@takagengenさんの「メメントモリ」まとめ

7月21日に@takagengenさんがつぶやいた「メメントモリ」というテーマの一連のつぶやきです。
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高橋源一郎 @takagengen

今日の予告編・1…久しぶりに「午前0時の小説ラジオ」をします。タイトルは「メメント・モリ(死を想え)」。ついこの間、6歳になったばかりのれんちゃんは、ずっと「死」について悩んでいるようです。ぼくにたくさんの質問をします。でも、なかなかうまく答えられないし、誤魔化しも通じない。

2010-07-20 22:07:13
高橋源一郎 @takagengen

今日の予告編・2……子どもは実に敏感です。「死」や「生」についておとな以上に、真剣に考えたりします。正しい答はないでしょう。でも、なんとか答えてあげたいと思っています。それには、ぼく自身がきちんと「死」について考える必要があると思ったのでした。では、24時に。

2010-07-20 22:10:08
高橋源一郎 @takagengen

「午前0時の小説ラジオ」・「メメント・モリ(死を想え)」1・この間、しんちゃん(4歳)が「ままのおなかにもどりたいな」といった。すると、それを聞いたれんちゃんが「しにたくないから?」としんちゃんにいった。しんちゃんは怪訝な顔つきをしていた。兄が何をいいたいのかわからなかったのだ。

2010-07-21 00:00:05
高橋源一郎 @takagengen

「メメントモリ」2・思えば、れんちゃんは一年以上前からずっと「死」について、訊ねている。「しんだらどうなるの?」「ありやかぶとしむしがしんだらどうなるの?」「おばけもしぬの?」「しんだひとはおはかにいるの?」「しんだらがいこつになるの?」等々。怒濤の質問ラッシュだ。ぼくは答える。

2010-07-21 00:02:56
高橋源一郎 @takagengen

「メメントモリ」3・「みんな死んだら、魂になって、お空に上がり、それからまた、お母さんのお腹に入って赤ちゃんになるんだよ」と。ぼくはずっとそう答えてきた。最初は、れんちゃんも納得していたようだった。だが、いつの頃からか、ぼくの答に疑いを持ち出したのだ。ぼくがいまのように答える。

2010-07-21 00:04:59
高橋源一郎 @takagengen

「メメントモリ」4・すると、れんちゃんの顔がくもる。視線が宙を舞う。そして、目を伏せる。「なんかおかしい」と思っているのだ。「きっとぱぱはなにかかくしている」と。でも、利口なれんちゃんはそれ以上、追及しない。話題をそらすのである。そして、ぼくはほっとする。同時に少し哀しくなる。

2010-07-21 00:07:24
高橋源一郎 @takagengen

「メメントモリ」5・ではいったい、れんちゃんになんと答えればいいのだろうか。夜、怖がって泣いている時には抱きしめる。でも、疑問で一杯の目で見られる時、ぼくにははかばかしい答が浮かばない。無理もない。なぜなら、「死」の問題について、ぼく自身が明快な答を持っているわけではないからだ。

2010-07-21 00:09:42
高橋源一郎 @takagengen

「メメントモリ」6・二十代の終わり、大学時代の友人Fが肝臓ガンの末期だという話を聞いた。逡巡したあげく、別の友人と見舞いに行くことにした。Fは退院し、最後の日々を過ごすため自宅にいた。今日のような、真夏のある日だった。Fは腹水で膨れ上がった腹をさすり困ったような顔をしていた。

2010-07-21 00:14:09
高橋源一郎 @takagengen

「メメントモリ」7・ぼくと友人は、Fとその妻、そして幼い子どもふたりの合わせて6人で、昼食のそうめんを食べた。Fはかいがいしく、子どもたちに食べさせていた。昼飯が終わると、ぼくと友人は帰ることにした。玄関でFがいった「今日はありがとう」。Fが亡くなったのはそれから2週間後だった。

2010-07-21 00:16:41
高橋源一郎 @takagengen

「メメントモリ」8・ぼくも友人もFとまともな会話をしなかった。いや、できなかった。「うまいね」とか「暑いね」とかそれぐらい。死んでゆく人間に何を話せばいいのかわからなかったのだ。「死とは何か?」とか「死の恐怖」のことを考えることも大切だったが、ぼくにはそのことも大切だった。

2010-07-21 00:20:25
高橋源一郎 @takagengen

「メメントモリ」9・ぼくにとって、「死」について考えるということは、死んでゆく人間に何を話せばいいのか、という問題について考えることでもあった。知人が死の床にある、という話を聞く。お見舞いに行こうと思う。でも何を話せばいいのだろう。「頑張れ」?、「元気を出せ」?、「また会おう」?

2010-07-21 00:23:08
高橋源一郎 @takagengen

「メメントモリ」10・ぼくが逆の立場なら、「生」の側にいる人間から、声をかけてもらいたいと思うだろうか。放っておいてほしいのではないだろうか。確かに、家族の励ましは嬉しいだろう。でも、最後までそうなんだろうか。ぼくはずっとそのことで悩んできた。母親が亡くなった時のことだ。

2010-07-21 00:25:27
高橋源一郎 @takagengen

「メメントモリ」11・母は心臓発作で倒れ、意識のないまま、集中治療室で人工心肺をつけられていた。一週間後、回復の見込みがないと判断され、人工心肺が外された。呼吸が停止する少し前まで、ぼくは、母の耳もとで感謝の言葉を呟いていた。けれど、それは心の底から出たものではなかった気がする。

2010-07-21 00:29:34
高橋源一郎 @takagengen

「メメントモリ」12・それはいまでもぼくに傷となって残っている。その時も、ぼくは、死んでゆくものにかける言葉がわからなかった。そのことが理解できたと思えたのは、父が亡くなった時だ。父の癌が発見された時には、すでに手遅れだった。入院してしばらくすると、父は、ぼくと弟を呼んだ。

2010-07-21 00:32:28
高橋源一郎 @takagengen

「メメントモリ」13・そして、死後に発生する事務的問題について詳細に伝え、ぼくと弟のやるべきことを指示した。ぼくと弟が了解すると、父は「もう思い残すことはない」といった。そこは病院の隣の中華料理屋で、もう食事もできなくなっていた父は、わずかにスープを啜ると「ああうまい」といった。

2010-07-21 00:35:22
高橋源一郎 @takagengen

「メメントモリ」14・それから一月半後、父は亡くなった。ぼくはその前日まで病院にいたが、医師の「まだ数日は平気」の声で、東京に戻っていた。いや、ほんとうは危ないと思っていたのだ。ぼくは、父の死に立ち会いたくなかったのだと思う。最後にかけるべき言葉を思いつかないことはわかっていた。

2010-07-21 00:38:07
高橋源一郎 @takagengen

「メメントモリ」15・父は目を開けて亡くなっていた。最後に何を見たのかはわからない。芸術家を志して、果たせず、失意の人生であったろう父の葬儀に、家族以外の参列者は皆無に近かった。父を憎んでいた母はもちろん欠席した。亡くなった時も、葬儀の時も、ぼくに感慨らしい感慨はなかった。

2010-07-21 00:41:38
高橋源一郎 @takagengen

「メメントモリ」16・しばらくして、父の遺品の中から、大判の大学ノートが見つかった。それは、死の直前まで綴られた日記だった。簡潔な筆で、父は、過去に触れていた。ぼくの小さい頃のエピソードもあった。いちばん最後、おそらく亡くなる数日前に書かれていたのは、数十人もの女性の名前だった。

2010-07-21 00:44:15
高橋源一郎 @takagengen

「メメントモリ」17・それは、父が生涯で関係を持った女性たち、すべての名前のようだった。最後に、父の脳裏に浮かんだのは、それだったのだ。ぼくは、父の深い寂寥を思い、始めて泣いた。そして、願わくば、最後の瞬間に、美しい愛の思い出に包まれていましたように、と思った。

2010-07-21 00:46:55
高橋源一郎 @takagengen

「メメントモリ」18・人は最後に何を思うのだろう。そこには、もしかしたら「死」の秘密があるかもしれない。ぼくはそう思った。そしてずっと、そのことを考えつづけている。ところで、一冊の本を紹介してみたい。今年の4月、前立腺ガンで亡くなった免疫学者・多田富雄さんの遺著、『残夢整理』だ。

2010-07-21 00:50:16
高橋源一郎 @takagengen

「メメントモリ」19・末期癌だった多田さんは、思い出の死者たちについて連載を続けた。2月に書いた後書きを追うように、多田さんは4月に亡くなった。本が刊行されたのは、その後、6月である。その「後書き」全文を引用してみる。

2010-07-21 00:52:30
高橋源一郎 @takagengen

「メメントモリ」20・「私はかつて昭和天皇の『殯葬(ひんそう)の礼』に列席したことがある。真っ白な布に覆われた一室で、皇族を含む何人かが着座して待っていた。陛下のご遺体はこの真っ白なお部屋のどこかに安置されているらしかった。しばらく待っていると、音もなく電燈がすべて消された。」

2010-07-21 00:55:20
高橋源一郎 @takagengen

「メメントモリ」21・「それから、小一時間、暗闇の中で私たちは陛下を偲んだ。いわゆる『もがりの儀式』はこうしてはじまる。私たちはこの時間のうちに、それぞれの昭和天皇を思い出し、それに付随した時間の記憶を確認し、深い哀悼と鎮魂の思いに浸った。」

2010-07-21 00:57:07
高橋源一郎 @takagengen

「メメントモリ」22・「こうして痛切に思い出しているうちに不思議な感覚に包まれた。陛下が黄泉の国から蘇ってこの一室の暗闇のどこかから私たちを凝視している幻覚に襲われたのである。私のまぶたに涙があふれた。戦時の苦しみと戦後の復興に身近で参加されていた昭和天皇のお姿が次々に思い出され

2010-07-21 01:00:03
高橋源一郎 @takagengen

「メメントモリ」23・「、涙がとめどなくあふれるのをどうしようもなかったのである。やがて無言で明かりが点いて、参内者は、それぞれの感動を胸に退出した。心が洗われたような気がした。違った時間に旅をし、昭和天皇に再会した思いだった。こうして私の昭和天皇の鎮魂は完成した。」

2010-07-21 01:02:25