リバ・コミュ論争

古賀先生まとめ
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古賀徹 @Kogatoru

SF研究会。ネット系の議論の多くが、ネットのメディアとしての革新性を強調するあまり、現状より大げさに。ネットのメディア論と国家をめぐる社会思想史をつなげようとしたら、相当な議論・実証が必要なのに、ネットが新しい思想史局面を開くかのごとき議論はいかがなものか。

2010-08-08 23:40:44
古賀徹 @Kogatoru

90年代流行ったリバタリアン−コミュニタリアン論争が研究会でいきなり復活。なつかしい。この手の議論の焦点は、アクチュアルには、情報技術と地域主義のかかわりという形態を取るだろう。この問題を考えるのに、リバコミュ論争はほとんどもはや意味を持たないと予測する。

2010-08-08 23:45:09
古賀徹 @Kogatoru

この問題については結局ね、地域の中で生成するリアルな現実に言葉を与えて、新しい「経験」を作っていかなければ、どんな可能性も開かれないのです。その言葉を与える次元に、ネットという新しい表現技術が加わるに過ぎない。

2010-08-08 23:51:23
古賀徹 @Kogatoru

ネットがそのアーキテクチュアによってユーザーを動物化しているという議論も同じ。人間が動物化するのは20世紀初頭にテキスト文化が、都市の消費文化や電気メディアによって本格的に相対化されたときに出てきた現象。ネットによってもたらされたのではない。

2010-08-08 23:53:25
古賀徹 @Kogatoru

そういう意味でのアーキテクチュアを最初に提供したのが、19世紀の都市計画であり19世紀後半の消費文化だった。プロレタリアも、ブルジョワジーも、真理と正義を判断する自律した人間としては取り扱われない。ネットはその現代的末端に過ぎない。

2010-08-08 23:56:28
古賀徹 @Kogatoru

リバ・コミュ論争の古典型はサンデルによるロールズ批判。ロールズは抽象的で「負荷なき自我」を社会の基礎単位として想定するが、その自我は伝統や共同体の歴史的文化的規定を受けている、というのが大筋。カント(超越論的自我)に対するヘーゲル(歴史)の批判を20世紀に再演したもの。

2010-08-10 23:09:48
古賀徹 @Kogatoru

この批判は、共同体の実践や常識に基礎をおく規範の内在的解釈こそ、ロールズの国家正義論の基本であることが明らかになるにつれて、失効したと言える。国家と共同体の対立も同時に失効。この論争でなおアクチュアルであるのは、共同体的価値をいかにより高次の普遍性の次元に接続できるかという論点。

2010-08-10 23:17:50
古賀徹 @Kogatoru

逆に言えば、普遍性への接続を通じていかにローカルな価値を形成できるか、という技法の問題であるとも言える。ローカルな価値を絶対化/原理主義化させずに、なお実質として機能しうるようにするには、どのように共同体の物語を存在論的に位置づけるか、これが問題だ。

2010-08-10 23:20:32
古賀徹 @Kogatoru

この問題をヘーゲルに内在的に言えば、普遍性の立場を見通す「我々」の立場を実質化させずに、なおその観点を、そのつどの意識の立場、プレーヤーの立場に関係させるか、という形を取る。カントでいえば、統制的理念の問題。

2010-08-10 23:24:12
古賀徹 @Kogatoru

実は生々しいんだけど、一見すると生々しくないツイートをまた書いてしまいました。地域と情報、排除なき共同性、固定化しないアーキテクチュアなどの論点に関心のある方は是非、今週金曜のドネルモ・booksteadyにご参加を。

2010-08-10 23:42:38