- Hamlet___telmaH
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前回波乱と混乱のハードコア議論会「寓説の第壱回」ですが、今回は 「演劇」をテーマに進行していきます。
2012-11-04 14:15:44@strange_actor まずは演劇に詳しいストレンジ・ラブ氏から御話を伺いたいのですが、そもそも「演劇」に定義はあるのですか?(唐突で申し訳ございません。)
2012-11-04 14:17:47@ketchup_tomato 演劇にも様々な様式があるでしょうが、最低限の要素として演劇をやる者が「今演技をしている」という意識を持ち、「演じるという行為」をしてるのであれば、それは演劇と定義出来るのではないでしょうか。
2012-11-04 14:25:04@ketchup_tomato 各位失礼します 福岡ダダ山本桜子です。仕事きてしまい此を殺るまで3h掛かります お誘い頂いたのにたいへん申し訳ございません 万一続行中でしたら片付き次第参加させていただきたく存じます 横から失礼致しました
2012-11-04 14:39:55@ketchup_tomato例えば演技の対象が無くとも、自己で演劇をしていると認めれば、それは演劇となるかと。僕がこの場で即興で立ち回っても演劇になると思います。
2012-11-04 14:41:13@saqrako はい、わかりました。無理なさらずに。だいじょうぶ。今日は「演劇 Part1」です。今日だけではないですので。
2012-11-04 14:46:37@strange_actor ご存知かと思いですが、「映画」という媒体ができた当初、「映画」は言ってしまえば「演劇」をキャメラで捉えるようなものだったのですが(菊地成孔・大谷能生著「アフロ・ディズニー」参照)
2012-11-04 14:50:10@strange_actor つまり「演劇」は「オペラ」や「バレエ」といった伝統的でクラシックなモノから、先ほど言った「映画」まで、言ってしまえば「カルチャー」全体に共通するものだと私は考えているのです。
2012-11-04 14:52:56ここにいるカフェのボーイを考えてみよう。……彼はその歩き方の中で、何かしら自動機械のようなぎこちない几帳面さをまねようとしながら、軽業師のような身軽さでお盆を運んでくる。…… 彼は演じている。……彼はカフェのボーイであることを演じているのである(SartreEN:98-99)。
2012-11-04 14:54:05で、「演劇とは・・・Part1」の今回は文字や文体つまり「文学」と「演劇」のつながりについて議論していきたいのです。
2012-11-04 14:54:55文字や文体は当然のことながら「動く」ことができないのが定説です。 しかし、そのストーリーを展開していくのは「文字」であり「文体」で、
2012-11-04 14:57:14@ketchup_tomato まず演劇と映画との差異は、鑑賞者が直接的にそれを鑑賞してるか否かでしょう。観客が目の前で展開するもので、また不可逆で一回性を有してる点も演劇特有のものでは。
2012-11-04 14:58:26@ketchup_tomato 演技という行為は、演技者が観念的存在である役を表現するものと理解しています。表現を書き手が行っているのか、或いは文字・文体が主体的に行っているのか、それが問題になりますね。
2012-11-04 15:13:52先ほど、サルトルの『存在と無』から演劇に関する部分を引用したんですが、彼は疎外態とそうでない態を考えていて、ああいう表現になったんでしょうが、演劇について考えるときは、サルトルよりカミュの方が示唆的で、要するに肯定と否定、光と闇、対立するふたつの力のぶつかり合いで考えているわけ。
2012-11-04 15:15:13カミュは生前、フランスの批評家は、作品に観念しか見ようとしないと嘆いていて、劇的なものは、何か理路整然と言えるものではなく、相矛盾する力、ニーチェ的にはアポロンとディオニュソスでも良いのですが、両者の対決が炸裂する瞬間を劇的と考えていたようです。
2012-11-04 15:18:19@Strange_Actor そうなんですよね。文学の中では当然のことながら演出・脚本が作者で演者が主人公や登場人物などの文字が作者の意図で紙という(いまや電波やネットワーク)舞台で話を繰り広げている。と解釈しています。
2012-11-04 15:20:03