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笠井潔 @kiyoshikasai
外に生ゴミを棄てに行くのが、寒くて、だんだん負担になってきた。それでもやめるわけにはいかない。キッチンのポリバケツに生ゴミを溜めるのが厭で、わが家では三角コーナーが満杯になると、そのつど庭のコンポストに棄てるようにしている。二人家族なら一日一回で充分。
笠井潔 @kiyoshikasai
とはいえ、雨の日や雪が積もったあとは大変だ。酷寒の時期はなおさら。傘を差したり長靴を履いたり、防寒具を着て棄てに行かなければならない。東京のマンションで暮らしていたときは、可燃ゴミの回収日まで、家の中に生ゴミを溜めていても平気だったのだが。
笠井潔 @kiyoshikasai
昨日がそうだったが、外に出るのが面倒で一時間延ばしにしているうちに、雨が降りはじめた。舌打ちしながら日が暮れる直前に、傘を差して棄てに行った。こういうことがよくある。それでも外に棄てることに執着しているのは、なにか人生観のようなものと関係があるのだろう。
笠井潔 @kiyoshikasai
必要ないものは身辺に置きたくない。身近にあると不愉快で、なんとなく落ち着かない。マニア的な蒐集趣味がないのも、これと関係しているようだ。必要な生活用具は、背負って移動できる程度の量にするべきだ。ようするに「簡単な生活」である。
笠井潔 @kiyoshikasai
生ゴミに罪があるわけではないが、不必要という点で最たるものだから、一刻も早く棄ててしまいたいのである。定期的に移動する狩猟民は、背負って運べる程度の生活用具しか持たないし、そもそも持てない。これが人間の本来的な姿だと思っているところがある。
笠井潔 @kiyoshikasai
狩猟民の生活を擬似的に体験させるのが登山で、家(簡易テント)から調理器具まで生存に必要なものは、残らず背負って歩かなければならない。食糧と燃料を、必要なときに必要な量だけ現地調達できれば、かなり狩猟民の生活に近くなる。
笠井潔 @kiyoshikasai
若いころ登山に熱中したのは、人間本来の生き方を擬似的に体験できるからだったかもしれない。マニアや、その子孫であるオタクは、やはり定住が前提の農耕民タイプなのだろうと思う。必要不必要を問わず、担いで運べないほどの「財」を溜めこんでしまうのだから。
笠井潔 @kiyoshikasai
しかし、こうした発想はハイデガーの「死への先駆」に影響されているところがあるかもしれない。いくら溜めこんでも墓のなかまでは持っていけないわけで、常日頃から「死に先駆」していると、余分なものを所有したくない、すべきでないということになる。
笠井潔 @kiyoshikasai
ハイデガー哲学が20世紀的だとすれば、墓穴までガラクタで埋めてしまいそうなオタク的心性は、もしかしたら21世紀的かもしれない。ハイデガーと決断主義と行動的ニヒリズムで生きてきた人間だが、この点での自己絶対化は避けるよう努めるべきだろう。
笠井潔 @kiyoshikasai
ものに執着しない生き方は産業社会に対立するが、ポストフォーディズムの認知資本主義には、むしろ適合的ともいえる。認知資本主義の勝ち組(志願者)が「ノマド」を自称したりするように。
笠井潔 @kiyoshikasai
話が変わるようだが、キャリーぱみゅぱみゅがフランス公演をやると知って、いささか感動した。ジャンパン・エキスポでもファンの少女たちが、生パミュパミュを前に感涙にむせんでいたが。
笠井潔 @kiyoshikasai
過剰かつ無意味にデコラティヴな原宿ファッションは、その趣味を共有しない者にとってゴミの塊ではないか。この点からすれば、ガラクタを山のように掻き集めるオタク的心性はグローバリズムへの抵抗である。
笠井潔 @kiyoshikasai
決断主義のハイデガーやシュミットやユンガーより、オタクの先駆だったベンヤミンのほうが、この時代ではアクチュアリティがあるのかもしれない。ところで、もしもベンヤミンがぱみゅぱみゅ公演を見たら、なんといったろう。
笠井潔 @kiyoshikasai
決断主義三人男はもちろん、フランクフルト派のアドルノも拒否反応を起こしたに違いないが、ベンヤミンなら面白がったような気がする。フランス現代思想ではどうか。30年代世代から50年代世代まで、あまりひっかからない。フーコーもデリダもドゥルーズも、ぱみゅぱみゅに興味を持ちそうにない。
笠井潔 @kiyoshikasai
バタイユとラカンは、それぞれの視点から「歪んだ興味」(笑)を持ったかもしれないが、ちょっと違う。へらへら楽しむことができたのは、サルトルではないかという気がして、ちょっと面白かった。
笠井潔 @kiyoshikasai
キャリーぴみゅぴみゅのパリ公演を見物したサルトル(の幽霊)に、ボーヴォワール(の幽霊)が噛みつく。B「あなたがロリコンだなんて思ってもいなかった。そういえばわたしが教えてたリセの女子生徒を誘惑したことがあったわね。あのとき気づくべきだったわ(怒)」S「まあまあ、カストゥ-ル」
笠井潔 @kiyoshikasai
B「ごまかされないわよ」。S「僕がベティ・ブーブのファンだって知ってたろう。あれと同じことさ」。B「チャップリン映画をよく観てたのは知ってましたけど」。S「きみも後輩のインテリ・フェミニストも、女である自分を解放するには男の言葉を男以上に使いこなさなければならないと思っていた」
笠井潔 @kiyoshikasai
B「そうせざるをえなかったわ」。S「しかしキャリーやキャリーファンの少女たちは、女の、むしろ少女の感性を否定することなく自己解放することを欲望している。これって感動的だと思わないか」。B「あなた、わたしの仕事を否定するの」
笠井潔 @kiyoshikasai
S「とんでもないよ、カストゥール。先行世代の肩に乗って人間は新たな歴史を作るって、マルクスも書いてるじゃないか。『ドイツ・イデオロギー』だから、この箇所を書いたのはエンゲルスかもしれないけどね。きみたちの奮闘があったから、キャリーのような世代が生まれることもできたんだろう」。
笠井潔 @kiyoshikasai
B「ごまかされないわよ、そんな弁解じゃ」。S「愛撫が肉(シェール)を魔術的に変容することは、きみも認めたはずだ」。B「書いていたわね、たしか『存在と無』に」。S「ポストモダンなロココともいえるあのファッションは、自分による自分への愛撫じゃないかな」。
笠井潔 @kiyoshikasai
B「どう違うのよ、女のマスターベーションと」。S「一般にマスターべーションは想像された異性を必要とする。同性愛者ならエロティックな同性を。しかしキャリー的な存在は、想像上でも異性を必要としない。新しいだろう、カストゥール。きみも日本のオタクに関心をもつべきだ」
笠井潔 @kiyoshikasai
突然、ドゥルーズ(の幽霊)が闖入してくる。D「横から申し訳ないんだが、遊牧民の戦争機械という概念は男女を問わないことに注目していただきたい」。S「なにか関係あるのかね」。D「そもそもモンゴリアンは男女に体型の違いが少ない。コーカソイドと違って、バストがあまり発達しないんですね」
笠井潔 @kiyoshikasai
B「だからどうしたっていうの」。D「アマゾネスは弓を使うために右の乳房を切り落とした。しかしモンゴリアンの女性なら、そんな必要はない。馬と弓とバストが発達しない女、なんと見事な戦争機械だろう(遠い目)」。S「だから、きみたちがいう戦争機械とキャリーとの関係は?」
笠井潔 @kiyoshikasai
あ、もう時間だ。そろそろ夕食の準備をはじめなければ。この先はみなさんで考えてください。以上、晩秋の黄昏時の夢でした。

コメント

neologcutter @neologcuter 2012年11月17日
こういうこと言ってはイカンのだが→哲学は壮絶なオナニーですよね? - Yahoo!知恵袋 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1086829440
未知神明(みちがみ・あきら) @ontheroadx 2012年11月17日
とりあえず「ルソーはそんなこと言ってない」とか言えばいいんじゃないの?
saebou @Cristoforou 2012年11月17日
↑いや、ああいうものにハマるのはブリジット・バルドー論を相当本気出して書いてたボーヴォワールのほうじゃない?
saebou @Cristoforou 2012年11月17日
ボーヴォワールの「ブリジット・バルドーとロリータ症候群」っていう素晴らしい批評がありましてな。 http://d.hatena.ne.jp/saebou/20090407/p1 日本語訳についてる山田宏一の解説は全く意味不明でひどいけど。
kaoru316(仮説) @kaoru316 2012年11月17日
「オタク的心性はグローバリズムへの抵抗」って、オタクほど商品購入のとりこになっている人種もいないわけですが
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