歴史学をめぐる議論2
- saisenreiha
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最近も20万字オーバーの科研報告書をdistilして2万5千字の論文にして査読誌に採択されたところです。(オリジナルの長文版はオンライン公開しています)
2010-03-12 03:09:20ソ連解体後公開された史料により冷戦史の再検討がなされ、従来考えられた以上にソ連はイデオロギー的動機に基づき対外政策を決定していたという修正がなされた。しかしソ連国家において党が定める正統的イデオロギーから逸脱する発言を官僚が文書に残すことができただろうか?残そうと思っただろうか?
2010-03-12 05:05:39まあ本音と建前という話なのだが、例えばスターリン時代についてこの疑問を解消するすべは無い。つまり一次史料が手に入ったからと言って正確な歴史記述が可能かどうかあやしいということ。
2010-03-12 05:07:23電子書籍でも同じことができそう @mimimasumasu 技術的には脚注にリンクを埋め込んで、原史料の高解像度デジタル画像に飛べるようにする、二次文献についてもgoogle bookやe-journalの該当ページにリンクを貼る、なんてことをやってオンラインで公表する方が、ア
2010-03-12 09:28:39経済学において「理論」という言葉が明快なのは、経済学の仕事(の主要部)がモデル作成だから。別に威張るようなことでもなし。(威張ってない?
2010-03-12 11:00:40威張るとかそういう問題じゃなくて、理論を歴史に適用したらこうなりますよという例を出しただけ。 QT @contractio 経済学において「理論」という言葉が明快なのは、経済学の仕事(の主要部)がモデル作成だから。別に威張るようなことでもなし。(威張ってない?
2010-03-12 15:01:20@shishin51 こう言えばよかったです: 「.@adamtakahashi さんが「歴史学において理論は何でありうるか」という話をしているときに、.@shishin51 さんは「経済学理論(=モデル)の歴史への適用」の話をしましたね。」
2010-03-12 17:58:36異分野間で差異があるのは当たり前。扱う史料も違うし研究史も違う。ただ、そこで差異や隔たりだけを強調して終わるのではなく(そして単に話して楽しかったということで済ますのではなく)、時代や地域を共有しているのだから、今後の研究に繋げるためのコンセンサスを幾つか得るように努めること。
2010-03-12 22:46:59@contractio ああ違う~ 歴史理論ってどういうものなのか分からないって所から始まってたじゃん。だから、「理論と方法」ってこういうものでしょと計量経済史の論文を例として紹介した。そもそも歴史学ってモデルの構築を追及した学問じゃないでしょ。
2010-03-13 01:28:44とりあえず、この箇所には賛成です。 RT @shishin51: @** ** そもそも歴史学ってモデルの構築を追及した学問じゃないでしょ。
2010-03-13 01:37:46歴史研究の理論についての一連の会話と関連する文献を自分の考えを整理するためにとぅぎゃりました。ひょっとしたら歴史学を専門とするひとには全く役に立たない話かもしれませんが、よろしければどうぞ。編集はご自由に。 http://togetter.com/li/9176
2010-03-13 07:34:35歴史学の理論をめぐる議論がとぅぎゃられている。http://togetter.com/li/8653 http://togetter.com/li/8916 「理論」をマジックワードのまま使っていると、妙な党派性とアレルギーの不毛な対立になったりするので確かに考えておきたい事だ。
2010-03-13 08:46:57歴史学に限らないことだと思うけど、「理論」が何を指すかは置いといて、それについて賛否がある場合、①「理論について考えること」と②「理論を適用して考えること」の二つに分けて考えた方がよいように思う。
2010-03-13 08:57:37そして①②への対応によって、A「正統な学問では理論みたいな軟派なものは①も②も要らないよ派」、B「有用なら②はいいけど①はうちがやることじゃないよ派」、C「根本的なことなんだから①も②も大事だよね派」の三つに分かれるように思う。常々僕のTLも三派鼎立の観を呈している。
2010-03-13 09:00:46正統な学問だろうが何だろうがコミュニケーションが成立している以上、一種のコード・理論に依っているのだから、Aの言い方はそもそも勘違いという気が僕はするが、学問は伝統的な手法でやるべきであって新しい理論などは無視すべしという立場、と読み替えれば確かにそういう考えの人は居るなと思う。
2010-03-13 09:03:36個人的には「理論」には関心がある(面白い・重要だと思ったことが多い)が、僕の環境でも「理論」を名乗るものを嫌う人は多いので、自分の中で理論"によって"論じているときも、あるいは間接に理論"について"論じているときも、明示的にはそう書かず、常に自分の言葉に置き換えるようにしている。
2010-03-13 09:13:26ちなみに僕が「理論」を重要だと思うのは、それが正しいからとか有益だからとかというよりも、自分がどういう考えに基づいて言っているかを説明可能にする為、他人がどういう考えに基づいて言っているのかを理解する為、だ。
2010-03-13 09:24:24人文学は何らかの形で価値にコミットすることを避けられず、価値観が多様化している以上どんな価値も共有しない人から見ればドグマに過ぎないわけだが、彼我のドグマがどの部分まで共有可能なもので、どこが違っているのかを互いに理解することは生産的な議論をする上で重要だと思う。
2010-03-13 09:26:36.@portedieu 人文系でも人文「科学」を名乗った上で、実証を伴うタイプの研究(統計的手法もバリバリ使ったりして)と、実証はせず現象への説明をする研究では、「理論」の意味はまた違うと想像してたんですが、どうなんでしょう? (まあ両者は背反するものではないと思うんですが)
2010-03-13 12:07:37@tanakakakuwei 実証研究と、意味付けを目指す研究との違いはありますね。両方を混ぜて為されたりするので、この研究はこっち、と区別するのはなかなか難しいですが。「理論」という言葉でイメージされるのは後者が多いように思いますが。
2010-03-13 14:35:52