貧困の歴史についてのあれこれ
- saisenreiha
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パット・セイン編『老人の歴史』を買った。生協なので一割引だが4500円くらいして涙目。貧乏人には辛い・・・・。しかし、老人は貧困を考えるために避けては通れない存在なので、これは私にとって絶対に買わなければならない本。
2010-01-25 14:18:11多分現代もそうだけど、貧困の条件は 1. 高齢 2. 女性 3. 独身 4. 病気・障害。5. に子供・若者、6. に社会的マイノリティーを入れても良いかも知れない。一つだけなら何とかなっても重なる苦しい。高齢で病気になり働けなくなったマイノリティー集団所属の未亡人とかは最悪。
2010-01-25 14:24:38@saisenreiha まるっと同意。経済的貧民って過去とあんまり変わってない印象があります。そういえばここ数年の貧民、貧者研究についていい資料ってありますか?可能であれば是非ご教示いただきたいです。
2010-01-25 14:38:19@NijiKarainbow 私は貧困研究にはまだ通じていませんが、近世ザクセンの貧民の心性を扱ったH. Bräuer, Zur Mentalität armer Leute in Obersachsen 1500 bis 1800 は暇があれば真っ先に読みたい本です。
2010-01-25 15:52:49@sdt あと、貧困というより困窮の最大の条件は、多分社会的に孤立することで、逆に言えば社会的に孤立していなければ、高齢でも病気でもなんとかなると思います。
2010-01-25 15:56:48@sdt 社会的に孤立していないということは人間関係の網の目の中にいるということで、他人から助けてもらえる立場にいるということです。家族・親族や友人、地域共同体に居場所があれば、誰かに助けてもらって、貧しくても何とかそれなりに生きていける場合が多いと思います。
2010-01-25 16:05:08@sdt 貧困問題は、働ける働けないと言う労働問題、収入や資産の大小の問題であると同時に、共同体による相互扶助の網の目に属しているかどうかというメンバーシップの問題であると思います。
2010-01-25 16:16:13ほとんど@saisenreihaさんが経済的な貧民については話してくれていることに気付く。これだから携帯での閲覧は・・・とはいえ、中世において貧者とは実のところ「無い」状態にある人々である。身体的にも経済的にも社会的にも。
2010-01-25 23:07:20それらの欠如の結果あるいはそれらと並ぶ形で経済的な貧民が存在する。社会的なネットワークの欠如した者たちも、もちろん貧者である。Mollatによれば「その状態は時代や社会とともに変化する社会的な力と尊厳の喪失ないしは欠如により性格づけられる存在」である。
2010-01-25 23:10:32むろん初期キリスト教、あるいはイエスが寄り添いし者たちというのは、恐らく経済的貧民や障害者や寡婦などといった者だろう。地位の欠如や社会的ネットワークの欠如というものは恐らく可視化された貧民であったかどうかについては何とも言えない。
2010-01-25 23:12:51中世初期の救済の対象となった貧者は、あくまでも典礼を通して可視化された貧民=キリストの貧者であり、経済的な貧民が必ずしもその対象となっていたわけではない。
2010-01-25 23:14:47まぁぶっちゃけ慈善活動ってのは、慈善を行う側にとって必要とされる行為であり、慈善の対象となる貧者がどのような存在であろうと問題ではなかった時代があるということである。職業的な乞食の存在もそのことを示している。
2010-01-25 23:18:24進む都市化と頻発する旱魃飢饉の中で増えていく経済的貧民。市政府や托鉢修道会などによる慈善活動は頻繁に行われていたが必ずしも効果的であったわけではない。ぶっちゃけばらまき。ちなみに15世紀に入っても未だ貧民と犯罪が結び付けられるような時代は来ていない。徐々にその萌芽は見られるが。
2010-01-25 23:22:47このような中世的貧民観が変わるのが、まさに中世と近世の転換期である15-16世紀。 RT @NijiKarainbow 中世初期の救済の対象となった貧者は、あくまでも典礼を通して可視化された貧民=キリストの貧者であり、経済的な貧民が必ずしもその対象となっていたわけではない。
2010-01-25 23:22:56@saisenreiha そう、慈善活動が俗人によって担われ、また市政府の成長の中で、慈善活動が行政に組み込まれていく。必要とされる人々への慈善が徐々に表れてくる。しかし、近代国家的な社会福祉の対象となる貧民認識が出現するのはまだまだ先の話ですよね。
2010-01-25 23:25:42市政府による慈善はまだまだシステム化されておらず、どのような人々にどの程度喜捨を行うのかということは模索されていた。「未発達な」行政を補完するのがたとえば修道会であり、民間の諸団体だったりするわけだ。あるいは「家族(親族)」「友人」「小教区」や「行政区」に住む近隣の人々。
2010-01-25 23:29:21中世イスラーム世界貧困研究はとりあえずこれか。Adam Sabra, Poverty and Charity in Medieval Islam: Mamluk Egypt, 1250-1517, Cambridge UP, 2000. http://bit.ly/8W0WDh
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