レプリカ・ミッシング・リンク #3
自分は何者だ?ユンコの思考は無限遠マトリックスめいた自我の迷宮へと嵌り込み、ついに彼女の自我はフェードアウトした。そしてニューロンサーキットの電子パターンが僅かに変化し、ソーマト・リコールの如き記憶洪水現象が起こる……。 20
2012-11-19 22:30:56色鮮やかなモザイク。ショウギボードの目の如く正確に分割されたモザイク。1枚1枚の色がパラパラと変化する。それぞれのモザイクが4分の1に分割される。さらに小さなモザイクが生まれ、それがさらに4分の1に。また4分の1に。徐々に夢の解像度が上がる。何かが規則的に前後に動いている。 22
2012-11-19 22:39:12ユンコはそれを見たいと思った。すると電子機器を操作するかのように簡単に、映像が自動重点された。それは電車のおもちゃだった。それを動かしているのは、小さな子供の手。自分の手か?わからない。そんな玩具を持っていたかどうかさえも。どこか遠い所で電子オルゴールめいた音が鳴っている。 23
2012-11-19 22:46:08もっと近くで見たい。ユンコが思うと、電車の玩具が急激にズームアップされた。雷神のエンブレム。(((オムラ・インダストリ……)))ズームアップが止まらない。雷神の顔は厖大なモザイクによって作られていた。後戻りはできない。ズームし続けると再びモザイクが4分の1に分割され始める。 24
2012-11-19 22:55:12彼女の精神は奇妙な飛翔感を覚えていた。コトダマ空間認識者たちが覚える、全能感に満ち溢れた自由自在の飛翔感ではない。見えないブラックホールに向かって永遠に吸い込まれてゆくかのような、一方的な飛翔感。罠にはまったズワイガニの群が、カニ捕り漁船に向かって引き揚げられる時に見る夢。 25
2012-11-19 23:01:48またモザイク分割が始まる。4分の1……4分の1……4分の1……。「第七ロウドウ駅ドスエ」電子マイコ音声。父の背中を追って、ユンコは武装新幹線から降りる。プシューガコン。背後で新幹線の隔壁が閉じる。「ネオサイタマに帰るんじゃなかったの?」ユンコは不安そうな声で問う。 26
2012-11-19 23:08:41「話をしよう。大切な話だよ」父は労働者たちを押し分けながら薄汚いベンチに座った。「アイ!アイエエエエエエ!」ホームの端では違法乗車を試みて警備員に捕獲された下層労働者が、エレクトリック磔トリイにかけられて電流を浴びせられている。ユンコは父の横に寄り添うようにベンチに座った。 27
2012-11-19 23:13:51武装新幹線が遠ざかってゆく。しばらくすれば次の便がやってくるだろうが、ユンコにとってはこの上なく心細い。鉄網製の床越しに下のコンコースを見る。薄汚い巡礼者の群れ、場末のストリートオイラン、ライト付きのヘルメットを被った炭坑夫たち……その両目は双眼鏡めいた旧式のサイバネアイ。 28
2012-11-19 23:22:38「窓の外を見てみよう」父親が言った。ユンコがそれに従った。重金属酸性雨が降り注ぐ広大な焦土の先には、真黒いスモッグに覆われた雄大なるフジサンが。そこに向かって伸びる何本もの線路。各結節点には黄色やオレンジ色の光が虫の卵のように群がり、ニューロンめいた形状の街を形成している。 29
2012-11-19 23:27:22「レアアース採掘で一攫千金を狙う人らが住む。巡礼者のための駅でもある」父が言った。明日からまた、彼はいつ帰れるか解らぬ仕事に向かう。それが母と別れる原因だった。「大切な話って?」「新幹線だ。それぞれの……光と光を繋ぐ……レールとモーターの力で動く。どちらが欠けてもならない」 30
2012-11-19 23:37:18「だから?」「……レールが破壊されれば、あの開拓地は全滅するかもしれない。パンダの群れや強盗団に襲われて」「それを作るのは、インダストリ。だから、いい大学に行って、敷かれたレールに乗ったまま、オムラで働け?そうしないと、私もここに来てオイランになるって事?」「そうじゃない」 31
2012-11-19 23:46:43「じゃあ何?」「ちょっと待った……そういう質問を想定していなかったので。……そう、選択肢を押し付けたくない。そう、安全なレールだ。選択するのはお前だよ。高校生になったからには。この世界は無数の選択肢と限られたリソースでできている」父親は素子入りロケットを懐から取り出した。 32
2012-11-19 23:56:53ユンコはそのプレゼントを受け取った。ただのアクセサリだと思ったのだ。高校入学祝いの。「……ありがとう」「リソースとはマネーだ。マネーがモーターを動かす。お前が自立するまでに必要だと思われるマネーを渡したよ。もちろん、これとは別に生活費は今まで通りに振り込まれる」「何の話?」 33
2012-11-20 00:01:48「もう行こう。次の新幹線が来る。大切な仕事がある。人類をレールに乗せ、モーターで先へ進ませる。父さんは選択肢をいくつか誤ったが……もう間違えないつもりだ……どちらの選択肢も不正解……で……ない……限り……は……」声が遠ざかり、それと同時にまた視界はモザイクへと変わってゆく。 34
2012-11-20 00:08:03ユンコの精神はまた強制飛翔する。そういえば自分はこの時、父親の仕事の内容すら知らなかったのだと考える。(((……私は大丈夫。私はユンコ・スズキだ。記憶がある。昔から今までの記憶が、ずっと……自分ですら覚えていないような細部まで、ずっと……私の脳は、覚えてたから……))) 35
2012-11-20 00:13:59ダッダカダカダン!ダッダカダカダン!ピロリロリロリピガー!ダッダカダカダン!ピロリロリロリピガッガー!ダッダカダカダン!ダカダッダカダッダカダッダンダン!電子オルゴールに代わって鳴り響く重低音サイバーテクノ!無限モザイク・マトリックスがノイズを受けて僅かに乱れる! 36
2012-11-20 00:21:30「俺は機械!脳内にUNIXを搭載して行進する!エンベデッドGOTO命令を受けて前進する世代!ピッチシフターと電子刺激とダンスによって生まれた突然変異的プログラムが俺!」ヘイトディスチャージャーの人間離れした電子歪み声が重なる。ストロボ閃光のホールでユンコは激しく踊り狂う。 37
2012-11-20 00:29:20「壊れたオイランドロイドのように首を規則的に振って否定するのが俺!憎悪と命名された電子刺激!スパーク!励起する怒り!激しい怒り!怒りのロボット軍団全体的に制圧する!怒りのロボット軍団全体的に制圧する!怒りのロボット軍団全体的に制圧する!怒りのロボット軍団全体的に制圧する!」 38
2012-11-20 00:34:47「怒りのロボット軍団全体的に制圧する……怒りのロボット軍団全体的に制圧する……俺は機械……憎悪……拡散器……」あの機械的で暖かい、紛い物のロボット空間が遠ざかってゆく。そしてユンコの記憶は、動かないハンドルと、ケミカル小便臭いシートと、ハイウェイの夜景に激突し、途切れた。 39
2012-11-20 00:44:05