他人の不幸になる前提で生まれた存在ですか。 いや。きにせんでも。 不幸になる前提というのは。不幸そのものがそうであるように気の持ち方次第です。 さらに言えば、他人を不幸の理由にしてる人は、それが犯罪被害者とかいうのでない限りは、ただの責任転嫁ですよ。非常によく見ますが。
2010-01-24 21:58:30幸せというものは否定や対抗の意識のうちにはなく、 協調の意識のうちにあるものです。 それは考えれば当たり前の話なんですが、それを忘れる人は、案外多いものです。
2010-01-24 22:02:36@siva_yuri 要は両親の話なのですが、お互い納得してないパートナーの訳です。そもそも父は人を愛せない人です。彼等が幸福になる事を考えるとすなわち私と、私の姉妹の存在を否定してしまう訳ですね。幸せ、幸せと他者から聞く度に不幸の前提の存在は悩む訳です。
2010-01-24 22:06:17誰かを不幸せの理由にしても、それが例え自分でも、それでは幸せには感じられません。 幸せはなる物ではなく、そう感じる物です。 だから、金持ちでも不幸せな人もいますし、その逆の例もたくさんあります。
2010-01-24 22:07:19幸せを感じるにはそれなり以上の幸運か、もしくは訓練のいずれかが必要な物です。そういうのに恵まれてない人を相手にするときは、まず、根気を持つ事、次に実例を見せること(実存の証明)が必要です。
2010-01-24 22:11:42その上で、幸せに感じるために条件闘争がいるなら、まあ、そりゃただの勘違いにしかすぎないのですが、ばかばかしくも、やってみせるしかありませんね。 幸せは感じる物であると証明すると、それを受け入れずに自滅する人は、とても多いのです。 こういうのを、固執といいます。
2010-01-24 22:15:06@siva_yuri 感じるのが幸せなら寝ている時間に幸せを感じて生きて良いんですよね?その場合、仕事も雑事もその為に存在する事になりそうですが。
2010-01-24 22:22:26@anglamanyu もちろんです>寝ている時間が幸せ というか、寝るのは私も大好きですが。 寝るために仕事やっつけようとか、それこそ大先生でもやりますがな。 というか気にせんと(笑) まわりの人がアレなだけで、貴方自身は極まっとうですよ。
2010-01-24 22:25:56