第弐回「夢のあとに見た夢ノ会」

現代文化・芸術への復讐を目的とした第弐回アジテーション議論会
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勅使河原冬美/由比違露/駄々家津洗 @ketchup_tomato

そろそろ開始しますかね。ハイ、どうもご機嫌よう。新宿系ダダイストの山本冬美です。

2012-11-04 14:11:15
勅使河原冬美/由比違露/駄々家津洗 @ketchup_tomato

前回波乱と混乱のハードコア議論会「寓説の第壱回」ですが、今回は 「演劇」をテーマに進行していきます。

2012-11-04 14:15:44
勅使河原冬美/由比違露/駄々家津洗 @ketchup_tomato

@strange_actor まずは演劇に詳しいストレンジ・ラブ氏から御話を伺いたいのですが、そもそも「演劇」に定義はあるのですか?(唐突で申し訳ございません。)

2012-11-04 14:17:47
ストレンジラヴ @Hamlet___telmaH

@ketchup_tomato 演劇にも様々な様式があるでしょうが、最低限の要素として演劇をやる者が「今演技をしている」という意識を持ち、「演じるという行為」をしてるのであれば、それは演劇と定義出来るのではないでしょうか。

2012-11-04 14:25:04
ストレンジラヴ @Hamlet___telmaH

新宿系ダダイスト山本冬美氏(@ketchup_tomato )主催の議論会に参加している

2012-11-04 14:27:24
勅使河原冬美/由比違露/駄々家津洗 @ketchup_tomato

なるほど、演技をしているという自己感覚や意識が重要だと。

2012-11-04 14:34:15
山本桜子🐓 @saqrako

@ketchup_tomato 各位失礼します 福岡ダダ山本桜子です。仕事きてしまい此を殺るまで3h掛かります お誘い頂いたのにたいへん申し訳ございません 万一続行中でしたら片付き次第参加させていただきたく存じます 横から失礼致しました

2012-11-04 14:39:55
ストレンジラヴ @Hamlet___telmaH

@ketchup_tomato例えば演技の対象が無くとも、自己で演劇をしていると認めれば、それは演劇となるかと。僕がこの場で即興で立ち回っても演劇になると思います。

2012-11-04 14:41:13
勅使河原冬美/由比違露/駄々家津洗 @ketchup_tomato

@saqrako はい、わかりました。無理なさらずに。だいじょうぶ。今日は「演劇 Part1」です。今日だけではないですので。

2012-11-04 14:46:37
勅使河原冬美/由比違露/駄々家津洗 @ketchup_tomato

@strange_actor ご存知かと思いですが、「映画」という媒体ができた当初、「映画」は言ってしまえば「演劇」をキャメラで捉えるようなものだったのですが(菊地成孔・大谷能生著「アフロ・ディズニー」参照)

2012-11-04 14:50:10
勅使河原冬美/由比違露/駄々家津洗 @ketchup_tomato

@strange_actor つまり「演劇」は「オペラ」や「バレエ」といった伝統的でクラシックなモノから、先ほど言った「映画」まで、言ってしまえば「カルチャー」全体に共通するものだと私は考えているのです。

2012-11-04 14:52:56
原田 忠男 @harapion

ここにいるカフェのボーイを考えてみよう。……彼はその歩き方の中で、何かしら自動機械のようなぎこちない几帳面さをまねようとしながら、軽業師のような身軽さでお盆を運んでくる。…… 彼は演じている。……彼はカフェのボーイであることを演じているのである(SartreEN:98-99)。

2012-11-04 14:54:05
勅使河原冬美/由比違露/駄々家津洗 @ketchup_tomato

で、「演劇とは・・・Part1」の今回は文字や文体つまり「文学」と「演劇」のつながりについて議論していきたいのです。

2012-11-04 14:54:55
勅使河原冬美/由比違露/駄々家津洗 @ketchup_tomato

文字や文体は当然のことながら「動く」ことができないのが定説です。 しかし、そのストーリーを展開していくのは「文字」であり「文体」で、

2012-11-04 14:57:14
ストレンジラヴ @Hamlet___telmaH

@ketchup_tomato まず演劇と映画との差異は、鑑賞者が直接的にそれを鑑賞してるか否かでしょう。観客が目の前で展開するもので、また不可逆で一回性を有してる点も演劇特有のものでは。

2012-11-04 14:58:26
勅使河原冬美/由比違露/駄々家津洗 @ketchup_tomato

つまりこの時点で「文体と文字」は「演技している」といえるとわたしは考えるのですが。

2012-11-04 14:59:39
勅使河原冬美/由比違露/駄々家津洗 @ketchup_tomato

@strange_actor 映像と生との差は確かに激しいモノがありますね。

2012-11-04 15:00:53
ストレンジラヴ @Hamlet___telmaH

@ketchup_tomato ですが、先の自分の定めた定義にどちらも当て嵌まりますね。

2012-11-04 15:02:16
原田 忠男 @harapion

「不可逆で一回性」というストレンジラブ氏の言葉は好きだな。演劇の本質を突いていて。

2012-11-04 15:12:00
ストレンジラヴ @Hamlet___telmaH

@ketchup_tomato 演技という行為は、演技者が観念的存在である役を表現するものと理解しています。表現を書き手が行っているのか、或いは文字・文体が主体的に行っているのか、それが問題になりますね。

2012-11-04 15:13:52
原田 忠男 @harapion

先ほど、サルトルの『存在と無』から演劇に関する部分を引用したんですが、彼は疎外態とそうでない態を考えていて、ああいう表現になったんでしょうが、演劇について考えるときは、サルトルよりカミュの方が示唆的で、要するに肯定と否定、光と闇、対立するふたつの力のぶつかり合いで考えているわけ。

2012-11-04 15:15:13
原田 忠男 @harapion

カミュは生前、フランスの批評家は、作品に観念しか見ようとしないと嘆いていて、劇的なものは、何か理路整然と言えるものではなく、相矛盾する力、ニーチェ的にはアポロンとディオニュソスでも良いのですが、両者の対決が炸裂する瞬間を劇的と考えていたようです。

2012-11-04 15:18:19
ストレンジラヴ @Hamlet___telmaH

書き手の意思を離れて展開する文学は、丁度シュルレアリスムの自動筆記が当て嵌まるのでは。

2012-11-04 15:19:36
勅使河原冬美/由比違露/駄々家津洗 @ketchup_tomato

@Strange_Actor そうなんですよね。文学の中では当然のことながら演出・脚本が作者で演者が主人公や登場人物などの文字が作者の意図で紙という(いまや電波やネットワーク)舞台で話を繰り広げている。と解釈しています。

2012-11-04 15:20:03