕏 @teramat

最近スクールランブルをちょっとずつ見直すのが密かな楽しみになってる(´ω`)

2012-09-09 19:33:49
てらまっと𝕏 @teramat

スクランは物語が進むにつれて評判が悪くなってくみたいだけど、僕は後半のコメディ色の薄い青春群像劇的な展開も大好きだなぁ(´ω`)

2012-09-09 19:38:07
てらまっと𝕏 @teramat

ラブコメって基本的に、告白が失敗し続ける=恋愛の成就を遅延させ続けることで成立すると思うのだけど、告白の失敗を引き起こす要素である「偶然」と、その偶然に愛された存在である「愚者」が最近気になる

2012-09-09 19:46:54
てらまっと𝕏 @teramat

村上祐一さんは『ゴーストの条件』のなかで、「確率的奇跡(起こりそうもないこと)」と「神学的奇跡(起こりえないこと)」を区別していたけど、ラブコメにおける偶然を確率的奇跡ととらえるなら、愚者はそれと知らずに奇跡に最も近い存在であるということになる

2012-09-09 19:56:05
てらまっと𝕏 @teramat

これはラブコメだけではなく、たとえば『日常』のゆっこや『ゆるゆり』のあかりにとくに顕著に現われている。彼女たちは自分が奇跡に見舞われていることを知らないでいるのだが、しかしその愚かさは奇跡を呼びこむための必要条件であるように思われる

2012-09-09 20:00:47
てらまっと𝕏 @teramat

僕としてはこの「愚者」の系譜を、シニカルな自意識と反省によって作品のメタレベルに立とうとする「賢者」の対極にあるものとしてとらえたい

2012-09-09 20:13:26
てらまっと𝕏 @teramat

さっきの続き。『蟲師』の「露を吸う群」という話では、蟲に寄生された少女の一生が一日に短縮され、夜眠りにつくたびに死に、朝目覚めるたびに再生する。彼女には一瞬一瞬がかけがえのない奇跡として体験され、あまりの美しさと情報量に人間らしい自我や記憶を保つことができない

2012-09-10 00:08:48
てらまっと𝕏 @teramat

これはそのまま日常系アニメの寓話として読むことができる。何でもない日常を(確率的)奇跡の連続として知覚することは、そもそも人間の意識には不可能であり、通常は無意識において処理される。しかし知覚することはできなくても、夢や無意識を経由して偶然の連鎖に干渉することはできるかもしれない

2012-09-10 00:09:42
てらまっと𝕏 @teramat

蟲に寄生された少女は痴呆のようになってしまうが、偶然に愛された愚者もまた、無意識において日常の確率的奇跡に干渉していると言えるのではないか。だからこそあかりは他のキャラクターのみならず、風や虫や自動販売機にいじられる=コミュニケーションすることができるのではないか

2012-09-10 00:10:04
てらまっと𝕏 @teramat

まとめると、唯やゆっこやあかりといった愚者たちは、通常の意識の外部にある偶然の連鎖に無意識的・身体的に反応している。だからこそ彼女たちは、視聴者の笑いを誘うような、偶然という名の確率的奇跡に愛される。しかし彼女たち自身はそのことを知りえない。ちょうどハルヒがそうであったように

2012-09-10 00:10:51
てらまっと𝕏 @teramat

また『じょしらく』の夢の回では、マリーさんが寝ているあいだだけ、ふすまの向こう(=ブラックボックスとしての社会的機構)から、いつものような怪しげな人間たちではなく、幸福をもたらすものを呼び出すことができた。しかしマリーさんだけはその恩恵にあずかることができない

2012-09-10 00:20:12
てらまっと𝕏 @teramat

さらに『じょしらく』の不謹慎な原発ピタゴラスイッチも、こうした観点から読めるかもしれない。そこではマリーさんの虫歯を抜くためだけに、原発が爆発して放射線量が上昇するのだが、これはバタフライエフェクト的な偶然の連鎖、見通せない確率的奇跡に干渉することを意味している

2012-09-10 00:33:58
てらまっと𝕏 @teramat

だからどうした感があるけど、要するに確率的奇跡(起こりそうもないこと)を起こすためにはどうすればいいのか、ということが気になってる

2012-09-10 00:40:44
てらまっと𝕏 @teramat

(」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!

2012-09-10 00:44:57