歴史学をめぐる議論2
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saisenreiha
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あと今回の一連の議論、歴史学プロパーで学んできた方々と、非歴史的方法が主流を占める分野の中の傍流でしかない=「非主流」歴史学である法学者/政治学者/経済学者の中で歴史研究に従事する人間との距離感を感じるものでした。
2010-03-12 01:54:57![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@adamtakahashi また自分だけの読みでは史料批判は不十分なので、過去の研究でその史料を扱った部分はないか、その記述ついて他の研究者がどんな評価を下しているかを調べなければ成りません。そのため、史料批判のためには、研究史を網羅委的におさえておくことが必要になります。
2010-03-12 01:56:24![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@adamtakahashi とまた思いつくままに挙げていきましたが、史料批判も使う史料の性格によってやり方が違いますし、私が挙げた以外にも、やり方は沢山あるわけです。歴史理論の一分野には史料論もあり、これが史料批判に大いに役立つことは確かですが、実際の実証は応用の連続です。
2010-03-12 01:58:26![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@adamtakahashi 通り一遍の知識では全然実証が出来ませんので、必死で勉強したり、指導教官との議論や学界・研究会で叩かれたり、自分で試行錯誤したりして、史料批判の精度を高めていくものなので、史料批判一つ取っても、なかなか方法の一般化は難しいように思います。
2010-03-12 02:00:39![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
その「職人性」にだんだん誇りを持ちつつある今日この頃。結局学問は学者による究極の分業体制なので、誰かが担わないと、という気持ち。 RT @adamtakahashi 歴史学者の方というのは、自分の作業が「原始的で職人的」だと謙遜するけれど、・・・
2010-03-12 02:00:50![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@saisenreiha 非常に有益なコメントだと心から思います。ありがとうございます。歴史家があくまで具体的な現場で遂行していることの、個々の研究上のファクターを、理解可能な形で論理的に説明するというのはやはり重要だし、それは(全部と言わないまでも)本当に興味深い事だと思います
2010-03-12 02:02:55![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@saisenreiha 非常に有益なコメントだと心から思います。ありがとうございます。歴史家があくまで具体的な現場で遂行していることの、個々の研究上のファクターを、理解可能な形で論理的に説明するというのはやはり重要だし、それは(全部と言わないまでも)本当に興味深い事だと思います
2010-03-12 02:02:55![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
異分野間のコミュニケーションはえてして難しいものだが、だからこそ一つまとまった仕事をしたら少し、あるいは大胆に専門を変えることが決定的に重要になってくると思う。例えば学振PDは研究室の変更を義務付けているが、これはもっと前向きに考えるべき。
2010-03-12 02:04:34![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
歴史記述を高度に職人的な作業と認識する場合、雑誌論文ならこの程度の分量で、モノグラフならこの程度の分量で、といった研究テーマや問題意識とは本来無縁な、しかし研究成果に決定的な影響を及ぼす、実際的な=市場原理的な制約への対応も「職人」技と考えるのだろうか?
2010-03-12 02:04:39![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
そうですね。史料批判も長い時間を掛けた訓練によって身につけて行くしかない、非常に専門的なスキルだと思います。 RT @adamtakahashi その単純な作業こそが、実は高度なわけです。
2010-03-12 02:05:23![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
研究業界で成果として認識されうる媒体に公表してもらえるよう研究の物理的サイズを切り詰める、という日々営まれている作業の与える影響がすっぽり欠落した形で方法論を議論するというのはキレイゴトだと思う。
2010-03-12 02:08:09![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
これは実際問題凄く影響が大きいと思います。 RT @mimimasumasu 研究業界で成果として認識されうる媒体に公表してもらえるよう研究の物理的サイズを切り詰める、という日々営まれている作業の与える影響がすっぽり欠落した形で方法論を議論するというのはキレイゴトだと思う。
2010-03-12 02:10:23![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
私は処女論文を仕上げるために、草稿から決定稿まで四割ぐらい減らさなければなかったのですが、実証部分はかなり簡略化せざるを得ませんでした。結果論文の実証の緻密度は格段に下がりました。
2010-03-12 02:14:04![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
格段というのは言い過ぎか。でも註とか大部分削ったので泣けました。読み手にとってはその方がすっきりして読みやすいとは思いますが、書き手としては心中複雑です。
2010-03-12 02:16:43![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
『一次』資料と『二次』資料の問題。/ のように思われる。考えられる。かもしれない。と言った言葉。書かれた言葉についての問題。ディシプリン。閉じられているかもしれない共通の認識。
2010-03-12 02:16:45![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@saisenreiha そこで期待が持てるとしたら電子化によるページ制限の緩和なのですが、それはそれで紙の媒体にのらないこと=アカデミックな「権威」に欠ける、という認識を持つのもまた同じ、研究者だったりする訳で。
2010-03-12 02:19:43![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
技術的には脚注にリンクを埋め込んで、原史料の高解像度デジタル画像に飛べるようにする、二次文献についてもgoogle bookやe-journalの該当ページにリンクを貼る、なんてことをやってオンラインで公表する方が、アカデミックな意味ではるかに誠実で良心的なものが書けるはず。
2010-03-12 02:24:04![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@mimimasumasu そうですね。電子ジャーナルには期待したいです。しかし、雑誌でも紀要なら長い論文を載せられますが、業績としては余り評価されませんし、電子ジャーナルもどうなりますか。長くないと成り立たない論文も多いと思うのですが。
2010-03-12 02:25:10![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@saisenreiha みんなが長文の史料紹介等を載せて院生紀要が極厚になり、印刷代がかさんで研究室の財布に穴が空いたって話もありますけどね。
2010-03-12 02:34:12![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
歴史学と社会学のように隣接する分野でも仲が悪い事もあるので、理系でそういった学際的な意識を持つ仲間が身近にいるってのはとても嬉しい笑RT @tktktko ジェネラリストの知性に憧れます。数理的な手法だけでは解き明かせない謎がゴロゴロしているので、理系の人も理系の枠から出ないと…
2010-03-12 02:42:28![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
ちなみにうちの師匠曰わく「論文は投稿にむけて絞ることにより論点が明確になる」そうです RT @saisenreiha: @syakekan 何という旺盛な研究意欲(笑)
2010-03-12 02:47:42![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@syakekan うちの専攻の紀要はこの5年間で、限られた院生に一定の分量で書かせる路線から、多くの院生の論文を載せる路線に変わり、さわりだけを書かせる路線に転向してしまいました(分量は2割以上減)。それでいて競争率が激しく査読も厳しいので、いまいち感が年々増しています……
2010-03-12 02:52:38![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
昔は紀要で分量や文体や構成など好き放題の実験をしていましたが、外部資金云々がうるさくなり、実際に科研費取らないと研究できなくなってからは、「効率」を重視した2万〜3万字程度の査読論文スタイルのものを、「望ましい間隔」でアウトプットしていくことになりました。
2010-03-12 03:03:44![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
モノグラフを出した時は第一稿は70万字オーバーでしたが、最終的に32万字くらいに縮めざるを得ませんでした。縮めたことにより良くなった部分もあるのですが、実際に私の研究成果を最も活用してくれる人たちは、しばらくの間オンラインで公開していた長文第一稿の方が役に立つと言っていました。
2010-03-12 03:06:06