まあそれだけ「いじめは悪い」という倫理コードが共有されているならご同慶の至りだが実際にはほとんどのことは「これはいじめではない」として処理されていくわけだ。
2012-11-22 14:17:29「こいつならいくら罵倒しても誰にも責められない,安心して叩いてやる」と思っていたのが「それはいじめだ」と言われたら必死で反論したくもなるよね。
2012-11-22 14:48:05「いじめ」と「いじめられ」が入れ子になっていることは多い。とくに「大人のいじめ」はそうで,いじめている奴をいじめている自分が別の誰かからいじめられている。「いじめられている誰か」と「いじめている誰か」が明確に区分できるとは限らない。
2012-11-22 14:52:31違います。「いじめている人もそれは言われたくなく,いじめられている人もそれは言われたくない論点」ということ。 RT @rodomangreat: お互いに共通する事、という事でしょうか?だとすれば「脅威」ではないでしょうか。見える脅威と見えない脅威。
2012-11-22 15:16:18ニュースサイトのコメント欄もどちらかというと「少数派のなぐさめ合い」の趣があります。 RT @haLunautausagi: 「多数派だから正しい」「正しいからいじめではない」と思いたい人たちの集まりとしては当然の帰結であり、まさにいじめの構造でもあるかと。
2012-11-22 15:18:48「真っ当に思うところあって批判するのはいじめじゃない」というけど,実際のいじめだっていじめてるほうは「真っ当に思うところあって批判している」つもりであることはいくらでもあるわけで。
2012-11-22 15:28:57そういうのには教師も加担している場合も多いです。 RT @jun_1123: いじめについてのルポに「あの子の“悪いところ”を指摘してあげたのに直らないから」という理由のいじめがありました
2012-11-22 15:34:32多くの人の意見は「自分が納得できる理由」で皆から責められている人がいることはいじめではなく,「自分が納得できない理由」で皆から責められている人がいることはいじめである,ということに収斂していく。
2012-11-22 15:38:12「一般論」の話をしているふりをしているけどみんな「自分がやってることはいじめじゃないですよ,いじめじゃないですよね?」と言いたいんだよね。
2012-11-22 15:42:40これはもうしばらく前にいかづらさんが書かれたことに尽きるんで,もともと自分は「悪口」として言っているのに他人から咎められると急に「批判」だとか「意見」だとか言い始めるから「真っ当な批判もいじめなのか」なんて明後日の方向に話が飛んでいくわけで。
2012-11-22 15:50:55@twobooks どれでもないです。「自分が気に入らないということを道徳や倫理やルールの問題にしている」という点ではさかもとさんもさかもとさんを「批判」している人も同じだし,そのことがいじめ社会の基盤にあるということです。
2012-11-22 15:52:20いじめ問題にしても「子育て支援」にしても,「これを言っておけば確実にポリティカリー・コレクトで批判される心配はない」というポジションがあるわけで,自分がそこから誰かを「批判」できることに嬉々としているみたいなのが丸見えだと不快なんですよ。
2012-11-22 15:57:43「いじめの定義」が必要なのはいじめについて客観的に調査したり研究したりするためであって,実際に起きているいじめがひとつの定義の中になんか収まるわけがない。
2012-11-22 16:03:04むしろ定義することが「定義に合わないからいじめではない」という判断を生むことは以前の文科省の「受け手が深刻な苦痛を感じているもの」という定義によってなにが起きていたかをみれば簡単にわかる。
2012-11-22 16:03:47「自分は違う」「自分はいじめてない」とだけ言えばいいのにどうしてこういう言い方にしかならないのか。しかしじっさいこの種の「意見」はみんな区別がつかないほどよく似ていて,どうしてもまとめてカテゴリ分けしたくなる。
2012-11-22 16:13:41そういうことですね。 RT @_nagg: と、思ってるからいじめるわけです。"@ynabe39: 「正義だったらいじめではないのか」。"
2012-11-22 23:56:49