ポケジェクト場外乱闘:POKEMON with US編
11/18発刊の「ポケ論2」を読み、その中で私がもっとも印象に残り、そして「言及しなければならない」と感じたのが、わたなべ氏(@Nasobem_W)の「POKEMON With US」だった。
2012-11-18 23:38:28この論は「初音ミクというゴースト」とポケモン、プラズマ団から見えてくるポケモンBWとBW2のテーマの問題点、そして「ポケモン倫理学」の考察から、ポケモンにとっての自由とは何か、ポケモンを解放することとは何か、そして、「私達は今後、ポケモンとどう付き合うべきか」を考えている。
2012-11-18 23:42:10この論において注目するべきは、「ポケモン倫理学」と「ポケモンは今以上に日常に浸透し、一線を越えようとしている」という点である。前者はポケモンがその誕生以来抱えてきた命題であり、後者は15年を越えて、更に人々への浸透を深めるポケモンの考察である。
2012-11-18 23:46:21これらの点の内、まず「ポケモン倫理学」であるが、本論につまらないケチをつける意図はないが、実のところBWや、本論でも触れられている、記憶に新しい「PETAによるポケモン批判」以前にも、ポケモンの倫理性の問題については、その周辺で幾度かの言及がなされている。
2012-11-18 23:49:21例えば1998年、朝日新聞(・・・と記憶している)に、放送が再開されて間もないポケモンアニメ評が掲載されたが、そこに「ポケモントレーナーは、安全なところでポケモンに指示を出しているから卑怯だ」という旨の一文が載せられていた。
2012-11-18 23:54:45また、岡田斗司夫氏の対談本の中にも、「ポケモンは人間に都合のよい奴隷として描かれており残酷」という旨の一文がある。これも古いものだか、記憶が確かであれば、東大オタク文化論関係の著書で、岡田氏と小林よしのり氏の対談中で、ポケモンの残酷さが触れられていた覚えがある。
2012-11-18 23:58:39ミスタイプ訂正。古いものだか・・・→古いものだが・・・
直接ポケモンが自身の「ご都合主義」ぶりに触れた案件としては、「ミュウツーの逆襲」が筆頭に挙げられる。本作は裏テーマとしてではあるが、ポケモントレーナーやポケモンバトルの「ご都合主義」を扱い、ミュウツーを通し、そのナンセンスさを突きつけている。
2012-11-19 00:02:02こうした「ポケモンの残酷さ」に言及する動きは、2000年以降、ポケモンが社会的に浸透するに従い、表向き問われなくなったが、それはポケモンが自身を乗り越えるための回答を示せたからではない。その残酷さは放置されたばかりか、「ポケモンの日常」として組み込まれるに至った。
2012-11-19 00:07:05アニメでは金銀編以降、ゲームではルビー/サファイア以降、ポケモントレーナーもポケモンバトルも、清潔で健全なものだというイメージで捉えられる傾向が現れた。残酷さを拭う意図があったのかどうかは分からないが、公にはポケモンと人間の関係は、「清らかで健全」であるとされたのだ。
2012-11-19 00:16:26しかし、それはポケモンが根源に持つ残酷さ、「人間とって極めて有利な、一方的通行の関係」を根本から考え、問う事を避けた行為と言わざるを得ない。少なくとも2002年から2009年までの間、ポケモンはその身に抱えている問題から、目を背けたのである。
2012-11-19 00:21:09これについては致し方ない面もある。ポケモンというゲームが、「人間にとって極めて都合のいい、一方通行の関係」がなければ成り立たないし、それを主商品として売る以上、自己否定につながりうる、自身を検証する行為には踏み切れない。
2012-11-19 00:24:14これを踏まえると、その内容と落着点はさておき、ポケモン自身がBWとBW2において、ポケモンと人の関係に踏み込んだ点は、2002年から2009年までの空白期からは前進した、とも言える。だが回答には程遠いと言わざるを得ない。事実、PETAのポケモン批判は、現在においても有効なのだ。
2012-11-19 00:28:44「ポケモンは人間によって支配され、抑圧され、戦う事を強要される」。その批判は現在でも変わらず有効であるが、ポケモンは聞き流すか、叩かれるに任せるしかない。ポケモントレーナーを中心とした世界観と、ゲームデザインを是とする内は、それ以外には選択が用意されていないのだ。
2012-11-19 00:33:55こうした環境下でポケモンの倫理を考えることは、ポケモンのアイデンティティに迫る行為でもある。ポケモンをモンスターボールで束縛しない、バトルを強制しない、命令しない、そうしたゲームを作るだけならば既に実現しているが、しかしその根本には、未だ「ポケモントレーナー」が鎮座する。
2012-11-19 00:38:51ポケモンの倫理は、その思考を先に進めれば進めるほど、ポケモンを「道具」ではなく、「存在」として考えることになるが、それはポケモンを「道具」とみなすことで成立するポケモントレーナーと、ポケモンのゲームデザインに、疑問を抱くことに繋がる。
2012-11-19 00:42:17ポケモンを存在として扱った時、ポケモンのゲームデザイン、ポケモントレーナー、それらは音を立てて崩れるが、それを行えば、ポケモンは従来のポケモンを引き継がない、全く新しいゲームデザインを用意しなくてはなるまい。だが、それはポケモンにとって、大変にハイリスクな行為となる。
2012-11-19 00:48:11そのハイリスク故に、あるいは伝統故に、ポケモンはポケモンを「存在」ではなく、「道具」として考え続けることを選ぶだろう。ポケモンの倫理が「存在」として考え、扱うことを求めても、ポケモンは「遊び」を作るために、自身の残酷さに目を背ける。「遊び」を、ゲームを作るために。
2012-11-19 00:53:41ところで、ここでもうひとつの題である、「ポケモンは日常に浸透するあまり、一線を越えようとしている」である。ポケモンは15年以上の年月を経た結果、身体を得つつあるかもしれないのである。それは言い換えれば、「存在」になり始めているといえる。
2012-11-19 00:56:37おそらく、ポケモンが「ただのゲーム」として、15年以上売られ続けていれば、ポケモンは「道具」で留まったかもしれない。だが、アニメが作られるようになり、関連商品が売られ、キャラクター(あえてこの語で述べる)としても浸透した結果、ポケモンは今や、「存在」になりつつあるらしい。
2012-11-19 00:59:02言われてみれば、ポケモンは存在として身近だ。食品、日用品、玩具、衣類、趣味の諸々、ポケモンの関連商品化は留まる事を知らない。結果としてポケモンは、キャラクター関連商品という形で日常に現れ、キャラクターの認知と共に日常的な存在となった。
2012-11-19 01:02:35ゲームでの扱いはさておき、ポケモンは「われわれが、いまいる、この」世界においては、広い認知を得て、存在として確立しつつあると言えよう。だが、この点もよくよく考えれば、ポケモンは存在として未だ不安定であると指摘せずにはいられない。
2012-11-19 01:07:24