“グローバルな現実に向きあう哲学” 2012/09/16

東洋大学国際哲学研究センター主催 国際シンポジウム “グローバルな現実に向き合う哲学”より、 総合討議の部分のみ
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ala @w_ala

ジャヤンドラ・ソーニー(オーストリア・インスブルック大学講師) 「人は古代と変わっていないと思う。非暴力の思想、いにしえの思想が今も意味を持っている。何が許されるか、許すことができるか。無論、広島のようなことは許してはならないことだ」

2012-09-17 06:10:39
ala @w_ala

呉震(上海・復旦大学教授)「科学と人文社会の調和、敬意が必要。宗教、人類社会にとって価値あるもの、儒教もまた。孔子・孟子、“いい人になれ”、“よきことをしろ”、人として悪いことをしてはいけないと、まず説いている。“この人おかしい”と、人として排除したり、いじめてはいけない」

2012-09-17 06:13:43
ala @w_ala

エティエンヌ・タッサン(パリ第七大学社会科学部教授)「個人の行動、正す規範、昔からあった。今日、人は人間の力で変革できると思っている、原子力の制御にしろ、クローンにせよ、だがしかし現実にどうか。人間は自然界を支配、全てを制御しようとしている、死すらまた」

2012-09-17 06:16:06
ala @w_ala

エティエンヌ・タッサン(パリ第七大学社会科学部教授)「自然資源を人間は制御しようとしているが、再生産できずにいる。“政治”だけが、争いを止められる。私の理解が正しければ、今日私が学んだことは、インド・ジャイナ教にしても儒教にしても仏教においても、ある種“神不在”の宗教だと」

2012-09-17 06:20:21
ala @w_ala

エティエンヌ・タッサン(パリ第七大学社会科学部教授)「原理主義らのテロ、神のいる一神教。道徳的源には、ある種の“神の不在”があるのではないか。一方、我々は、科学的技術の暴走の言いわけに“神”を持ち出してこなかっただろうか」

2012-09-17 06:22:13
ala @w_ala

エティエンヌ・タッサン(パリ第七大学社会科学部教授)「今日話された様々な仏教の法話・寓話の中に、人間と自然の衝突はなく、他を助け・尊重する姿や、自然は社会を豊かにするものとして描かれていた。そこには、暴力・争いを乗り越えた社会が説かれていた」

2012-09-17 06:24:01
ala @w_ala

ケネス田中(武蔵野大学教授)「官邸前抗議がいま起こっている。それほどに熱意をもって政治に関わってこなかった時代が日本は続いていた中で、変革の兆しではないか」

2012-09-17 06:26:42
ala @w_ala

ケネス田中(武蔵野大学教授)「科学も宗教も全てが善なのではない。科学自体が問題ではなく、テクノロジー、技術が問題なのだと。技術は富や権益をもたらす、それ故に癒着も。今回、原発に加担した産業と政治の姿が露わになったのではないか。宗教は立派な理想をもっている…」

2012-09-17 06:29:07
ala @w_ala

ケネス田中(武蔵野大学教授)「技術の行き過ぎを止める哲学ある。しかし実践、政治の場がない。アメリカでは宗教団体、政治に声あげる、ワシントンDCに事務所たくさんあり、ロビイング盛ん」

2012-09-17 06:32:20
ala @w_ala

ケネス田中(武蔵野大学教授)「私は、こうしたシンポジウムの場に参加もするが、個人のレベルでできること、団体でできること…といった重層的な積み重ねが必要だと思う。例えば、私はBig issueを街で売っている人に出会ったら買う」

2012-09-17 06:33:45
ala @w_ala

ケネス田中(武蔵野大学教授)「タッサン氏、“神の不在”と理解したが付け加えると…一神教は、神との契約から個人の規範がある。しかし東洋では、徳から生まれる倫理であり、求道、修業から各人が会得していくもの」

2012-09-17 06:36:10
ala @w_ala

ケネス田中(武蔵野大学教授)「社会問題、世の悪に対し、宗教団体として、ひとつひとつ答えること難しくもある、いろんなことを言う人がいるから。でも、個々人の日々の行動によって、理想を実現しようとしていくことが大事だと」

2012-09-17 06:38:18

:質疑

ala @w_ala

質疑:山口一郎(東洋大学教授、比較哲学・現象学)「文化と文化の間に新たな哲学、国際哲学を生んでいくことできるか、またその方法論は?」(違ってるかも)

2012-09-17 06:42:22
ala @w_ala

ジャヤンドラ・ソーニー(オーストリア・インスブルック大学講師) 「不可能だと思う。目的・対象があってのこと。例えば、“この人が母である、この人は母でない、母であり母ではない、何にもなり得る、母ではあるが説明できない、母でないが説明できる…”、誰がどのような文脈で言ったかが大事…」

2012-09-17 06:45:13
ala @w_ala

ジャヤンドラ・ソーニー(オーストリア・インスブルック大学講師) 「誰がどのような文脈で言ったかが大事なのであり、文脈でこそ何を発するか、何を表わすかが決まる。往々にして、他の見方を忘れがち。話して話して話していくことが必要で、それが問題解決につながっていくのだと、希望も込め…」

2012-09-17 06:47:02
ala @w_ala

呉震(上海・復旦大学教授)「質問の意味がわからなかった。(と、正確に質問をそのまま繰り返し…)“文化と文化の間に哲学あるか”…理解しにくい、文化と文化の交流する過程に方法あるか、であればわかる、それが哲学かどうかわからないが。他の文化と接するとき、相互に取り入れていくものだ」

2012-09-17 06:50:43
ala @w_ala

エティエンヌ・タッサン(パリ第七大学社会科学部教授)「ジャヤンドラ・ソーニー先生が仰ったこと、正にそうだと。付け加えるなら、文化・真理への懸念がある。“文化”、変換できると考えられがちだが、例えば、ひとつの言語・ひとつの文化、あったとしても、それは虚偽、言い表わせていない」

2012-09-17 06:53:52
ala @w_ala

エティエンヌ・タッサン(パリ第七大学社会科学部教授)「そこには、“文化”への均一性の問題があり、真実を見出そうとすれば、文化の間にこそあるのではないか」

2012-09-17 06:55:34
ala @w_ala

ケネス田中(武蔵野大学教授)「“対話”が大事ですね、会っていろいろ話していくことでしょうね。そして自分なりに輝くこと、独自性発揮していくべきだと。そして、ユーモア。ダライ・ラマが、あるときインタビューで“13世の生まれ変わりだというが、13世の折の記憶はあるのか”と聞かれた」

2012-09-17 06:59:18
ala @w_ala

ケネス田中(武蔵野大学教授)「すると、ダライ・ラマは頭を掻きながら“う~ん、13世のときの記憶はと言われるが、この頃は昨日の記憶も思い出せないくらいだよ”と、笑って返したと。哲学も重要だが、こうした人と人との付き合い方、人との処し方、どう相対せるかが大事なのだと思う」

2012-09-17 07:02:08

閉会あいさつ

ala @w_ala

(閉会あいさつ) 宮本久義(東洋大学教授、インド思想・宗教)「4世紀に、人の生には3つの苦しみがあって、それは内側・個人としてのもの、外側・予期せぬもの…交通事故など、そして天災とあると言い、苦しみに対し逃れる方法は既に語られていると」

2012-09-17 07:07:21
ala @w_ala

宮本久義(東洋大学教授、インド思想・宗教)「しかし、そうではない、絶対的・究極的な方法はそうではないとヴェーダは否定し、新たに現実に向き合うことを説いたわけです。古きをたずねて新しきを知る…その繰り返しであるのだと」(そんなような…

2012-09-17 07:16:11