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歴史学をめぐる議論2

「歴史学をめぐる議論」の続きです。http://togetter.com/li/8653 歴史理論定義、日本の西洋史の存在意義などについての話題が出ています。また、一部このまとめと重複する「歴史研究における理論とその脱領域性――学問と人生?」も参照下さい。http://togetter.com/li/9176
ひすとり! 歴史
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Soichi NAGANO @theta_K
@t_ohnuki コメントありがとうございます。確かに、歴史学は個別の事象から始める帰納的な手法を用いる、という趣旨だったのかもしれませんね。私見ですが、理論はそこからフィードバックして事象を見るパースペクティブを提示するのに必要なものではないでしょうか。
ITO Toshikazu @toshiitoh
歴史理論と呼ばれるものも2種類あって、マルクスやウェーバーのような社会の運動原理を抽出する理論と、封建制論のような、ある地域・時代の歴史の全体像を描くための理論があると思う
ITO Toshikazu @toshiitoh
歴史理論と呼ばれるものも2種類あって、マルクスやウェーバーのような社会の運動原理を抽出する理論と、封建制論のような、ある地域・時代の歴史の全体像を描くための理論があると思う
永本哲也@『ミュンスター宗教改革』発売 @saisenreiha
大貫さんのブログの発言を参照のこと。http://bit.ly/b6FGiX RT @t_ohnuki 少なくとも自分の関心にあるのは、そういう史料中心の歴史学の手法が、日本人の西洋史研究者の間でさえいまいち共有され切っていないのではないかっていう恐れ。
永本哲也@『ミュンスター宗教改革』発売 @saisenreiha
個人的に知っている範囲でしか分からないので印象論になりますが、これは世代によって異なる気がします。つまり海外に留学したり、文書館に行って、海外の研究者と同じように研究するのが当たり前の世代と、その前の世代です。前の世代は理論というかパースペクティブ重視、後の世代は実証重視。
永本哲也@『ミュンスター宗教改革』発売 @saisenreiha
「史学雑誌」の「回顧と展望」でもベテランの先生方が、実証一辺倒の若手を憂うみたいな記事が出てきますし、上の世代の方にはそういう人が結構いるような気はします。
@na_kanoh
@saisenreiha 脇から失礼します。確か史学会100周年記念大会で、樺山紘一氏が「日本の西洋史が原史料を使って研究するようになったのは最近のこと。それまでは外国の研究紹介が仕事みたいだった」(おぼろげな記憶)と言っておられたのを思い出しました。
永本哲也@『ミュンスター宗教改革』発売 @saisenreiha
ただ若手で、実証を軽視する人はほとんどいないと思います。哲学や文学でやっていくならともかく、歴史理論だけの論文は歴史学の査読誌に論文が載らないので、そもそも研究者として生き残れないだろうと思います。そのため、t_ohnukiさんの心配は杞憂なのではないかと思います。
ITO Toshikazu @toshiitoh
前者がなくても歴史学はやって行けるが、後者がないと無理。ある銀河系の星系を10個ぐらい調べただけで、その銀河の全体像を描くような仕事が求められる。
黒鮭虹鮭 @NijiKarainbow
史料に制限があるのがわかっている場合、テーマや理論利用するのが一つの手段なのかと。『手垢にまみれた史料をどう読むかを考えなさい』というのが師匠の教えの一つでしたね。それも一理ありとは今も思っています。
永本哲也@『ミュンスター宗教改革』発売 @saisenreiha
@na_kanoh そうですか。私もそのあたり詳しく知りませんが、日本の研究者が海外の研究者と同様の実証研究をするようになったのは、この20-30年くらいなのかもしれないですね。つまり、日本が豊かになり、円が強くなり、海外への渡航や留学がしやすくなった時代というか。
黒鮭虹鮭 @NijiKarainbow
某古代史の御大に貰ったのは、『日本で知られていない資料や新しい史料を発掘するのはいいが、それで君は何をするんや?』という言葉でした。
黒鮭虹鮭 @NijiKarainbow
とは言え、やりたいことがあってそのための史料が国内で入手できないのであれば、どこだろうと行って来いという雰囲気はあったみたいですけどね。
永本哲也@『ミュンスター宗教改革』発売 @saisenreiha
これは本当にそうだと思います。 RT @NijiKarainbow 史料に制限があるのがわかっている場合、テーマや理論利用するのが一つの手段なのかと。『手垢にまみれた史料をどう読むかを考えなさい』というのが師匠の教えの一つでしたね。それも一理ありとは今も思っています。
黒鮭虹鮭 @NijiKarainbow
あの人たちが言いたかったのは、向こうの研究を見てその水準に合わせるのはいいとして、向うと同じことをやって、日本にいる私たちに何の意味があるのか。それを考えられんうちはドクター出ようがマスターで出ようがずっと半人前のままや。そういったことだったのかと思います。
黒鮭虹鮭 @NijiKarainbow
実際のところ、研究の場から離れてしまった私に言えることはないでしょうが、ふと呟きたくなった次第です。
Toshio Ohnuki @t_ohnuki
ですね。 RT @saisenreiha ただ若手で、実証を軽視する人はほとんどいないと思います。(略)歴史理論だけの論文は歴史学の査読誌に論文が載らないので、そもそも研究者として生き残れないだろうと思います。そのため、t_ohnukiさんの心配は杞憂なのではないかと思います。
@na_kanoh
@saisenreiha はい。ですから、t_ohnukiさんのブログで引用されている回顧と展望の見解は、その時代の変化をまたいだ方が、自分の慣れ親しんだ歴史学のあり方が変化してきたことを察知して不安を感じている文章であるように僕には感じられました。
永本哲也@『ミュンスター宗教改革』発売 @saisenreiha
日本の西洋史学界にとって痛い問いだと思います。 RT @NijiKarainbow あの人たちが言いたかったのは、向こうの研究を見てその水準に合わせるのはいいとして、向うと同じことをやって、日本にいる私たちに何の意味があるのか。...
ITO Toshikazu @toshiitoh
まあ銀河の全体像を描くのは40代からで良いんで、それまでは色々な星系を探検した方が良いと思うんだが、そんな余裕が無くなっているのが最大の問題だなあ。
Adam (Atsushi) Takahashi @adamtakahashi
やはり、霧はまだ深い気がします・・・。「歴史理論」といわれているもので何を企図されているのか、少なくとも私には全く理解できない(前の文脈からすると、封建制論とか?)。むしろ、ナラティブの型とか技法という風に捉えた方が良いのではないかと思うのだけれど、違うのだろうか。
Adam (Atsushi) Takahashi @adamtakahashi
歴史学系の方の意見を見ていると、「原始的で職人的な実証研究」と「理論」の間に、とても大きな区分を設けている気がする。それって、本当なのだろうか?というか、歴史学者ほど「理論」なる言葉を安易に使う人たちも珍しい気がする。
nasastar @nasastar
ベタな世代論を越えるために年齢問わず両方やらなきゃいけないと思っています。RT @saisenreiha: これは世代によって異なる気がします。つまり海外に留学したり、文書館に行って、海外の研究者と同じように研究するのが当たり前の世代と、その前の世代です。
nasastar @nasastar
ベタな世代論を越えるために年齢問わず両方やらなきゃいけないと思っています。RT @saisenreiha: これは世代によって異なる気がします。つまり海外に留学したり、文書館に行って、海外の研究者と同じように研究するのが当たり前の世代と、その前の世代です。
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