歴史学をめぐる議論2
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saisenreiha
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歴史家が狭義の「理論」を念頭において「それって危ないよね」と言ったもんだから、広義の理論を念頭においているadamtakahashiさんが「そんなことないだろ」と思った、問いう理解でよい?だとしたら言葉足らずでした。
2010-03-12 00:29:55![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@saisenreiha すみません、私もだいぶ疲れました。長時間、ありがとうございました。職人的な研究に励みたいと思います。。。
2010-03-12 00:43:15![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@saisenreiha すみません、私もだいぶ疲れました。長時間、ありがとうございました。職人的な研究に励みたいと思います。。。
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@contractio 今朝頂いたご質問への回答を試みました。さらに、ご指摘やご質問がございましたら、仰っていただければ幸いです。@saisenreiha @t_ohnuki
2010-03-12 00:50:44![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@contractio 今朝頂いたご質問への回答を試みました。さらに、ご指摘やご質問がございましたら、仰っていただければ幸いです。@saisenreiha @t_ohnuki
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@shishin51 今日のやり取りで、「理論(や方法)」は「歴史学」に常に内在したものであって(というのも、何を論点として選択し、分析するかということだけでも、十分に何らかの理論ですよ・・・)、そこから乖離したものではないのではないか、という結論に至ったつもりです。
2010-03-12 00:53:12![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@tktktko それを考えると社会学って興味深いよね。異なるディシプリン同士を関連付けるという点では、社会学者はスペシャリストというよりジェネラリストになることを求められているのかも。
2010-03-12 00:55:09![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
大変分かりやすいまとめで、勉強になりました。ありがとうございます。自分も論文書きに戻ります。 @adamtakahashi 今朝頂いたご質問への回答を試みました。さらに、ご指摘やご質問がございましたら、仰っていただければ幸いです。 @contractio @saisenreiha
2010-03-12 01:02:27![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
大変分かりやすいまとめで、勉強になりました。ありがとうございます。自分も論文書きに戻ります。 @adamtakahashi 今朝頂いたご質問への回答を試みました。さらに、ご指摘やご質問がございましたら、仰っていただければ幸いです。 @contractio @saisenreiha
2010-03-12 01:02:27![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「歴史学をめぐる議論」のまとめを読んだ。歴史学研究を実践するうえで踏まえておくべき史学史とか歴史哲学の問題とは別に、「理論」という言葉が引き起こすある種の連想と(時にはアレルギー的な)反応の問題がある気がした。文学でも似た状況はあるので、わかる。
2010-03-12 01:32:42![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
歴史学者の方というのは、自分の作業が「原始的で職人的」だと謙遜するけれど、大田区の町工場の職人のように(?)、どの最新鋭の機械(理論)を持ってしても敵わない高度な作業をされていると思う。僕としては、その本当は高度な作業の過程を、すこし説明していただけませんか?と聞いているだけなの
2010-03-12 01:35:00![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
です。それなのに歴史学者は「理論」と聞くと、突然「言語論的転回が・・・」とか、そういう大ナタを振り回して「格闘」したり、そんなのは「哲学や文学」屋に任せておけ、となる。でも、そういう大理論を歴史家に聞きたいのではなくて、自分たちが無意識にされている高度な作業の過程で何が重要な
2010-03-12 01:38:29![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
一般論として、研究者のコミュニティで研究の前提をどう共有、継承していくかという問題を考えると、人文系では暗黙知的なものを徒弟制度で継承するシステムが多いのでは。それ自体は悪くないけれど、外部から来た人間には言語化して説明できた方がいいと思う。
2010-03-12 01:40:23![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
ファクターとなっているのか?その具体的なところを少しだけ抽象度を上げて説明していただきたかったのです。それは「言語論的転回」が云々といった古ぼけた理論以上に、非常にクリティカルな意味を持っていると思うし、実際欧米の歴史学系のジャーナルで「理論と方法」として共有されるべきと
2010-03-12 01:40:32![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
見なされているのは、そういう個々の歴史家の作業が、どういうファクターを重視して動いているのか、ということなのではないかと思います。こういうことが理解できたのは、今日の成果だったのではないかと、自分では考えています。
2010-03-12 01:41:21![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
自分が論文を書く過程を言語化することは、論文を書くことそのものより大層難しいことだと思う。そういう作業の成果があると面白いかもしれないけれど、学術的価値は特段高いとも思えない。初学者に有益かどうかも不明。そしてそれは歴史学に特有のことではないと思う。
2010-03-12 01:45:38![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
異なる分野の間でも話が通じた方がいいでしょ、と思うのも私のトレーニングが比較文学だからかもしれないが…。でも、これからは海外の研究者ともコミュニケーションする必要があるし、一般への説明責任もある。自分の分野の前提は言語化できた方がよいと思う。
2010-03-12 01:47:25![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@adamtakahashi 大貫さんが歴史学研究を「職人的」というのは、私も気持ちが良く分かります。歴史学といっても、時代やテーマによって分析方法がまちまちだし、方法の一般化が難しいからです。
2010-03-12 01:47:36![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
RT: @shionkono 異なる分野の間でも話が通じた方がいいでしょ、と思うのも私のトレーニングが比較文学だからかもしれないが…。でも、これからは海外の研究者ともコミュニケーションする必要があるし、一般への説明責任もある。自分の分野の前提は言語化できた方がよいと思う。
2010-03-12 01:48:34![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@adamtakahashi たとえば歴史学の方法の基礎中の基礎である「史料批判」ですが、これも方法と言うよりは、むしろ心構えに近いものです。史料批判は方法としては、史料には嘘が書いてあるかも知れないから、気をつけて読もうという単純なものです。
2010-03-12 01:49:42![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@adamtakahashi しかし、具体的に実証研究で史料批判をやろうとすると、これはもう筆舌にし難い難しさがあるわけです。その著者の利害関係や史料の性格を念頭に置く程度では全然足りず、当時の社会に関する知識を包括的に知らないと史料批判できません。
2010-03-12 01:53:00![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
その単純な作業こそが、実は高度なわけです。RT: @saisenreiha 歴史学の方法の基礎中の基礎である「史料批判」ですが、これも方法と言うよりは、むしろ心構えに近いものです。史料批判は方法としては、史料には嘘が書いてあるかも知れないから、気をつけて読もうという単純なもの
2010-03-12 01:53:23![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
その単純な作業こそが、実は高度なわけです。RT: @saisenreiha 歴史学の方法の基礎中の基礎である「史料批判」ですが、これも方法と言うよりは、むしろ心構えに近いものです。史料批判は方法としては、史料には嘘が書いてあるかも知れないから、気をつけて読もうという単純なもの
2010-03-12 01:53:23![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@adamtakahashi またある記述の確かさを確認するためには他の史料の記述とつき合わせてみなければなりません。つき合わせる他の史料がない場合には、記述を徹底的に読み込んで、それが信頼に値するか判断しなければ成りません。これもその研究者の知識量や読みの深さに依存します。
2010-03-12 01:54:35