11/17、梅田のトミノ
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futaitenbunko
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今日富野講演会の後でお喋りさせて頂いた方が、「富野監督と永野護がもっと一緒に仕事してたら、お互いもうちょっと違ってたんじゃないかと思う」とおっしゃってたけど、それは確かに甘美な夢だよな。
2012-11-17 22:42:34
と言う訳で自分のためにも昨日の富野講演を軽くまとめておいた。ていうか俺の断片的な記憶とメモを並べただけでかつ記憶違いも多いと思うのであんまり資料価値みたいのは無いと思うので注意。
2012-11-18 22:09:39
富野・梅田講演1.今月71歳になって、まずその事に言及せざるを得ない。若い頃はこの歳までこの仕事でまともに生きていけるとは思ってなかった。その頃の同僚は皆数年でいなくなってった。
2012-11-18 22:10:52
富野・梅田講演2.20代で虫プロに就職した頃、アニメの仕事なんて世間に認知されてなかった。そういう仕事を続けてると取り留めがない。 で25、6の頃に個人的な事情もあって実写のCM会社に転職した。
2012-11-18 22:12:06
富野・梅田講演3.アニメという映像の仕事をしてたし、それなりにやっていけると思ってたけど、全然無理だった。まず体力がそもそも無い。小道具大道具を満足に運ぶ事が出来ない。アニメの現場ではずっと座りっぱなしで運ぶものと言えばセルとかコンテとか。
2012-11-18 22:15:20
富野・梅田講演4.ショベル使って土を運ぶのに、3回運んだだけで力尽きる。横を見ると別の人が一度に自分の3倍くらいの量の土を運んでる。そういう日雇い土方みたいな人を一端に見下してたけど、そんな事すら自分には出来ないんだという事がわかった。
2012-11-18 22:18:26
富野・梅田講演5.CM作るのに企画をオーディションで決めるのだけど、一年間で一本も自分の企画が採用されなかった。それで「自分は実社会で生きてはいけない」と悟った。だからアニメの世界に戻った。別に理念なんて何も無かった。
2012-11-18 22:20:46
(個人的メモ)ここら辺の転職の事情とかは「だから僕は…」を読んでる人にはもはや説明不要だが、最後の「理念なんて無い」という発言はどこまで信じて良いもんか。上記著作内ではそれ相応の「理念」が記述されている。
2012-11-18 22:23:15
富野・梅田講演7.小学生の頃の卒業文集に「将来の夢」を書かせられたのだけど、小学6年生がそもそもそんな将来のビジョンなんか持てる訳がない。そこで当時は「ヘリコプターのパイロット」と書いた。
2012-11-18 22:25:41
富野・梅田講演8.田舎の先生はこう書いておけば満足するだろうという理由。ヘリコプターに限定したのは、他の人と被ることはないだろうという魂胆から。
2012-11-18 22:27:52
(個人的メモ)これは個人的にも非常によく分かる話で「最近の子供は夢がない」と言われると「本当にお前らガキの頃夢持ってたか?」「持ってたとして、それ本気だったか?」とね。そして大人受けというのだって賢しく考えるのが小学生なんだという認識は忘れちゃいけんよなと思う。
2012-11-18 22:28:52
富野・梅田講演9.人生観の「観」というのはつまり「見方」であるけど「人生の見方」なんてそんなもん持てるか。じゃあ何でこんなタイトルにしたかと言うと、NHKのカルチャースクールで講演する上で、そうした方が通りが良いから。「ヘリのパイロット」と同じ。
2012-11-18 22:32:08
一旦この辺で休憩。 凄い話がブツ切りなのは俺の記憶とメモが断片的である事も大きいけど、そもそも今回は富野監督の話自体かなりアッチ行ったりコッチ行ったりって感じだった。
2012-11-18 22:33:00
富野・梅田講演10.小学生の頃に雑誌「少年」を読み始めた。偶然なんだけど購読を始めたその号から丁度アトムの第一回が始まった。で中学に上がったら読んでないフリをしてた。表向きは弟が買ってるって事にしてた。
2012-11-18 23:20:24
富野・梅田講演11.県立高校に行くようなクラスの優秀な奴らは中学生ともなると岩波文庫とかしか読んでないはずだと思い込んでた。
2012-11-18 23:21:52
富野・梅田講演12.小学生の頃から親父の趣味を手伝ってて写真の現像をしていた。そこで「写真」というケミカルなものの面白さと面倒くささを知った。
2012-11-18 23:25:56
富野・梅田講演13.中学で写真部に入ったけど、そこで引き伸ばし用と密着用の印画紙が違うことを知った。そんな基本的な事を一切知らなかった。それが恥ずかしくて写真部を一日で辞めた。「小学生からやってて富野そんな事も知らないのか」と。
2012-11-18 23:31:13
富野・梅田講演14.で読書部に入った。その頃何を読んだかは余り覚えていないが、高1くらいまで小説を書こうとしていた事は覚えてる。
2012-11-18 23:36:11
富野・梅田講演15.しかしその頃イロイロ文学作品を読んでいて「エロス」というのはどこまで描けば文芸とされて、どこからただのエロ小説になるのかの境界線が全く分からなかった。それが分からないと小説が書けないんじゃないかと思っていた。
2012-11-18 23:36:22
富野・梅田講演16.高校一年で旺文社に小説を送ったが箸にも棒にもかからなかった。なぜ駄目だったのかと手紙を出したら編集から「もっと小説を読め」と返ってきた。
2012-11-18 23:41:16
(個人的メモ)この最後の「今はできません!」というのがタメとかタイミングがウケ狙いとして完璧で、しっかりそこで客席からは笑いが起こる。講演慣れしてるよなあ、と。ちなみにここで「ネットに書くなよお前ら」て言われてますw
2012-11-18 23:46:55